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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ようやく一日が終了

2018年12月08日 22時08分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は妻も慌ただし駆ったようだ。夕刻に横浜駅近くで待ち合わせ。横浜駅近くのスーパーで買い物をした後は、草臥れて中華料理店へ。二人共お酒を飲まずに、定食などを食べた。ひとり1000円未満の節約夕食。夕食前に入ったコーヒー豆を炒ってくれる店で、1杯100円のホットコーヒーと節約。横浜駅からまた歩いて帰宅。家の傍のスーパーで追加の買い物。
 このような状況でなかなか駒井哲郎展の感想の仕上げが出来ずにいる。美術展の感想が延び延びになるのはとても残念。

 さて、明日の夕方から団地の管理組合の会議。本日先ほどまでかかって仕上げた資料の変更がなければいいのだが‥。明日は戦々恐々としながら夕がたを待つことになる。夕食はその会議が終了してから、ということにした。終るまでは落ち着かない。

午後から慌ただしく‥

2018年12月08日 14時04分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中は何となく時間が過ぎた。特に無為というわけではなく、パソコンのデフラグをしたり、駒井哲郎展での気に入った作品をスキャナーで取り込んだりしているうちに正午になった。

 時々マウスが動かなくなることがある。その度に再起動する。2日に1度くらいこの症状が出ることがある。いらいらがつのる。

 午後はこの一か月間のデータを外付けハード2台にコピーする作業と、その後は出かける予定であった。が、午後一番で作業の立会を求められ、1時間を費やした。予定が遅れたが、大事な養軒であったので、出かける前に連絡があり結果オーライ。

高麗神社までのウォーキング

2018年12月07日 22時10分40秒 | 山行・旅行・散策
 明後日の団地の会議の資料はとりあえず出来上がった。明日夜、再度見直してから日曜日の昼間に印刷・製本できる。ホッとした。

 知人から大磯の高来神社から埼玉県の高麗神社まで4日間かけて歩く「高麗王・若光(こまおう・じゃっこう)ウォーク」のホームページを教えら貰った。しかしすでに終了していた。今年の春の連休の催しであった。4日間で100キロ。参加してみるのも悪くないと思ったのだが‥。
 三年前だったか平塚の湘南大橋から橋本の手前まで1日で歩いた。そのコースを、海老名経由で2日間かけてあるく催しであった。橋本から高麗神社までは福生を経由してやはり二日欠けている。
 実は橋本から先の道に自信が持てなかった。このホームページの情報をもとに道をたどることが出来そうである。さっそく年末・年始に詳しい地図を持ち出して、予定を立てたいと思った。
 一日では無理ならば、この情報のとおり福生経由で2日間かけるのも悪くはない。泊まらなくとも、福生で引き返して、再度別の日に福生から歩き始めても何ら問題はない。
【⇒http://komagun.jp/2018/0410/7389
 いろいろな情報をいただけるのはとてもありがたい。

「ニュートン1月号」

2018年12月07日 13時37分31秒 | 読書


 「サピエンスのすべて」という特集の題に惹かれて、かついつもより安価だったので購入した「ニュートン1月号」、ちょっと私の期待とはズレガあった。
 図版にはいくつか参考になると思われるものがあり、これはコピーして保存することにした。他の記事は拾い読み。

久しぶりに弦楽四重奏

2018年12月06日 19時59分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 当初の予定よりも疲れたが、無事夕食時間前に帰宅。本日はそれほどのお酒が出たわけではないが、それなりに楽しい時間を過ごした。
 本日の懇親会では、ツマミと緑茶で参加していた。しかしこれまでと違って「私も一緒に呑みたい」という気持ちが強かった。これまでは呑みたいという気持ちは湧いてこなかったし、他人が飲んでいてもまったく気にならなかった。本日は、隣の人がビールや日本酒をそれぞれのコップに注いでいるのを見ると、つい自分も、という気持ちになりかけた。コップに手を掛けそうになった。
 これでは再来週17日月曜日のワンコインがちょいと心配である。忘年会を兼ねて、畑作業にいそしんでいるかたが、とれたてのサトイモを持ってきてくれるとのことで、有志が芋煮を作ることになっている。芋煮も楽しみだし、お酒に手を出してしまわないか、情けないが自信がなくなった。

 さて、土曜日の会議の資料作り、夜中まで気張らないといけない。

 久しぶりにパソコンでNHKFM放送話聴いている。
 番組ホームページによると、ロンドン・ハイドン弦楽四重奏団の昨年9月27日のヤマハホールでの収録で、
・「弦楽四重奏曲 ニ長調 作品64第5「ひばり」」ハイドン作曲
・「弦楽四重奏曲 変ロ長調 作品18第6」 ベートーベン作曲
・「クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581」モーツァルト作曲
(バセット・クラリネット)エリック・ホープリッチ
となっている。ときどきテンポが少し乱れるのが気になるが、気持ちの良い美しい第1ヴァイオリンであるる。

講座と会議と講演会と懇親会と・・・

2018年12月06日 15時30分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日は朝10時から講座、13時から退職者会の会議と講演会。
13時からの会議に間に合わせるために、昼食は食べるゆとりがなかった。
会議では発言予定と言うことで、打ち合わせ時間も欲しかったが、結果はぶつけ本番。
用意をした原稿では長すぎるので、半分に圧縮するのにチョッと焦った。
半分の時間で言う中身は変えないと言うのは、つらい。
それが役目と言えば役目なのだが・・・。

16時に終了後に、懇親会。お酒は呑めないので、昼食・夕食を兼ねてつまみを中心に。

「印象派という革命」(木村泰司)

2018年12月05日 21時47分14秒 | 読書


 本日は第4章「ピエール=オーギュスト・ルノワール」まで読了。残りは第5章「ドガ」と第6章「ベルトモリゾ&カサット」の二つの章となった。

 「こうして絵画は印象派による色彩分割法によって、「何を描くか」ではなく「どのように描くのか」が重要になる近代絵画の時代へと突入していった。そして二人(マネ、ルノワール)の「ラ・グルヌイエール」は、印象派を象徴する三大要素である戸外制作、色彩分割法、そして現代生活のすべてが含まれた記念碑的な作品なのだ。」(第3章「クロード・モネ」)
 「職人の子として生まれ、職人として修業をしたルノワールは、画家としても「芸術家」ではなく、「職人」に徹することで、肖像画家として生計を立てることをよしとしていたのだ。「誇り」よりも「実」を選んだのだ。」(第4章「ピエール=オーギュスト・ルノワール」)


 本日の読書はここまで。




「フォッサマグナ」(ブルーバックス)購入

2018年12月05日 17時54分59秒 | 読書
 薬局での薬交換、コンビニのイートインコーナーでの昼食、横浜駅までのウォーキング、壊れたスマホカバーの買換え品物色、コーヒータイム、書店での新刊情報、バスにて神奈川大学の近くまで行き生協で書籍購入、歩いて帰宅というコースで帰宅。
 コンビニのイートインコーナーでは初めて焼きそばを食べてみた。四川風マーボー豆腐なるものがかかっていた。スマホカバーは1500円ほどもするので買換えは断念。現在の使用しているものはかなり剥げており、見てくれがすっかり悪くなってしまった。



 神大の生協では「フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体」(藤岡換太郎、ブルーバックス)を購入して帰宅。
 「フォッサマグナ」は友人2人も推奨していた。評判はすこぶる良いようだ。来月の新年会までに目をとおしておきたい書物。ブルーバックスを購入するのは久しぶりである。まだ中身についてはまだ何も見ていないが、日本海の形成とその力の源泉について何か示唆があればとても嬉しい。

眠る苦労

2018年12月05日 10時59分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 起き出した8時過ぎくらいにはまだどんよりと空一面を厚い雲が覆っていた。今は南の空に雲の切れ間が現われ、ときどき太陽が顔を出すまでになってきた。

 昨晩はまた眠れずに時間が過ぎた。まず布団に入る気にならず、入浴後もグズグスとパソコンの前に座り、ぼーっとしていた。何もしないで電気も消した暗い深夜の空気に身を任せるだけであった。そして何も考えていなかった。結局3時近くになって体が冷えてしまったので、ようやく布団に入った。だが体が冷え切って眠れない。4時半頃何となく時計を見たことは覚えている。目が覚めたときは8時を過ぎていた。睡眠時間は3時間半。今は眠くない。

 こんなことが年に一度か二度くらいはある。そのたびに、眠るということにこんなにも苦労するのか、と泣きがはいる。パソコンの前で何もせずボーっとしているのは寝ている時間に換算できれば、一応睡眠時間は確保は出来ている。しかし寝入っているわけではないので、果たして睡眠と判断できるかは疑問である。

 途中で眠剤を服用しようとしたが、ワーファリンとの関係で服用していいのか調べる気力もなく、そのまま起き出すことはしなかった。ネットで調べておく必要はありそうだ。

 退職者会の新年号の編集に着手しなくてはいけないのだが、本日はまだその気にならない。困ったものである。始めるまでが大変、まるで小学生が宿題を前にしての逡巡のようなもの。

 先ほどまで駒井哲郎展の図録をあらためて見ながら、気に入った作品をピックアップしてみた。三分の一位まで数を減らして、7点ほど。これにどれだけの感想を述べられるか、自信はない。ただ羅列だけに終わってしまうこともあるかもしれない。
 

明日からは仕事を中心に‥

2018年12月04日 23時10分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜空を見ると雲の切れ目があり、星もいくつか見えたので傘を持参で3000歩ほどのウォーキングを目標に出かけた。500歩ほどのところで雨が降り始めてしまった。それでもすぐに弱くなったので往復3000歩歩いた。
 風が強めで気持ち悪いほど生暖かかった。ニュースで沖縄では30℃近かったと報じていた。雨は強く降る予想ではあったものの、弱い雨が断続的に降っただけ。今はもう雨の区域は横浜から遠く去ってしまった。

 本日の横浜は23.3℃で、明日は18℃の予報。5℃も低くなる。明後日以降さらに寒くなるらしい。明日は退職者会の新年号の編集作業を始めることにした。お昼前に、薬を薬局に取りに行くと約束した。
 今度の土曜日は団地の管理組合の会議なので、明後日にはその準備の資料作りをする必要がある。

薬の処方でごたごた

2018年12月04日 20時32分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日病院にて処方箋を貰い、本日薬局に行ってきた。帰宅後錠剤の数を数えたら、数が合わない。首を傾げながら、幾度も数え直した。それでもやはり合わない。何しろ49日分もあるので、混乱する。
 まだ薬局の営業時間が終わったばかりの時間だったので、電話をしてみたら対応してくれた。いろいろ話をするうちに、ようやく真相がわかってきた。薬局から市立病院へ問い合わせもした結果も踏まえると、まず、薬局での打ち込み間違いによる表記の間違い。次に、薬局での数の数え間違い。そして病院の医師の錯誤による処方箋自体の間違い。この三つが重なっていた。

 7週間49日分という長期の薬の処方であることと、一回に服用する量に端数があり錯誤が生じたようだ。明日昼前にもう一度薬局に行って薬を貰い直すことで話がついた。病院に処方箋を彩度貰いに行く必要はないことも分かり、ホッとした。薬局は平謝りであるが、薬局だけの責任でもない。
 支払った金額に変更が生ずるのか、そこはまだわからない。

 しかしワーファリンというのは、服用する量に間違いがあると影響の大きい薬である。気がついてよかった。窓口できちんと数を確認したり、処方戦と薬の量の点検をしたりしなくてはいけないというのは、なんだか変である。少ない数であるならば、一目で確認できるが、49日分はなかなかすぐには確認できるものでもない。まして高齢者などにそこまで確認すべきだとは言えない。窓口で貰った薬の数の確認まで患者の自己責任と云われると、これは困ったことである。
 家には前回貰った薬が本日分まで残っていたので、本日は問題なく服用した。

 さて、先ほど突然のようにやや強い雨が降り出した。時間雨量にして20ミリ程度の雨であったが、風が強まったこともあり、ずいぶん降ったように感じた。今も鎌倉市辺りに雨の区域があり、北東に向って進んでいる。もう一度降る気配である。
 夜のウォーキングが無理になるかもしれない。

「駒井哲郎」展から2

2018年12月04日 11時09分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 引続き埴谷雄高「闇のなかの黒い馬」から。私が大学に入って1年目の冬か2年目の冬にこの本が河出書房新社から発刊された。当時で数千円したと思う真っ黒の装幀の特異な本であった。当時仙台の一番丁にあった丸善で手に取って幾度か本文を読んだが、とても購入できる値段ではなかった。特装本ではなく、初版本だったかもしれない。それも真っ黒な装幀であった。
 実際には1975年に就職してから同社の文芸選書の1冊として発刊されたのを購入、初めで全編を通読した。



 その第4番目に「追跡の魔」という魅力的な一遍がある。文字通り主人公が「振り返る」場面が4回出てくる。戦前の治安維持法による豊多摩刑務所の中で、宇宙の果てにゆく夢想の装置を作り上げる。そのきっかけが建物の崩壊感覚によるものである。

「《一陣の風の動きだけでも、この建物は忽ち崩壊する……》と、私は夢の中で推測した。すると、その次の瞬間、私は不意と後ろを振り向いたのであつた。無人の建物のどの間近かな蔭からもこちらを窺つている誰かがいるような恐ろしいほど抗しがたい気配を感じたからであつた。」
「……私はまた背後をふりかえつた。蒼白い花火の傘を大きく拡げ上方から下方へかけて撒きつらされている眩ゆい銀河の帯の中央に白鳥の十字が、さながら出発点の明らかな標識のごとく、目にとまつただけで、この宇宙の暗い大海へ私を追いやつた先刻の「気配」は、やはり漆黒の闇に隙もなく重なつた漆黒の闇のように果てしもない日宇多伊那闇の何処かに沈んでいた。」


 この作品はその不安と恐怖に駆られて後ろを振り向く小説の中の主人公「私」である。
 図録に駒井哲郎の文章が掲載されている。

「この作品集を読んで、実に理論的に夢という手段を用いて、宇宙の涯の非在の世界に迫ってゆこうとする静かな迫力に圧倒されてしまって、しばらくの間はどうすることも出来なかった。しかし読んでゆくうちにいくらでも銅版画がつくれるような気がして来た。‥腐食銅版画の技法の予見される時間の推移と夢の時間の流れが、なんだか一つになってくるように思われるのだった。」(「闇のなかの黒い馬」特装本刊行にあたって、河出書房新社)

 そして埴谷雄高はこう記している。

「実際に見た夢ではなく、この宇宙で見るべき姿を扱ったこれらの作品に附すべき絵は、駒井さん以外にないと、私は始めから主張したのである。‥やがて画家の長い苦悩の描きこまれ数多い絵をまことに得難い遭遇の結実として、私は受けとったのである。そこにはまさに、具象的でしかも幻想的な絵が描かれていて、‥その壱枚一枚の絵を凝っと眺めていると、一本、一本、と、数百本に及ぶ線を或る句中の果ての決断と、或いは、自ら疑いながら緩っくりと引いた画家の精神の深い痕跡がまざまざと浮かび上がってくるのであった。」(「宇宙で見るべき夢の絵」)

 地下生活での緊張と、周囲の「目」に対する恐怖と不安、未決囚のはいる刑務所のたぶん独房の中での不安と恐怖の中での体験が凝縮された風貌が迫って来る。


禁酒の継続ということ

2018年12月03日 23時17分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 肝臓の機能を示す数値があがってきている原因をあれこれ考えてみたが、よく分からないこともあり、詮索は断念。

 アルコールによる肝機能の低下がワーファリンの作用を増強してしまうらしい。しかし病院で貰った解説文書には、「禁アルコール」とは記載されておらず、「二日酔いなど体調を崩すようなことはしない」「アルコールを飲んでからワーファリンを飲む場合は6~7時間以上開ける」としている。飲んでも構わない量は、ビール大瓶1本、ウィスキー水割り2杯、酒1.5合までとなっている。この表現で問題は、夕食後ワーファリンを飲んだとして、いつ飲み始めたらよいのか、ということであったが、これは退院時に聞きそこなった。

 そして今の医師は、お酒を飲むこと自体に否定的なので、上記の質問自体が出来そうもない。かかりつけ医も同様に、お酒は肝臓の数値が基準値を超えている限り飲んではいけないといっている。

 ということで、やはり次の診察まで禁酒は続行、ということで妻とも合意となった。

禁酒はまだ続く‥

2018年12月03日 20時28分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は4週間ぶりの市立病院での診察と薬の処方のために病院を訪れた。これまでずっと午前中の予約であったが、年末で混んでいるためか、14時からの予約になった。
 朝から所用で団地内を歩き回り、予定より遅くになって家を出た。それでもタクシーで予約時間の20分前に受付、採血をした。ここまでは順調。ところが実際に診察まで2時間10分も待たされ、会計が済んだのが2時間40分後の16時20分。すっかり待ちくたびれてしまった。しかも3000円も請求され、薬局に行く時間もお金もなくなり、薬局は明日にすることにした。
 もっとショックだったのは、肝臓の機能が改善されていないとのこと。γGTPが100を超えていた。前回は67迄低下しており、本日で基準値以下となり、アルコールの解禁を認められるのかと、大いに期待していたのだが、無理だとのこと。原因はワーファリンかと聞いたところ、どんな薬でも出てくるもの、とあっさりと云われてしまった。
 ワーファリンの効果はかなり高く、聞き過ぎているようだとのことで、2割がた処方を減らされた。
 さらに次の診察は1月21日と7週間後。それまでまた禁酒が続くことになった。
 かなり落ち込んでいる。せめてもの救いは、次回ワーファリンの投与の中止か継続化の判断をしたいとのことであった。造影剤を投与したCT検査をするのかもしれない。

 ショックであったが、それでも横浜駅まで歩いて、書店・家電量販店、100円ショップを一巡してから地下鉄にて帰宅。何も購入せず、見て回っただけ。欲しいもの、読みたい書物は無限大にあるが‥。

 取りあえず1万3千歩。体力的には戻っているのだが‥。

「駒井哲郎」展から1

2018年12月03日 12時05分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 私はやはり基本は言葉に頼る人間である。言葉に頼りすぎる自分に気がついて、それから逃れるように美術館に通い出した、というのもあながち嘘ではない。
 今回の駒井哲郎展、「第5章 詩とイメージの競演」では詩人の大岡信や安藤次男、小説家の埴谷雄高、野間宏などの詩集や挿画、装幀などを通じた共作が展示されている。私はこのコーナーにすっかりはまってしまった。
 大岡信などの詩と駒井哲郎の作品は、挿画などではなく競作である。大岡信の詩「物語の朝と夜」がまず目に入る。



  物語の朝と夜

 だれかが呼んでいるので
 眠っていても歩んでいる

 夜明けのなぎさを
 こだまの中を
 きみの脳は漂っている睡眠の
 水草のうおを

 湖のうえ
 悔いの歩みはわずかに僕より遅い
 枯木の梢でひよどりに変質し
 唄は靄を突き抜け 天にまぎれ
 やがてゆっくりぼくを引きあげる

   

 大岡信の長編の詩「料理場-駒井哲郎に」はなかなか含蓄のある詩である。「敗れたものが歌う 勝利だけが信じられると/勝ったものが歌う 敗北だけが真実なのさと/戦いのあとは貪欲と睡眠の支配/‥」。
 敗者も商社も調理台の上でぐつぐつ眠る、という一見楽しく、深刻で、怖い詩であるが、このような作品がこの詩と並ぶと、詩のイメージがどんどん膨らむ。とくに雨が降ったような縦の暗い線が、詩のもどかしいイメージが増幅してくる。



 さらに私にとって埴谷雄高の「闇の中の黒い馬」の装幀は今でも忘れられない作品であった。学生には高価で購入できず、書店で立ち読みしながら駒井哲郎の作品のイメージを頼りに埴谷雄高の世界を覗いていたと思う。
 今は1975年に発行された河出書房新社の「闇の中の黒い馬」という廉価版を所有しているのみであるが、挿絵風に駒井哲郎の作品も掲載されている。この作品は版画集「九つの夢から」におさめられている。

 「闇‥‥‥。私は頑固な不眠症を殆んどじびょうのように飼つているので、どちらかといえば、深夜、闇につつまれた寝床のなかで凝つと息をひそめたまま言い知れぬ不快を噛みしめている時間がむしろ多いくらいである。手をのばして微かな不安の裡にまさぐつてみる前方も、想像し得るかぎりかけはなれた数十億光年彼方の宇宙の果てもまた同質の闇にどつぷりとつつまれているはずのこの眼前を凝つて果てしもなく眺めつづけていることは、私にとつて、いきなり猿臂をのばし、むずと掴んで締めあげたいほど忌まわしい痛憤の時間なのであるが、と同時に、それはそんな自分を噛みしめて何ものかを時分のなかに掘つてみる限りもなく抑えに抑えた時間、まあいつてみれば、一種《静寂な歯ぎしり》の時間なのでもある。」

 埴谷雄高流の手を伸ばした眼前の闇から、一挙に数十億光年まで飛躍し、その空間と時間軸が同一であるという不可思議な世界をどのようにイメージとして定着させたか、これは間に埴谷雄高の世界に陥ったものでないと分からないこだわりであろう。

 「‥‥‥私の黒馬は《ヴィーナスの帯》についにさしかかつた。この暗黒の帯のはずれに、小さな無数の光を散りばめた宝冠のように輝いている一つの旋回する環があつて、それを遠望した多気で目覚めるはがりである。それは車輪のかたちをしているけれども、ゆつくり回転しているため、平らな円盤の内容の矢は、ちようど、夏の夜、低い地上をくるくると廻つて走る鼠花火のように一方へかたむきのめつている。‥」という描写が私の脳裏を今でも離れない。
 この引用の直前に配置された駒井哲郎の作品は、じつは今回の展示とは少し違う。こちらの方が作品に則したイメージである。黒い馬の眼前には黒い丸い塊があり、「闇の中の黒い馬」の作品に則している。
 ただし単体の作品としては馬の眼前の暗黒の塊は重すぎると判断したのであろう。版画集「九つの夢から」のために改変したと思われる。