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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夕食前のウォーキング

2018年12月13日 20時15分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食前のウォーキング、やはりとても寒く感じた。それでも50分で6500歩ほど。4000歩ほどのところで暖かくなってきた。失敗したのはショートソックスだったため、運動靴から上のくるぶしのあたりが外気に触れて、寒さが身に染みたこと。長い軍足に履き替えようとして忘れてしまった。頭も野球帽をかぶらなかったので、冷えた。

 慌てて外に出ると何かしらかの忘れ物や失敗をしてしまう。そして家からかなり離れてから気がつく。最近は、特にこのようなことが多くなった。

 21時過ぎから再度夜のウォーキングに出かける予定。


本日より「日本画の歴史 近代編」

2018年12月13日 17時25分59秒 | 読書
 ようやく新聞の原稿が出来上がった。もう少し早く、昼過ぎには送信できると思ったが甘かった。割り付け作業に多くの時間がかかった。



 昼食休憩にはさすがに眼がおかしくなり、しばらくボーっとしていた。本日昼休みから「カラー版日本画の歴史 近代編」(草薙奈津子、中公新書)を読み始めようかと思っていた。しかし目がしょぼついて無理であった。
 ようやく原稿を送信したので、夕食後から読み始めるつもり。同時に「現代篇」も刊行された。2冊とも購入済み。近代編は明治維新から第二次世界大戦まで。現代篇は第二次世界大戦後から今日まで、ということを「序」に記載されている。
 著者は初めて聞く名だが、現在は「平塚市美術館館長」と記されている。幾度も訪れた美術館である。展示はなかなかいい。


頭と体をほぐすために‥

2018年12月12日 22時25分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 100余名分のコメント集は一応7つほどに分類・分割して整理が出来た。これを今夜から明日に掛けて、編集ソフトに使っている一太郎に貼り付ける作業。割り付けに気を使っていろいろやり返しているとあっという間に1時間や2時間は経ってしまう。しかも追加のコメントがいくつか送信されてくるはずである。それを加えたりしていると半日などすぐに経過する。
 こういうのもある意味やりがいというのかもしれない。

 これより夜のウォーキングで少し体を動かさして、頭と体をほぐさないといけない。目もショボショボになってきた。外は冷えていそう。

仕事は佳境、なかなか厳しい

2018年12月12日 20時41分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 新聞の編集作業も佳境。2~3面に約100名あまりのコメントを掲載する作業が残っている。すでにエクセルの表には打ち込んであるので、いくつかに分けながら新聞の編集ソフトに貼り付ける作業が残っている。
 データ量が多いので、貼り付け作業に例年手間取る。本日は所用があって夜になってからの編集作業である。明日夕方までに何とか印刷会社に入稿しないといけない。今晩は踏ん張らないといけない。

 本日も寒かった。先週の予報では最高気温は15℃を超えると言っていたようだが、実際は11℃に届かなかった。その気温も実は18時過ぎに記録しており、昼間はもっと低かったことになる。
 明日もまた本日と同じような気温らしい。明日は出かけることが出来るだろうか。

寒燈・雪掻き

2018年12月12日 01時43分50秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 風は北風で瞬間最大風速は13メートルを超える風が吹いているようだ。雨の区域は南西から北東に流れている。風の向きとはほぼ反対。雨は1時間当たり最大で10ミリ程度の雨が続いた。今は少し弱くなり、音が静かになった。だが、レインアイよこはまを見る限り雨の悔いはまだまだ相模湾から押し寄せてくる。
 強い雨の時に外を見ると寒さの中で、外灯が灯りを揺らしながら雨のしずくを照らしている。寒々しさがより募る。
 もう少し気温が下がると横浜でも雪になる可能性があったようだ。明日の朝は9時には出かけるので雪になってしまうと困る。路面が凍結すると私の住む団地は丘の上で、地下鉄の駅は川沿いの国道に面しており、50メートルほど旧坂を下らなくてはいけない。この急坂、直線でしかも北向きの為凍結すると滑ってそう簡単には歩けない。
 それだけではない、高齢化した団地、雪掻きに慣れている私の出番は多い。所用があっても雪掻きに精を出さねばならないかもしれない。
 雪にはならず、凍結もしないと決めつけて寝てしまうのが、いいのかもしれない。

★雪掻きのまばらと見えて総出なり    宮津昭彦
★生きる幅だけの雪掻き雀舞う      庄司 猛
★辞書割つて一字を寒灯下に拾ふ     佐野まもる
★寒燈の消えて乾坤闇に落つ       星野立子
★寒灯を揺らす風あり闇を連れ      菅原 涼

 

読了「印象派という革命」

2018年12月11日 23時24分27秒 | 読書


 新聞の編集の合間に、「印象派という革命」(木村泰司、ちくま文庫)の残っていた第5章「エドガー・ドガ
 完璧なデッサンで人の動きを瞬間的に捉えた達人」と第6章「ベルト・モリゾ&メアリー・カサット 表現の自由を求めた二人の女性画家」を読み終えた。

 ドガについては作品はいくつも観たことがあるが、どのような経歴の画家なのかはまったく知らなかったので、伝記として読ませてもらった。
 画家の個性を出身階層などの一般論の中に閉じ込めて論ずるなど、違和感はあるものの、電気的な叙述して割り切って読んだ。あまり多くを求め過ぎてもいけないと思いつつ。


今季の最低気温

2018年12月11日 20時42分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 予定をしていた4面、7割ほど出来上がった。2・3面の記事も送られてきた。何とか本日中に4面は出来上がりそうである。

 本日は確かに寒い。横浜としてはとても寒い気温である。ガスストーブも在宅中はずっと点け放しである。
 夕方出かけるときも長めのダウンコートを今季初めて着た。気象庁のデータを見ると、今のところ最低気温は7時過ぎの3.1℃で平年比△2.4℃で今季の最低気温。最高気温も7.3℃と平年比△5.6℃で最も寒い時期を下回る、と表示されていた。

 雨もだんだんひどくなってきている。これでは夜のウォーキングは残念ながら無理。

 埼玉県の秩父や、東京都の多摩西部では雪となるらしい。雨は明け方まで降るようだ。明日朝から出かける予定。雪となっては困る。風も強まってきている。



進まない新聞編集

2018年12月11日 16時45分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
予定の半分進んだところでくびれてしまった。近くの繁華街まで弱いながらも降り続く雨の中を歩いてようやく一服。
家の中から見る景色も寒々しかったが、外に出てみると寒さが身にしみる。
1月中・下旬の気温のようである。
予定の仕事をこなし終わるのは夜半過ぎになりそう。

忘年会帰りは危険がいっぱい

2018年12月10日 23時36分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜のウォーキング、40分ばかりで終了。帰宅したら久しぶりにメガネがすぐに曇った。気温が低い証しである。

 ウォーキング中、ちょうど東南の方角の雲が切れていて、オリオン座、おおいぬ座、こいぬ座がよく見えた。冬の大三角といわれるペテルギウス、プロキオン、そしてシリウスの三つの星とオリオンのリゲル、あわせて四つの星が目立った。その中でもシリウスがとてもひときわ明るく輝いて見えた。残念ながらふたご座・ぎょしゃ座、おうし座は雲の中。たぶんしばらく立ちどまってみていれば、それらも見えたはずだが‥。

 そろそろ忘年会が盛んにおこなわれる時期、本日もこの時間に男女ともにかなり酔った勤め人諸氏がバスを降りて歩いていた。センターラインも引けない狭い二車線のバス通りなのだが、まっすぐは歩いてくれず、追い越すのも一苦労。これにスマホ歩きが加わるとバスの運転手も運転に苦労するのがよくわかる。繁華街の道路も危険だが、住宅街の中もまた危険がいっぱいである。

 できるだむ関わりたくないのだが、遠慮していてはこちらもウォーキングが出来ない。車が途切れるのを見計らって、小走りに追い抜いて行く。なかなかつかれる。
 

本日の業務は終了、目が疲れた

2018年12月10日 22時21分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の作業はとりあえず終了。退職者会ニュース一面の90%とは出来上がった。2・3面は原稿待ち。明日からは4面の作成に写れそう。できれば明日中に1面と4面の90%は仕上げたいものである。
 現行の締め切りは13日の夕刻。かなり厳しい日程である。しかし目がショボショボになってきた。本日はこれ以上は無理である。

 これより若干の夜のウォーキング。気分転換しないと頭が飽和状態。

身に纏うものは最小限に‥

2018年12月10日 11時15分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ここ2~3日、布団がスース―する。真夏はタオルケット1枚だったが、今はそのタオルケットの上に、いちばん小さく薄い夏掛けを掛けている。さすがにこれでは寒く感じるようになり、大きめの夏掛けを押入れからひっぱり出してきた。我が家では春・秋用で使っている。

 やはり今年は暖かいのだろう。例年であれば、11月なかばにはこの掛け布団を使っている。この布団、夏に打ち直しをしたばかりなので、充分に暖かい。この冬はこの掛布団で通すことになるかもしれない。

 身に纏うものは軽いもの、薄いもの、枚数は少なくしたい。身に付けるものは出来るだけない方がいい。装飾品は嫌い。定期券も財布も腕時計も眼鏡も携帯電話、野球帽も慣れるまでずいぶん時間がかかった。現役時代は小銭用の財布は持たず、ズボンのポケットに直接入れていた。いつも後ろポケットからズボンが痛んだものである。これ以上身に付けるものは欲しくない。着るものも増やしたくない。布団も重くしたくない。

 近い将来、入れ歯や補聴器が必要と云われるようになったらどうしようかと、悩んでいる。しかし財布の中身だけはもっと重く、厚くしたいものである。

明日からは新聞づくりに専念

2018年12月09日 21時28分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ほぼ予定通り19時に会議が終了。外に出ると、風も冷たくなりとても寒く感じた。気象庁のデータでは13時に10.3℃と1月中旬並みの気温になったとのこと。8メートルほどの北風が一日中吹いていたようだ。
 冬は冬らしく、寒く乾燥してほしい。星が良く見えて欲しい。そして1回くらいはうっすらと雪が降ってほしい。薄っすらとでいい。数センチも積もれば、関東南部では影響が大きい。10センチも積れば、大変な災害となってしまう。これは勘弁してもらわないといけない。

 明日は16時過ぎから団地の集まりがある。それ以外は予定は入っていない。

 明日からは退職者会の会報の原稿作りに専念する。木曜日までには入稿しないといけない。新年号はいつもの倍、A3で4頁である。

冬がようやくやって来た

2018年12月09日 16時37分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は北風が強く、団地のプラタナスの落葉がカサカサと音を立てて舞っていた。不思議なもので、そのような音は騒音には聞こえず、心地よく寝付いた。朝もまたこの音で目が覚めた。木枯らし1号のような気もした。ようやく冬の気分。しかし来週以降年末まで平年より高い気温が続くと天気予報で言っていた。

 夕方になって8千歩ほどのウォーキング。出かけたときの歩数と合わせて1万3千歩。しかし空気が乾燥し、寒い。1階でフローリングというのはやはり室温も低い。本日は昼間も短時間だがストーブをつけてしまった。

 これより団地の管理組合の会議。夕食は終わってからということにしたが、19時には終わってほしい。

「駒井哲郎」展から3

2018年12月09日 12時16分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 駒井哲郎展、埴谷雄高の「闇のなかの黒い馬」の装幀・挿画から記載した。「ことば」があるとそこに意識がまずは行ってしまうのは、私がどうしてもことばの世界に生きてきたからだと思う。
 挿画・装幀などは、書きことばの世界とのコラボレーションであり、ことばの醸し出す世界と、視覚に働きかける世界の相互浸透の醍醐味だと思う。それ以上に、読者や鑑賞者のイメージをどこまで豊穣に飛躍させるか、それはことばを紡いだ人と挿画を描いた人同士の関係だけでなく、興味をそそる。
 さて、私は、心の奥底ではことばの世界だけというのは、本当の自分ではないのではないか、といつも思っていたし、今もそう思っている。しかしことばの世界からはもう抜け出せない。
 視覚を対象にした作品はことばに変換しても、それだけでは鑑賞にならない。音楽も同じであろう。しかし人はことばに変換しようともがき続ける。それが正しい鑑賞であるかのように振る舞う。
 確かに、そういう鑑賞も否定はできない。地理的、歴史的、技術的、社会的な背景は抜きにしては、確かに鑑賞も成り立たない。

      

 1951年頃から盛んに優れた作品が私の心に届く。この歳が飛躍の年だったのかもしれない。年譜によると、同年瀧口修造らの実験工房が発足している。
 そして駒井哲郎展では大きな影響を受けたルドンなどからの直接的な影響関係からの飛躍も見られる。
 ある意味、飛躍であり、独自の世界への出発でもあったと私が勝手に解釈するこの年から数年の、「黒」は「白」を従えて、実に豊かな奥深さを感じる作品が並ぶ。
 第2章は、ルドンの作品を楽しみ、第2章の後半ではルドンから「恐怖」「おののき」といったものを削った「夢」の分析と再生が、駒井哲郎の大きな魅力である、と感じた。
 ルドンのファンにとってはこの第2章のコーナーは飛ばしてしまうことはとてもできない。


本日の教訓

2018年12月08日 23時00分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜のウォーキングから戻った。ごく短時間だったが、やはり気分転換にはいい。曇り空で星はまったく見えず、新月の翌日なので月もまったく見えなかった。雲の変化を時々見上げながらのウォーキングであった。

 メールのやり取りで、資料の疑問点を指摘してもらっていたが、ウォーキング中にようやく理解が出来た。パソコンの前で何を指摘されているのかピンとこなかったが、歩いているうちにふと理解が出来た。どうも蛍光灯のように理解までに時間がかかる。

 歳をとって人に何かを指摘されたとき、謙虚に「何を云われているのかな」と常に自分に問いかけないといけない。そうしないと指摘をされて、ムカッとして喧嘩になってしまう。若い頃から、歳をとった人の喧嘩を見て、ああはなりたくないと思っていた。しかし自分がその状況に近くなっているのだ。心して謙虚にならないといけない。

 おおいに反省である。体を動かしながら考えることと、謙虚になること、本日の教訓。