Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

月見を忘れた

2014年09月10日 11時09分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日の講座で9月講座の講演要旨が配布になった。

 昨晩は久しぶりにいろいろ話が弾んで、18時20分位から21時過ぎのラストオーダーまで居座ってしまった。
 帰りは横浜駅からいつものとおり歩いて帰ってきたが、空を見上げることをまったく忘れていた。
 気持ち良くなって歩いていたのに地面ばかり見ていたのかもしれない。ぬるいお風呂にゆっくり入ってそのまま布団へ。
 朝になって満月を見忘れたことを思い出した。
 何とも無粋なことかと思ったが、今夜にでも見ることが出来れば特に悩むことでもない。

 本日は妻が急に、多磨霊園まで墓参りにいこうかと言い出した。帰りに時間出来余裕があれば、国立新美術館に行って、オルセー美術館展でも見られればいいのだが‥。チケットショップで幾らくらいになっているのだろうか。

本日からの講座(古代史セミナー9月講座)

2014年09月09日 10時31分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日から始まる古代史セミナー9月講座。今回で3回目の受講である。今期は6回連続講座で3000円。企画・立案・案内・会場設営等々、多分ほぼボランティアでのじっとと思われる。なかなか大変な労力と強い意志が必要であろう。
 全部出席したいのだが、当選後どうしても出席できないものが出来てしまった。残念である。

 退職した時の職場が近くにあるので、1回位は講座終了後訪れてみようと思う。また仕事の帰りに週に1度位寄っていた居酒屋にも寄ってみたい。ただし一番安い立ち飲み屋は店をたたんでしまった。とても残念である。

 本日は昔職場で一緒になった仲間と横浜駅で夜に落ち合うことにしている。飲み過ぎないように自重しよう。

スケジュール管理

2014年09月08日 23時39分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年からスケジュール管理を手帳とスマホのスケジュール表と二重管理をしている。今のところ大体両方にスケジュールを忘れずに載せているが、やはり面倒である。かといっていいアイデアがあるわけではない。
 後期の講座のスケジュールを作成するにあたってエクセルで暦をつくり、スケジュール表に仕立ててみた。これを充実させれば手帳に変えることは出来そうである。
 しばらくこの表の仕上げを試みようかと思っている。
 いろいろと工夫しながら自分の使いやすいものを作るのも楽しい。

芋名月

2014年09月08日 19時30分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 日曜日一日雨で家にいただけで、数日閉じ籠っていたような気分になった。

 本日は午前中に眼科、午後からは退職者会の幹事会。往復歩くと1日分の目標の2万2千歩を超えるのだが、行きも帰りも雨に遭ってしまった。小雨だったが、その区間は電車を利用したため5千歩ほど不足。やむを得ない。

 本日は十五夜、ただし満月は明日。現在ではお月見の晩に団子を供えることが多い。しかし「芋名月」の呼び名のあるように本来は芋(里芋)を供えていたといわれる。関西の一部の地域では、この日のお供えの団子の両端をとがらせるところがある。里芋をかたどったとと考えられている。
 もともとは、作物の収穫を感謝する秋の行事ととらえることができるそうである。稲作が開始される以前の主要な作物は芋であり、芋から米に変わると供え物も米粉の団子に変化したという。

★名月や故郷遠き影法師  夏目漱石
★名月や門の欅も武蔵ぶり  石田波郷
★満月の闇分ち合ふ椎と樫  永方裕子
★十五夜や母の薬の酒二合  富田木歩
★十五夜の沖軍艦の行く眩暈  下向良子
★名月や産湯のごとき山の湖  田中清之
★四十年の持続する意思月今宵  庄司猛
★満月に一夜足りない過去未来  登石詩子
★古稀となりひとりとなりて月今宵  藤井誠三


夏目漱石と大塚楠緒子

2014年09月07日 21時25分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほど「重陽の節句と黄菊」をアップしたが、その中で漱石の句「ある程の菊投げ入れよ棺の中」を取り上げた。
 この句は漱石の友人の大塚保治の夫人楠緒子の死に際しての句である。当時漱石もいわゆる伊豆の大患で生死の間をさまよい一命をとりとめて療養していた。その時に大塚楠緒子の訃報に接し、この句を作った。
 漱石自身も死を覚悟した時期でもあり、どこか死が傍にあるような切実感のある句である。

 以下は夏目漱石の「硝子戸の中」の一節を引用してみる。

 私の眼にはその白い顔が大変美しく映った。私は雨の中を歩きながらじっとその人の姿に見惚れていた。同時にこれは芸者だろうという推察が、ほとんど事実のように、私の心に働らきかけた。すると俥が私の一間ばかり前へ来た時、突然私の見ていた美しい人が、鄭寧(ていねい)な会釈を私にして通り過ぎた。私は微笑に伴なうその挨拶とともに、相手が、大塚楠緒さんであった事に、始めて気がついた。
 次に会ったのはそれから幾日目だったろうか、楠緒さんが私に、「この間は失礼しました」と云ったので、私は私のありのままを話す気になった。「実はどこの美くしい方かと思って見ていました。芸者じゃないかしらとも考えたのです」
 その時楠緒さんが何と答えたか、私はたしかに覚えていないけれども、楠緒さんはちっとも顔を赧(あか)らめなかった。それから不愉快な表情も見せなかった。私の言葉をただそのままに受け取ったらしく思われた。
 それからずっと経って、ある日楠緒さんがわざわざ早稲田へ訪ねて来てくれた事がある。しかるにあいにく私は妻と喧嘩をしていた。私は厭な顔をしたまま、書斎にじっと坐っていた。楠緒さんは妻と十分ばかり話をして帰って行った。
(略)
 楠緒さんが死んだという報知の来たのは、たしか私が胃腸病院にいる頃であった。死去の広告中に、私の名前を使って差支ないかと電話で問い合された事などもまだ覚えている。私は病院で「ある程の菊投げ入れよ棺の中」という手向(たむけ)の句を楠緒さんのために咏んだ。それを俳句の好きなある男が嬉しがって、わざわざ私に頼んで、短冊に書かせて持って行ったのも、もう昔になってしまった。
         硝子戸の中(25) から

 本名大塚楠緒子といわれるこの女性は漱石の永遠の女性ともいわれ、鏡子夫人の書いた「漱石の思い出」では触れられていない。彼女の夫の大塚保治は「我が輩は猫である」の美学者「迷亭」のモデルといわれる。この女性は漱石ではなく大塚保治を選択し(あるいは漱石が「譲った」か)、結ばれなかったことが後の漱石の小説世界へとつながったという評伝もあるようだ。実際のところは私にはわからない。その真偽を追求することもないと思う。
 彼女はいくつかの小説とゴーリキーの翻訳などを行っている。

 詩人の高畑耕治氏のブログ「愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想」の2012年10月7日の記事に、「大塚楠緒子の詩。女心に咎ありや。」というのがある。そして彼女の詩「お百度詣」を引用している。(http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-408.html)

 初回は、大塚楠緒子(おおつか・くすおこ、1875年明治8年~1910年明治43年)の詩です。私はこの詩人を知らず作品も今回初めて読みました。
 「太陽」1905年明治38年1月第十一巻第一号に初出。日露戦争を背景にしています。
 この特集でもこの詩人の次に同じ戦争を背景にした与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」が掲載されています。(次のブログで書きました「戦争を厭う歌。『日本歌唱集』(五)」)。

  お百度詣     大塚楠緒子

ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、
ふたあし国を思へども、
三足(あし)ふたゝび夫おもふ、
女心に咎ありや。

朝日に匂ふ日の本の、
国は世界に唯一つ。
妻と呼ばれて契りてし、
人も此世に唯ひとり。

かくて御国(みくに)と我夫(つま)と
いづれ重しととはれなば
たゞ答へずに泣かんのみ
お百度まうであゝ咎ありや

 作品は近代詩の曙光といわれる島崎藤村の『若菜集』などと同じように、文語の七五調、音数律のリズム感の快さが散文ではない詩として感じとらせてくれます。
 私は、世間一般の論調が、戦争讃美の勇ましさを善と叫んでいる時代に、このような静かな心の真実を作品とした作者を尊敬します。
 晶子の詩のような強靭さとは違う問いかけ方をこの詩人はします、自問するように。「女心に咎ありや。」
 国と愛する人を計りにかける、隠れキリスタンへの踏み絵のような問い詰めに対して、晶子のように真正面に反論する方法ではなく、この詩人のありのままの想いで抵抗します。
「たゞ答へずに泣かんのみ」
 私は、人間には真理は示せないけれど、心の真実をふるわせ伝えようとすることはできる、それが詩だと思います。
 晶子と楠緒子は、それぞれの個性のふるえだす形で、偽りのない心の真実を歌っているから、表情はちがうそれぞれの詩が、心を打つのだと思います。この詩に出会えてよかった、そう感じます。

と記されている。私は大塚楠緒子という名は聞いたことがあるが、作品を見るのは初めてである。高畑氏の指摘のとおり、与謝野晶子の詩のように強靭でもストレートなもの言いではないが、抑制された表現の後ろに芯をしっかり構えているように感じた。いい詩を教えてもらったと思う。
 その上で漱石の俳句とこの詩を、並べてみるのもいい。いろいろと考えが浮かんでくる。いづれも根拠のない想像であっても、作品相互の響きあいというのは心をときめかせることがある。また彼女の作品ばかりか与謝野晶子の作品も含めて、日露戦争という時代、国家の論理が社会を覆う時代への、漱石なりの違和感も含めてあの句があったと理解してもいいかもしれない。あながち飛躍しすぎともいえないと、勝手に思っている。

重陽の節句と黄菊

2014年09月07日 16時25分51秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 重陽の節句は9月9日、今年の旧暦では10月2日になる。
 何年か前にふとしたことから菊の花に惹かれてから、この日が気になるようになった。重陽の節句というのは別名菊の節句ともいう。菊の花というのはどうも好きになれなかったが、光るような黄色の大きな花をある年の菊花展で見て、気に入って購入した。
 3本仕立ての高さ50センチに満たない小さな鉢だったが、長い間輝くような黄色を楽しませてくれた。翌年位は大きな花をつけてくれる。3年目には我が家の管理では花は極端に小さくなるか、蕾もつけなくなる。そうするとまた安いものを購入してくる。そんなことを幾度か繰り返している。
 基本的に黄色が好きで購入するのはほぼこの色である。3年ほど前に小さな花がつくものを4鉢ほど買ってみた。これはこれでまたいいものである。少しずつ好みも変わってくるものである。


★辞書買ひに出づ重陽の陽射し浴び  原口英二
★きしきしと重陽の米研ぎにけり  吉田みえ子
★重陽の膳なる豆腐づくしかな  藤本美和子
★菊の日や水すいと引く砂の中  宇佐美魚目
★重陽や子盃なる縁の金  鷹羽狩行
★次の世のしづけさにある黄菊かな  浅井一志
★ある程の菊なげ入れよ棺の中  夏目漱石
★白菊の目に立てて見る塵もなし  松尾芭蕉


 本日は朝から小雨がふったりやんだり、部屋の外も内も湿気が多い。外は涼しいが、部屋の中は蒸し暑い位である。
 朝から何となく出そびれて、この時間までパソコンの前でグズグズしてしまった。雨の日というのは、気分が内向きになる。


今井信子「ヴィオラ協奏曲」(バルトーク、ヒンデミット)、 「浄夜」(シェーンブルク)

2014年09月07日 15時50分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 今井信子の独奏によるバルトーク(1881-1945)のヴィオラ協奏曲、ヒンデミット(1895-1963)のヴィオラ協奏曲「白鳥を焼く男」、シェーンベルク(1874-1951)の浄夜(弦楽合奏版) を聴いている。
 3人の作曲家はともに現代音楽の旗手として有名だが、いづれも19世紀後半以降に生まれ、ナチスの迫害を受けアメリカに亡命し、第二次世界大戦後に亡くなっている。ヒンデミットは超絶技巧のヴィオラ奏者としても活躍している。
 2008年の録音だから今井信子65歳の時の演奏である。

 現代音楽はあまり私は聴くことは少ないのだが、レコード店で表紙にパウルクレーの「昇りゆく星」(1931)が使われているのと、今井信子演奏というのに惹かれて、なんの躊躇もなく購入した。購入してとても満足している。

 ヒンデミットのちょっとショッキングな「白鳥を焼く男」の題名の由来は、終楽章が「あなたは白鳥の肉を焼く人ではありませんね」という民謡を元にしていることからつけられたという。しかしこの民謡の歌詞の内容をネットで探したがわからなかった。

 ヴィオラという楽器、管弦楽曲の中では目立たないが中低音の支えとしてとても重要な楽器である。ところが音としては目立たない。楽器の構造上からもどこかどんよりとした音質である。バイオリンのようにキリッとメリハリの効いた音質ではない。チェロのように朗々と響くわけでもない。そのくせ音色はやはりバイオリンやチェロに似ている。自己主張の特異でない楽器である。音も少し弱い。
バイオリンよりも4度低いだけの楽器なのだが、こんなにも性格が違うというのが不思議である。管弦楽曲でも、弦楽合奏でも、あるいは弦楽四重奏・五重奏でもヴィオラを聴き分けることのできる人は少ない。弦楽器を惹いたことのある人でないと区別がつかないらしい。
 
 ヴィオラの曲はいづれも今井信子のものしか私は持っていない。バッハのヴィオラソナタ、バッハのチェロ組曲のヴィオラ版、ブラームスとシューマンのヴィオラソナタ。この3枚と今聴いているCDだけなので、他のヴィオラ奏者との比較ができない。しかし自在で、高音ではヴィオラらしい音の厚みを感じさせながらもバイオリンに伍するような美しい音を聴かせてくれる。
 特にこのバルトーク、ヒンデミット、シェーンベルクの、境遇は共通しているものがあるものの曲の個性はまったく異なる曲をエネルギッシュに弾き分けている。3曲とも20分を超える大曲で、技巧も高度である。

 パルトークのヴィオラ協奏曲はバルトークの遺作ともいうべき曲で、独奏パートは作られていたが、オーケストラ部分は簡単な和声の進行しか出来上がっていなかったものを死後弟子が補作したらしい。
 この3曲の中では一番親しみの湧く曲かもしれない。特に第2楽章は美しい。ヴィオラの中低音の美しさに着目した曲である。第3楽章の荘重な響きは捨てがたい。

 ヒンデミットのヴィオラ協奏曲の第1楽章の出だしのヴィオラのメロディーにホルンの演奏が絡んでくるところがいい。ヘッセン地方というフランクフルトに近い付近の子供の「山と深い谷のあいだ」という歌に基づくらしい。
 そして第2楽章の出だし、ヴィオラとハープの二重奏の「さぁ葉を芽吹かせろ、菩提樹よ、葉を芽吹かせろ」のメロディーが気に入っている。
 第3楽章はヴィオラとオーケストラの早いパッセージにる掛け合いが新鮮に聞こえる。

 シェーンブルクの浄夜は、作曲家自身のこだわりの曲らしく、最初は弦楽六重奏曲として作られ、弦楽合奏用に変奏され、さらに管弦楽用に作り直されている。シェーンブルクという作曲家の曲はこれしか持っていない。随分と厚味のあるオーケストレーションをする作曲家という印象を持った。

   


次第に強くなる雨

2014年09月06日 23時49分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 23時30分の時点で雨がまた強くなった。雷はなっていないが、先ほどより強く、そして長く降りつづける雨である。雨の音が次第に大きくなってきている。
 聞こえてくる雨の音は、頭の上から抑えられるような圧迫感がある。

 京浜急行が落雷で運転見合わせ、横浜線が大雨で遅延とのメールも受信した。

 今夜はこのような雨が続くのであろうか。団地の中は静かで、何処の家でもじっとこの雨を聞いているような雰囲気がしている。強い雨は人の気持ちを不安にさせる。

ヴァロットン「ボール」再考

2014年09月06日 23時08分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほど突然ごく近くの距離で雷が鳴って、雨が降り始めた。大雨洪水警報、雷注意報が発令され、横浜市から豪雨情報がメールで来た。雷があまりに近いので用心のためパソコンの電源を落としてコンセントも遮断した。
 ようやく雨も小降りになり、雷鳴も遠くなったので再びパソコンを立ち上げてみた。しかし雷鳴が空に反射して長く鳴り響いている。

 この間にテレビで「美の巨人たち」でヴァロットンを取り上げていたので見ていた。三菱一号館美術館でのヴァロットン展のチラシでも取り上げられた「ボール」という作品の解釈についてアプローチを試みていた。土がむき出しのところで黒い雲のように影を後ろにして赤いボールを追いかける少女と、草地の向こうの大人の女二人の世界。これを大人の世界と子供の世界、あるいはヴァロットンの結婚前の画家仲間との世界と、ブルジョアの階層の女性との結婚後の世界との落差に対する画家の戸惑いを描いている、というような解釈をほのめかせて番組は終わっている。
 この解釈が妥当かどうか、結論はつけていない。また赤いボールが危険の象徴のような示唆があったが、これは説明が私には尻切れトンボのようではっきりしなかった。私の聞き方が悪かったのだろうか。

 支店の違う二枚の写真の構図の合成によって、何とも不思議で、不気味な世界というヴァロットン展での説明はどうも得心がいかなかった。今回のテレビでの解説も参考にしながらこれからまたこだわって考えてみたい。

 本日の講座の時に教えてもらったが、少女の後ろの雲のような影が津波のように迫っているという恐怖感、これは私は気が付かなかった。この影のようなものは、少女の上を覆っている樹木の影とばかり思っていた。樹木と影の方向が、少女とその影とは反対であることの不思議な感じばかりに目を奪われていた。そういわれて再度樹木をみると少女の上の大きな枝のような緑も不気味である。画面から浮き出た生き物のようにも見える。
 この絵の解釈には悩まされそうである。


 

等伯には及ばないが‥&本日の講座

2014年09月06日 10時29分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨夜は自分のブログ「長谷川等伯の松林図のようだった山道」にモノクロ仕立ての写真を一枚添付してみた。モノクロの方が濃い霧の山道の雰囲気を表すことができるようだ。添付した途端にパソコンの前でぐっすり眠ってしまった。

 本日の講座は午後からふたつ。



 連続講演会「日本を読む-未来に向けて」の最終回。河野洋平元衆議院議長の「昨今の政治・外交について思うこと」。いわゆる河野談話についての講演があるものと期待している。

 もうひとつは「旬なアートで楽しむ美術鑑賞 西洋美術編」の第3回。これも最終回。ヴァロットン展などの見どころなどの話を聞くことができる。

明日は休肝日に

2014年09月05日 21時30分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 とりとめのない感想‥。

 夕方から少々飲んで帰宅。夕食前には家に入ることができた。17時前に飲むアルコールは酔いがとても回るような気がする。やはり17時以降に飲むのがいいようだ。
 明日はアルコールを抜きに過ごしたい。

 ようやく太腿の筋肉の疲労感が解消された。ただしまだ両肩筋肉が少しこわばっている。荷物はすごく軽かったのだが、長時間の歩行の姿勢を保つことで無理がかかったのかもしれない。

 ずっと濃いガスの中を歩いたが、鼻の頭が白く向け始めている。ガスの中といっても紫外線の影響は都会よりも強いのかもしれない。ヒルに食われた傷口は目立たなくなっている。昨日は皮膚科が休みであったし、本日は行くのを忘れてしまった。明日土曜日は開院しているので午前中に忘れずに行きたい。


神奈川大学の生涯学習講座の申込み

2014年09月04日 23時34分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日神奈川大学の生涯学習講座の後期の申し込みを行った。ネットからの申し込みで簡単に申し込める。
 今回の講座からは平家物語と源氏物語の購読に近い内容のものを選んでみた。いづれも回数の多い講座なのでその他の講座も少し削減した。さらに平安時代の歴史の講座は遠慮せざるを得なかった。
 美術関係の講座は3科目。特に今回「比べて楽しむ美術鑑賞」という講座が目をひいた。3回の連続だが一回120分と長い。「新しい絵画の始まり:ルネッサンスと狩野派」「過激な表現:バロックと桃山文化」「華やかな美術:ロココと錦絵」ととても刺激的な表題が並ぶ。
 「ユーラシア大陸の西と東でまったく異なることをやっているように感じますが、実は似ているということを発見する旅」という刺激的な題である。私の言葉でいえば、ヨーロッパと日本の「美術の同時代性」ということになる。人間精神の同時代性、社会的な制約との拮抗関係で生じた美術史という視点で、比較することはとても刺激的で、有意義である、と思っている。
 楽しみにしている。

長谷川等伯の松林図のようだった山道

2014年09月04日 16時02分38秒 | 山行・旅行・散策


 松ではなくブナてはあったが、何となく等伯の松林図を思い出しながら昨日の山道を辿っていた。猟犬とヒルの事態が無ければ昨日の丹沢の眺めはとても素晴らしかった。丹沢ならではの山の表情だったかもしれない。
 昔、奥秩父の甲武信・国師岳付近、鳳凰三山のあたりでも似たような景色の中を歩いた記憶がある。このような景色に再び巡り合えると嬉しい。

 反省点は、まず登りで飛ばし過ぎたこと。大倉尾根の登りの前半は樹林帯の中の土が靴底に心地よい感触を提供してくれた。久しぶりに樹林帯の中の道を堪能できた嬉しさで飛ばし過ぎたようだ。それに耐えられるだけの体力づくりはしていなかった。
 それが後半のバテに繋がった可能性がある。そして太腿の攣りは久しく起きていなかった。丹沢山で昼食休憩後は太腿の筋肉の痙攣は無くなったが、鈍痛は本日も続いている。筋肉疲労が順調に回復しているのはよくわかる。
 最近ウォーキングはしているが、ジョギングをしていない。太腿を上にあげる運動をしていないと登山で疲労がかさむと太腿の筋肉に影響が出るものと思われた。
 長時間でなくとも、激しいものでなくとも、ジョギングをウォーキングの中に取り入れることを忘れないようにしたい。

 次に左足の外側のくるぶしの痛みに対する対処を考えなければいけないのかもしれない。ここ数年来特に気になる。前回の雲取山では下りの最後では妻の方が軽々と歩いていた。痛みがとっさに出るときと出ない時があり、痛みのことを考えるととっさに左足が前に出なくなる。ちょっとした山道の段差が怖く感ずることがある。
 山登りを始めたときから下りでは左足から疲労が始まることが気になっていた。スポーツ医学の専門家にでも聞いた方がいいのかもしれない。いつもの整形外科医院ではちょっと頼りない。
 今回は道に迷わなければ、下りも4時間半が4時間45分だから特に遅いわけでもない。しかしコースタイムどおりに歩きとおすのはそろそろ限界なのかもしれない。

 また腐った木、特に湿気の多い場所では、休憩することも避けて、ヒルの生息場所に近寄らないことを肝に銘じておかないといけない。丹沢は最高峰が「蛭ヶ岳」である。「蛭」の地名のつくところは要注意であった。


丹沢山行のまとめ

2014年09月04日 12時14分44秒 | 山行・旅行・散策


 今回のコースは久しぶりの丹沢。表尾根の大倉尾根から塔ノ岳-丹沢山-丹沢三峰-宮ケ瀬ダムというコースを選んだ。
 コースタイムで9時間あまり。ただし後半の宮ケ瀬ダムに降りるコースは人があまり歩いている様子はない。
 大倉尾根は過去に二度下りとして利用したことがある。登りは初めて。塔ノ岳-丹沢山の間は30数年前に大山から出発して蛭ヶ岳-檜洞丸-奥箒沢へ縦走したときに通った。この時は丹沢山のみやま山荘で1泊している。
大倉尾根は下りは快適であった。道は当時もよく整備されていた。今回これを登ったが、なかなかつらいものがある。前半は花立山荘までは快調に飛ばした。そこから前の晩の睡眠3時間半というのが効いてきた。異常な大量の汗をかき、軽い熱中症かと思われたので、ここからはゆっくり登った。塔ノ岳にはコースタイムより少し短めで到着。



 残念ながら途中から濃いガスが覆ってきて頂上からの展望はまったく見えない。しかし風の無い濃いガスの山というのもなかなかいいものである。
 昔と違うのは、登山道の整備が進み稜線の植生回復のため木道や木の階段、梯子が多用されて直接地面を踏まないようになっている。これはこれで止むを得ないのかと思うと同時に、土の上を歩く感触がなくて寂しさも感じた。
 さらに後半からは金属製の網が登山道を挟んで両側に10~20メートル巾で続いている。人が立ち入らないためではなく二ホンジカの食害が守るためということらしい。
 すっかり管理され、囲われた中を歩くというのはさびしいとは思うが、とりあえずやむを得ないものと了解はした。
 懐かしい尊仏山荘に入り、予定にはなかったがエネルギー補給のためにカップ麺とスポーツドリンクを購入して40分ほど休憩。最後の登りで両足の太腿がつったのは久しぶりの事態で予想外。丹沢山まではこの太腿の痛みを味わいつつも久しぶりの事態を楽しみながら1時間で到着。ここも深いガスの中。



丹沢山で50分ほどの昼食休憩。持って行ったおにぎりが美味しかった。サイダーも購入してスポーツドリンクと混ぜて飲んだ。たぶんこれで以降の太腿の痙攣は治まったと思う。

 しかしここでビックリの事態その1。木のテーブルで寝ていたら急に人の気配が大きくなって細目を開けたら、すぐ横にライフル銃らしきものを背負った人が立っている。思わず済州島で出会った韓国軍の行軍演習かと目を疑い、次にとうとう安倍総理のもと自衛隊も行軍練習を一般登山道の山中ではじめたのかと思った。
 起き上がってよく見ると迷彩服ではなく、赤とオレンジの目立つ服装で、銃も軍隊用の威力のあるものではなく狩猟用の散弾銃であるのがわかり、少しほっとした。会話を聞いているとこの丹沢山の直下の堂平方面で二ホンジカを撃っているらしい。宮ケ瀬ダムに向かう道から下に向かうグループに登山道から外れないよう話をしていた。登山道を歩いている限りは安全であるとのことであったが‥。私が山に入る日が狩猟の日と重なるのはつらい。 塔ノ岳から聞こえていた遠い雷鳴とは別に下の方で大きな掛け声と鋭い発砲音が聞こえてきた。それでも若い人のグループは堂平に降りて行ったから私も大丈夫と判断した。

   

 宮ケ瀬湖まで11キロ、4時間45分のコースを12時15分に出発。コースは深い森を濃いガスが覆って静かで、幻想的な気持ちのいいコースである。巾20~30メートルの塔ノ岳から続くネットとその趣旨を大書した大きな看板が興ざめではあるが、止むを得ないのであろう。丹沢三峰という三つの峰はいづれも展望は無く、奥秩父の甲武信岳、国師岳付近の縦走路を思い出した。三峰を越えて本間ノ頭までが稜線を辿る道で高低差もある。

 ここでビックリの事態その2。三峰の中間峰の太礼ノ頭を超えたところでかなり前方の道に白いものが私と同じ方向に進んでいるのを見た。白いのでクマではない。シカのお尻かと思えた。しかし両サイドのネットを超えて入り込むわけはないので目の錯覚かとも思えてそのまま進んでいくと、下から犬が3頭進んできたのに気付いた。距離にして20メートルほど。思わず「野犬」と思い、その場に凍り付いた。
 とっさに間違いなく襲われる、無事ではいられない、良くて重症、多分人生の終了と思った。不思議と足は震えないで意外と冷静に自分を観察するものである。3頭は白い犬を先頭にあたりを嗅ぎまわりながら進んでくる。しかし不思議に私の方をチラッとみたが、身構えるわけでもなく飛びかかる気配も見せない。
 そして首に無線をつけているのがわかった。細いアンテナが揺れている。これで猟犬であることはわかった。しかしこの巾30メートルのネットに挟まれた登山道にどうして入ってきたのだろう。これが今でも解せない。そして3頭とも人の歩く登山道沿いに私に向かってくる。
 たとえ襲われても、怪我をしたり殺されてもすぐに人に見つけられることは間違いないな、と他人事のように思ったというのは不思議である。犬は多分シカのにおいを追っているのであろう。まったく人間の私には興味を示さずに、私の足元を尻尾を私の足に触れるように通り過ぎていった。私はただ立ち尽くすばかりであった。
 3頭が私の歩いてきた道の方に50メートルほど去って後ようやく私はひとつ深呼吸をして我に返ったような気がした。そして足が震えだした。もしクマが出現してもこのように何もできないうちにきっとクマに襲われるのかな、との思いも湧いてきた。
気を取り直して3分ほど歩いた時、後ろに荒い息を感じ振り向くと先ほどの3頭の先頭にいた白い犬が5メートルの至近距離をこちらに向かっている。このときは足が震えて立ち止った。「襲われる」と観念した。しかし犬はまた私にはまったくなんの興味を示さず通り過ぎて、視界から消えた。他の2頭は見えない。再び歩きはじめると今度は向かい側から先ほどの白い犬が登山道を外れてフェンス沿いに登ってきた。これは少しゆとりをもって立ち止まって見送った。
 その後犬を見かけることはなかったが、しきりに下の沢の方から発砲音は引き続き聞こえてくる。あの3頭は間違えて登山道に入り込んだのだろうか。いづれにしろたいへん怖い思いをした。人が引率している犬ならば別だが、こんな怖い思いをさせる狩猟方法はやめてほしいものである。猟友会の役割や苦労についてはマスコミ報道の程度には理解はしているつもりだが、こんな事態は是非やめてほしいと思う。
 本間ノ頭の手前で、丹沢山を過ぎてから初めて人とすれ違った。猟犬の話をしたらその人も驚いていたが、私からは「遭遇したとしてもも、猟犬は人には興味をしめさないようだから、静かに見送るしかない」と伝えた。本日ニュースにはなっていないので無事だったのだろう。

 この先は1000メートル以下となり稜線というよりも尾根道に入るのだが、道は良くない。急傾斜の山肌を細い踏み跡が続きなかなかスリルがある。ハシゴ、ロープ、クサリがところどころある上に、山肌が崩れて鉄板でわたるなど変化に富んでいる。これまでの登山道とは一味違う。同時にだんだん左足首の痛みがひどくなってきたので、下りは思うように足が前に出ない。いつもの症状である。
 途中高畑山の頂上を踏むためにそちらに入ったが、頂上から先は赤いテープがあるのだが、藪漕ぎとなる上にテープが見えなくなってしまった。やむを得ず引き返してトラバース道を歩いた。ここで約30分のロス。
 この後は数か所の細いところがあったが道はわかりやすい。しかし足首をかばってゆっくりと歩くことにした。



 この写真の先あたりで休憩を取ろうとして枯れ木に座ろうとしたが、腐っていてブヨブヨしていたので止めたが、どうもこのあたりでヒルが登山靴に付いたようである。



 この休憩から1時間ほどして登山口に付いた。到着したのが17時30分。丹沢山を出発してから5時間15分。途中30分ほどのロスがあるので、コースタイムより15分程の遅れで着いたことになる。猟犬との遭遇でのロスは5分ほどであったろうか。

 さてここでビックリの事態のその3。登山口から宮ケ瀬のビジターセンターまで15分の道を歩き始めてから靴の紐を直そうとしたらヒルが2匹毛の靴下の上から吸い付いているのがわかった。ヒルを見るのは初めてだが、すぐにそれとわかった。右は足の脛の前側、左は脹脛。慌ててタオルを使って引っ張ったが途中で切れるとまずいと思い、そっとはがすように取り除いた。血で太くなっていて長さが5センチ以上に伸びている。それをアスファルトの上でつぶした後、靴をよく見ると3匹が紐の間に隠れている。これを紐を解きながら叩き落とした。靴を念入りに点検し、さらにリュックや衣服も点検してヒルがいないことを確認。
 ビジターセンターにある、ホテル「みはる」でお風呂にいれてもらった。お風呂は広くて、とてもいい風呂。登山の最後は温泉でなくともこのような風呂があるとしあわせである。
 ここの宿の人からヒルに噛まれた後の血は出来るだけ出し尽くした方がいい、お風呂で流すと血が余計出るが心配するな、とアドバイスを受けた。ありがたかった。シャワーを掛けながら傷口の周囲を押して血をかなり出してから湯船に浸かった。着替えている間にも血がたらたら流れつづけていた。
 ビールを待つ間にネットで調べて、ステロイド剤を塗ることがいいことがわかり、医師に虫刺されのときに使えといわれ処方されていたストロイド剤をいつも携行しているのでそれを縫った。食事がすむ頃には血も止まり、ホッとした。



 この「みはる」では、レストランも終了間際で、客も私一人であったが、バスのある時間まで約1時間半、ビールとハイボールとつまみ一皿、冷やし中華という客一人にちゃんと応対してもらえた。感謝である。

ようやく帰宅

2014年09月03日 22時07分54秒 | 山行・旅行・散策
 先ほどようやく帰宅。都合5万3千歩はさすがにくたびれた。本日中に報告を記載しようと考えていたが、無理なので明日に詳細をアップすることにした。

 朝6時30分に大倉尾根を登りはじめ、18時に宮ケ瀬ビジターセンターまで11時間30分かかってしまった。予定では17時前に到着予定であったが、やはり下りが辛い。左足の足首が下りが長引くと悲鳴を上げ始める。下りはそろそろコースタイムでは歩けないようだ。登りはいつも快調なのだが‥。

 本日の山行のトピックスは、猟友会の鉄砲、猟犬との遭遇、ヒルに2か所食われる、この3つ。猟犬との遭遇は怖かった。初めての体験であった。

 ということで本日はこれから就寝。