Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「藤原定家「明月記」の世界」 四

2020年12月15日 20時32分59秒 | 読書
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 午後は買い物に付き合ったのち、家電量販店にてマグネット付き電源タップとUSB延長コードを新規購入。相変わらず横浜駅の人出はすごい。家電量販店も書店も込み合っていた。

 喫茶店で「藤原定家「明月記」の世界」の第7章「紅旗征戎非吾事」を読んだ。この有名な言葉が、明月記の1180(治承四)年7月に記されているのであるが、この本では、41年後の承久の乱(1221(承久三)年5月14日後鳥羽上皇挙兵)の直後の21日に書写した後撰和歌集の奥書に同様のことが書かれていることが記載されている。
 作者は前者を「おのれと武者という存在を区別する典型的な貴族意識の表明」、後者を「承久の乱を起こした院を批判する気持ちが込められている」と違いを記している。
 さらに「「治承の文」と「承久の文」の間には40年もの歳月が流れている。その時間がもたらした言葉の内実の違い、込めた思いの深化を感じ取りたい。そして定家が古典の書写を自分の使命であると自覚し、自分の生き方の出発点としている――定家にとっての承久の乱は、そんな覚悟を促した戦であるように思われる」と記している。
 そして定家の後鳥羽院との決別へと筆を進めている。

 堀田善衛の著書にはこの「承久の文」については触れていないが、しかし院との決別については、多くの言葉を費やし、詳細に述べていた。



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