Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

高見順「死の淵より」から

2020年02月10日 23時21分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連

  生と死の境には

生と死の境には
なにがあるのだろう
たとえば国と国の境は
戦争中にタイとビルマの国境の
ジャングルを越した時に見たけれど
そこには別になにもなかった
境界線などひいてなかった
赤道直下の海を通った時も
標識のごとき特別なものは見られなかった
否 そこには美しい濃紺の海があった
泰緬国境には美しい雲があった
スコールのあとその空には美しい虹がかかった
生死の境にも美しい虹のごときものがかかっているではないか
たとえ私の周囲が
そして私自身が
荒れはてたジャングルだとしても

 ふと、今朝起きぬけにこの詩が頭に浮かんだ。あわてて詩集を紐解いたら、最後の3行が記憶になかった。この最後の3行、読み返してみてよくわからなかった。まだわからない。分かるまでまた、頭の片隅に記憶しておくしかない。


夜のウォーキングは・・・・

2020年02月10日 19時36分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 パスポートセンターで更新の申請を提出、20日に出来上がるらしい。申請はしたもののこれから海外に旅行に出かける予定はないし、数年後にそれだけの気力が湧いてくる自信もない。しかし取りあえず更新しをしてみた。更新は2回目であった。顔写真が毎回見るも無惨な顔になっている。それが私の顔なのであるが、とても見るに堪えない。見たくない顔である。他人から自分がこのように見られている、ということが到底納得できないのだが、もうあきらめの境地である。

 いったん帰宅後に、別の所用のために横浜駅まで一人で往復歩いた。眼鏡は店に預けてあるので、眼鏡なしで歩くのに不安を感じた。手術後、両眼で0.6の視力である。昼間は特になくともいいのだが、そうはいっても、まったく手に持っていないで歩くとなると不安になる。
 眼鏡を掛けなくとも持っているだけで一応安心感があった。

 しかし夜のウォーキングは避けるか、できるだけ短時間にした方が良いようである。眼鏡を掛けずに深夜に出歩くのは怖い。眼鏡が出来るまでは、夜は団地の中のウォーキングにするか、妻に同行してもらうか、どちらかであろう。妻は間違いなく拒否する。ということでできるだけ昼間のうちに目標の歩数を達成した方が無難である。


宵っ張り・朝寝坊

2020年02月10日 08時39分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 二人で午前中に出かけることはめったにないのに、本日は朝から夫婦ででかけることになり、あたふた。当初はパスポートの更新の申請に午後から出かける予定であった。昨晩親の家に家電製品の配送時間が急に繰り上がりとなったために、午前中に申請に出かけなければならなくなった。

 歳を取ると早起きになる、というが我が家は宵っ張り・朝寝坊の家である。親もまた同じである。私の団地でも朝5時前から団地の中を歩いているお年寄りもいる。
 日の出前から起き出して日の出とともに活動を活動するのが、人間の本来の姿である、と昔の仲間にカツを入れられたことがあるが、わたしにはどうしても実行に移すことが出来なかった。十代の頃から夜更かしばかりしていた。

 現在、8時くらにいは起きている。これで定着しており、これ以上遅くまで寝ていることはないので、歯止めにはなっている。
 もっとも深酒をした日などは10時まで寝ていることは月に2回くらいはある。

 学生時代、誰も起こしてくれる人もないので、夕方まで寝ていることも多かった。目が覚めているのに、煎餅布団から抜け出せなかった。それに比べたら現在は立派なものである、と自画自賛している。

 洗濯も終わりに近づいた。そろそろ出かける用意を始めないと叱られる。