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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日から長野へ旅行

2017年06月11日 22時24分34秒 | 山行・旅行・散策
 明日からは別所温泉と湯田中温泉にそれぞれ1泊することとなった。母親と妻と3人の家族旅行である。母親の誕生祝を兼ねて、旅行を企画した。いろいろと慌ただしい日が続くが何とか合間を縫って計画を立てた。
 我が家には自動車はない。新幹線と列車での移動である。

 長野市の最高気温が明日からの三日間は18℃、23℃、22℃となっている。行きは半袖、向こうでは長袖ということになろうか。薄いウィンドブレーカーを1枚リュックに追加した。
 あとはカメラと新幹線の中で読む本を入れて用意は終了。

シューマン「クライスレリアーナ、幻想曲」

2017年06月11日 21時10分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 今年の1月に続いてアルトゥール・ルービンシュタインの演奏によるシューマンの「クライスレリアーナ作品16」と「幻想曲作品17」を聴いている。
 クライスレリアーナは第2曲が親しまれているが、全体を通しても聴きあきることのない曲である。ルービンシュタインの演奏はメロディが浮き上がってくるようだ。私は偶数番の曲が気に入っている。付点音符のついた激しく躍動するリズムよりも、瞑想するようなメロディが繰り返される偶数番の曲に好みである。


「くもの糸一すぢよぎる百合の前」(高野素十)

2017年06月11日 17時27分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 大岡信は「百人百句」(2001年)の中で次のように記している。
「虚子の唱えた客観写生、花鳥諷詠という言葉をしたもっとも大きな存在は高野素十(すじゅう)である」
「戦後、1970年台以降の一時期、素十の句を非常に重んじる俳人が増え、対照的に秋桜子の権威が薄れたことがあった。これは1950年ごろから句会を席巻していた、金子兜太をはじめとする前衛俳句が70年代に入ると息切れしてしまい、もう一方の水原秋桜子的な新感覚の俳句といわれたものも一応時代のなかでその役割を果たした形で、むしろ生活に密着したような俳句が俳人たちの間で見直され‥高野素十の句が、いぶし銀のごとく光ってきた」

と述べている。

 細い蜘蛛の糸が一筋あり、その後ろに豪華な百合の花を配ししている。存在すら目に入らないかもしれない蜘蛛の一筋の糸、コントラストが見事である。クローズアップの技法による写真を見る気分である。蜘蛛の糸に水滴でもあればなお目立つ。
 このように見ると高野素十の句は、写真にするといいかもしれない。

 大岡信がこの「百人百句」で引用した高野素十の句は、
★空をゆく一かたまりの花吹雪
★大榾(おおほだ)をかへせば裏は一面火
★春水や蛇籠の目より源五郎
★朝顔の双葉のどこか濡れゐたる
★蟻地獄松風を聞くばかりなり

などである。

 私は、このような句にも、いわゆる前衛俳句や新傾向俳句などにも強く惹かれる。前衛俳句や新傾向俳句、無季俳句などは作ろうとしてもなかなか作れない。読んで惹かれるものと、出来上がりがいつも正反対である。
 いつしか句をつくるのをやめてしまった根拠はここにある。

呑み過ぎた翌日はウーロン茶がおいしい

2017年06月11日 10時49分30秒 | 読書
 少し多めにお酒を飲んだ翌日はウーロン茶が美味しい。人それぞれに好みがあるだろうが私はウーロン茶が嬉しい。体の中に隅々まで入り込んでいくような感じがする。茶葉を湯呑の底に入れて、熱湯を注いで1分ほど蓋をする。茶葉が沈んでから飲むのだが、茶葉を変えずにだいたい3杯ほど飲む。

 茶葉はそのままだと大きく膨らむので、前もって細かくしている。ビンの中に茶葉を入れて指で押し付けて細かくしている。細かくすると唇に茶葉が邪魔にならない。しかし細かくするのにそれなりに力がいる。何かいい方法はないか、検討している。すりこ木を利用する方法もありそうだ。
 生姜の粉末を加えることもある。特に冬場は温まるような気がする。

 使っているウーロン茶の葉がなくなりかけているので、次のものを購入しなくてはいけない。いつもは中華街で安いのを少量購入してくる。菊の花が入っているものを前回購入した。細かくする前に菊の花が開いた姿を1度だけ見た。私は特に菊の花の香りや味を感じなかった。妻は菊の花の香りがするといっていた。よい香り、特に花の香りを感じない私の鼻ではもったいなかったようだ。