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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夏の月と青葉木菟の声

2017年06月10日 08時07分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は東京都内で最高気温が32℃という予報。今年一番の暑さと思われる。横浜でも30℃となっている。ただし風があるようで、真夏のうだるような暑さとは違いがありそう。
 昨晩の満月は雲の切れ間から顔を出したり、滲んだ顔となったりとなかなか見飽きなかった。やはり月というのは、雲があったほうが楽しめるものである。また樹間に見え隠れするのも風情がある。
★夏の月蔵の小窓をうごかすよ    渋谷 道
★夏の月昇りきったる青さかな    阿部みどり女


 そして昨晩は青葉木菟(あおばづく)のホッ、ホ―という声を聞いた。あのような低音の声は不思議な懐かしさをつれてくる。丸みのある声が好ましい。

★青葉木菟おのれ恃めと夜の高処     文挾夫佐惠
★青葉木菟霧ふらぬ木はなかりけり    加藤楸邨


 第2句は「野哭」所収の1945年の句。「6月9日、伊豆」と前書きがある。敗戦直前の句である。その少し前には「飢餓地獄夏の障子のましろきを」があり、少し後ろには昨日取り上げた「梅雨の月明日食ふ米を問ひてねむる」という句がある。8月15日を前にした、出口の見えない苦しい飢餓と空襲という死と通り合わせの不安の日々の中で、青葉木菟のあの低音のやさしい声はどのように聴こえたのであろうか。青葉木菟も霧もひょっとしたら不安や消失というイメージをともなって聞こえたのであろうか。加藤楸邨などの世代にとっては、戦後生まれの私達と違うイメージがそれらにはあるのだろうか。
 こんなことを考えていたらパソコンの前で寝てしまっていた。朝4時ごろになっていた。慌てて布団の中にもぐり込んでそのまま寝てしまった。