大岡信は「百人百句」(2001年)の中で次のように記している。
「虚子の唱えた客観写生、花鳥諷詠という言葉をしたもっとも大きな存在は高野素十(すじゅう)である」
「戦後、1970年台以降の一時期、素十の句を非常に重んじる俳人が増え、対照的に秋桜子の権威が薄れたことがあった。これは1950年ごろから句会を席巻していた、金子兜太をはじめとする前衛俳句が70年代に入ると息切れしてしまい、もう一方の水原秋桜子的な新感覚の俳句といわれたものも一応時代のなかでその役割を果たした形で、むしろ生活に密着したような俳句が俳人たちの間で見直され‥高野素十の句が、いぶし銀のごとく光ってきた」
と述べている。
細い蜘蛛の糸が一筋あり、その後ろに豪華な百合の花を配ししている。存在すら目に入らないかもしれない蜘蛛の一筋の糸、コントラストが見事である。クローズアップの技法による写真を見る気分である。蜘蛛の糸に水滴でもあればなお目立つ。
このように見ると高野素十の句は、写真にするといいかもしれない。
大岡信がこの「百人百句」で引用した高野素十の句は、
★空をゆく一かたまりの花吹雪
★大榾(おおほだ)をかへせば裏は一面火
★春水や蛇籠の目より源五郎
★朝顔の双葉のどこか濡れゐたる
★蟻地獄松風を聞くばかりなり
などである。
私は、このような句にも、いわゆる前衛俳句や新傾向俳句などにも強く惹かれる。前衛俳句や新傾向俳句、無季俳句などは作ろうとしてもなかなか作れない。読んで惹かれるものと、出来上がりがいつも正反対である。
いつしか句をつくるのをやめてしまった根拠はここにある。