Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

杏の実

2017年06月26日 23時20分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★落ち杏(あんず)踏みつぶすべくいらだてり     杉田久女

 踏みつぶすのは別に杏の実でなくとも、梅でも枇杷でも李でもいいのかもしれない。しかし少し赤みのかかった大ぶりの杏ならば、桜の実などの小さい実よりはもっと生々しい印象を与える。かといって林檎や桃ならば大きすぎる。
 小さい実ではなく、杏の実の大きさからかなり苛立っているのであろう。そのいらだちは誰に向かっているのか、誰が原因なのかには触れていない。
 苛立ちは杏という自然を見たからと言っておさまってはいない。地面によそよそしくおさまっている杏が作者には内面のいらだちと等価なものしてと釣り合っている。その杏をこれから踏みつぶそうとしている。
 作者の存在を踏みつぶされるような敵意を相手に感じて、怒りが沸き上がっているというような激しいものではない、と私は受け取った。逆にやさしく扱われて、逆に自尊心を傷つけられたような場合なのかもしれない、と思うこともできる。そんな自分への苛立ち、そんなことに思い至った。人の心の襞をくすぐられたのかもしれない。そんな風に考えた方が、杏の容や味覚に沿うような気がしてきた。
 ひょっとしたら愛の一瞬なのかもしれない。

ブラームス「交響曲第3番」

2017年06月26日 18時50分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 カラヤン指揮のベルリンフィルの1988年の録音である。
 実は私が初めて聞いたブラームスの曲がこの交響曲第3番であった。19歳になりたての頃だったと思う。そのままブラームスの虜になった。
 木管楽器のくぐもったような響きが続く第2楽章、第3楽章がことのほか気に入った。
 旋律がこんなにもくぐもって表面に出てこない曲がどうして人気があるのかな、という疑問と同時にこのような曲を提示するブラームスという人格がとても身近に感じた。
 1970年という年の時代の雰囲気は、大学にいる自分の周囲の状況から覗く限り暗い沈鬱な世界であった。全共闘運動の敗北と後退局面、高揚のあとのけだるさと、希望などどこにもないような重苦しさにキャンパスの中は重苦しかった。60年代の空気すべてが否定され、問いに対する回答も、回答することすら憚れるような重苦しさがあった。党派性という、身に絡みつくような制約と内部対立・抗争の萌芽が垣間見えていた。
 第3楽章のチェロに始まり木管に引き継がれる主題が、そんな抜き差しならぬ予見のように感じられた。少しばかり見える明るさと自分の周囲の暗さのギャップに思えた。予見というよりも予兆というのだろうか。
 フィナーレを聴きながら、1971年という年を前にして、この暗い世界にどうやって立ち向かおうかという先の見えない反問を繰り返していたことを記憶している。ヘタな希望には自分の人生を騙されたくない。自分では論理構成できない不安と苛立ちにこのフィナーレを重ね合わせて聴いていたと思う。
 私は1971年を迎えて、どこで吹っ切れて、どこで再び立ちどまったのだろうか。すっかり忘却の彼方のこととになってしまった。
 このフィナーレの雰囲気は当時の私の心をいたくくすぐった。

 ただし当時聴いていたレコードはすでに廃棄してしまっている。ベームの指揮だったと思うが、オーケストラの名前も記憶にない。

半夏生

2017年06月26日 14時58分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 ようやくニュースの原稿がほぼ出来上がった。細かいところでは修正が必要なところもあると思われるが、あとは写真3枚貼り付け、7月1日のイベントの記事、小さな囲み記事ひとつで終了。面積にして3.8枚を埋めることが出来た。今日・明日・明後日は退職者会の業務に専念させてもらう。これを印刷所に送信する段取り。
 これを片付けてから29日から2日間は団地の管理組合の業務に専念しなくてはいけない。1日はまた退職者会のイベントに参加して追加の記事を書くことになる。綱渡りのような一週間である。

★木の揺れが魚に移れり半夏生    大木あまり
 半夏生は二十四節気七十二候のうち、夏至の第三候。サトイモ科の半夏(烏柄杓の漢名)が生じる季節。「半夏半作」という語があり、この日までに田植えを終える習わしであった。半夏雨はこのころに降る雨で、降れば大雨とされている。
 半夏生の句というと雨がつきもののようだが、この句は雨とはつながらずに成立している。明るい初夏の太陽のもとでの句であろう。私の半夏生のイメージも明るい陽射しである。