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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

木星と土星と上弦の半月

2017年06月02日 23時24分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日聞いた「シューマニアーナⅧ」(伊藤恵)から本日は「間奏曲集作品4」を聴いている。全体で21分に満たないが、変化に富んで聴きあきない曲である。1832年、シューマンが22歳のときの作品である。解説によると「衝動感あふれる運び、内なる尽きせぬ響きに彩られた意欲作で、めくるめく情熱と香ばしい抒情が聴き手を捉えて離さない」とある。私には理解できない文章である。
 私には、6曲変化に富んで、リズムと旋律のバランスが良く、聴きあきない。そしてそれぞれの主題が心地よく耳に入って来る。

 先ほど近くのドラッグストアまで買い物と軽いウォーキングを兼ねて出かけた。西空の上限の半月とおとめ座のスピカと木星、そして南の空の土星とさそり座が美しかった。北から東にかけて見えるはずの北斗七星と白鳥座は建物に隠れて見えなかった。

 わずか3000歩の間に空を見ながら楽しんだ。

慌ただしい

2017年06月02日 19時11分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日と本日、管理組合の明後日の会議の準備作業に追われた。ようやく帰宅してこれから読書と思ったが、もう夕食タイム。
 缶チューハイの誘惑に負けそうである。

 「地球の歴史(下)」の最後のふたつの章でなかなか進まない。日本列島の成り立ちについての論考が今ひとつすとんと頭の中で整理できない。理解力がないのはわかってはいるが‥。何度か行きつ戻りつしている。

 神奈川県内、強風注意報や大雨・洪水注意報、雷注意報などが発令されたり、解除されたりと慌ただしかったが、今はすべて解除になっている。

「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」(鈴木六林男)

2017年06月02日 10時17分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 大岡信「百人百句」より。
★遺品あり岩波文庫『阿部一族』      鈴木六林男
 解説では、
この句は、太平洋戦争中最も悲惨で、日本軍がほとんど全滅したフィリピンのコレヒドールの戦いの時のものではないかと思われる。この凄惨な戦いの戦死者の遺品の中に、薄い岩波文庫がおり、それが森鴎外の「阿部一族」であった。‥忠義や権威に深刻な疑問を投げかけた小説である。これは軍隊につかえていた森鴎外その人の深刻な疑問だったのだろう。この句には「悠久の大義」に殉ずべく死んでいった人の、最後まで大事にもっていた本が「阿部一族」という小説だったという皮肉がある。日本軍人の基本精神に対する大きな疑問が、所持品にあった。‥この場合抒情性をともなってしま季語はむしろない方がよい
と記している。

 「コレヒドールの戦いの時の句」と断定できる文言、表現はないので、大岡信の論の前提は鈴木六林男の経歴や句のいわれをしらない私たちには理解不能ともいえる。わずかに遺品=戦死者の遺品という想像をした場合のみ、先の戦争での軍隊への強烈な違和を前提としていることは微かに想像ができる。遺品=戦死者の遺品という等号は戦後70年を経て成り立たなくなった。それが自然過程なのか、政治的という人為的過程なのかはここでは問わない。
 ただしコレヒドールというフィリピンでの戦闘というだけに限らなくとも、「大日本帝国の軍隊」が森鴎外が違和感を抱き続けたという「日本軍人の基本精神に対する大きな疑問」を下敷きにした無季俳句が、コレヒドールという凄惨な戦いの具体的な喚起力がなくとも、あったことは残るのであろうか。

 この句が人々の記憶に残る社会であってほしい、という願望は捨てたくはない。