Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

二十日の月と凍星を見ながら‥

2016年12月18日 23時22分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夜のウォーキングから帰った。夕方には宵の明星が異様に明るく光っているが、現在は二十日の月がうすい雲の向こうにボーっと輝いている。雲の向こうの月あかりはいっそう柔らかくなる。秋ならば更待(ふけまち)月と呼ばれる。現代のわれわれにはなじみのない呼び方だが、月の出が21時過ぎとなるまで待たなくてはならないことを指すことばであるらしい。
 今は師走、忘年会帰りでは夜の風が冷たいが、酔い覚ましで歩いて帰る私には月も星もまた良いともである。明日は幹事会のあとのワンコインでの忘年会。夜風にあたりながら、そして月と星を眺めながら、車にひかれないように帰ってきたいものである。

★酔ひし額に寒の荒星まつはれる      石田波郷
★凍星を組みたる神の遊びかな       須佐薫子


フォーレ「ピアノ三重奏曲」を再び

2016年12月18日 18時37分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 退職者会ニュース新年号の編集作業もどうやら最終段階に入ることが出来た。120名を超える会員からの声をA3裏表に埋める作業である。夕食後に、エクセルで入力したものを一太郎の編集画面に張り付ける作業が本日中に終わると、95%は終わる。
 残る5%は明日の幹事会でどのくらいの追加ハガキがあるか、を想定している。追加のコメントが10通未満ならば明後日の夜までには終了する。火曜日は所用があって昼間は作業ができない。火曜日の夜には印刷所の原稿を送信できるはずだ。
 一時は心配したが、どうやら印刷所の年末年始の休みをクリアして正月10日までの納品に間に合いそうである。印刷と編集をお願いしている会社にはだいぶ迷惑をかけるかもしれないが、取りあえず約束した日よりは5日ほど早く最終稿を渡すことが出来るはずだ。
 これで肩の荷を下ろした気分になった。

 ということで、夕食までの時間はフォーレのピアノ三重奏曲作品120を聴いている。ピアノ四重奏曲やピアノ五重奏曲よりも音の厚みと広がりがあると思う。どうしてなのか不思議だったが、おそらくこの曲がチェロの活躍によるのであろうと思える。チェロのパートが充実してその特色を作曲家が十分に活用したからではないだろうか。チェロの音色が好きな私にの好みと一致したということだと思う。
 正しい答えは分らないが、そのように思うことにした。


円山応挙展から女性像

2016年12月18日 12時13分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「円山応挙-写生を超えて-」展で、初めて応挙の美人画を見た。いづれも中国に題材を求めた作品であった。
 まず「西施浣紗図」(1773、個人蔵)が目についた。江戸絵画の美人図とも違い、異色の女性図のように見えた。極端ななで肩で現実の女性とはとても思えないが、それでも顔の表情がとても穏やかである。目が細いのは江戸時代風なのかもしれないが、温和な目である。夢見心地でもある。髪も乱れがちである。
 中国で楊貴妃や王昭君、貂蝉と並ぶ美人とされる。西施は春秋時代末期に越王勾践が、呉王夫差に差し出した女性の一人で呉の滅亡の原因とされた美人である。後に勾践夫人に疎まれ皮袋に入れられ長江に投げ捨てられる。谷川で洗濯しているところを勾践に見出されたとされる場面であろうか。言い伝えによる作品とすると自身の悲劇を予兆するような表情ということになる。
 背景の木も梅ではなく桜なので、日本風の風景と応挙の理想の女性像あるいは、別の物語などに移し替えたように思える。明・清時代の女性図の影響があるらしい。
 応挙の幽霊がに通じるところがあるようでいて、違いもある。特に幽霊画では目が釣りあがっているが、こちらはそのような怨念はない。顔の表情の穏やかさは共通している。応挙の幽霊の怖さはその表情の穏やかさと目のきつさ、これによって怖さが増す、と私は思っている。
 私にはこのような女性像を応挙が描いていることは初めて知った。とても親近感がわいてきた。



 会場にはさらに3点女性像があった。そのうちのもう1点は同じような表情を見せていると思えた。「楚蓮香図」(1786、個人蔵)。唐の美女でその香しさから蝶がついてきたと伝えられる楚蓮香という女性像である。先の西施の作品よりも整ったいで立ちと、多少はふくよかな身体である。なで肩も極端は極端であるが、西施ほど極端ではない。
 しかしとても穏やかな顔である。

 そのほかのは女性像は「霊照女図」(1756-58、個人蔵)。こちらはどこか自己を放棄してしまったような表情がある。禅宗の隠者ホウ(广に龍)居士の娘として父の生活を生涯支え続けたという女性である。ここまで自己放下の像は痛まし過ぎるが、どこかで西施像に似ていなくもない。
 もう一点は「西王母龍虎図」(1786、個人蔵)という3幅対の真ん中の図である。こちらは殷の時代からといわれる中国の女神。こちらは少し江戸時代風に仕上げているらしいが、「写生の応挙」といわれつつも様式化の方向が匂う感じであるらしい。現代日本画風のの作品で、私はあまり惹かれなかった。