「円山応挙-写生を超えて-」展で、初めて応挙の美人画を見た。いづれも中国に題材を求めた作品であった。
まず「西施浣紗図」(1773、個人蔵)が目についた。江戸絵画の美人図とも違い、異色の女性図のように見えた。極端ななで肩で現実の女性とはとても思えないが、それでも顔の表情がとても穏やかである。目が細いのは江戸時代風なのかもしれないが、温和な目である。夢見心地でもある。髪も乱れがちである。
中国で楊貴妃や王昭君、貂蝉と並ぶ美人とされる。西施は春秋時代末期に越王勾践が、呉王夫差に差し出した女性の一人で呉の滅亡の原因とされた美人である。後に勾践夫人に疎まれ皮袋に入れられ長江に投げ捨てられる。谷川で洗濯しているところを勾践に見出されたとされる場面であろうか。言い伝えによる作品とすると自身の悲劇を予兆するような表情ということになる。
背景の木も梅ではなく桜なので、日本風の風景と応挙の理想の女性像あるいは、別の物語などに移し替えたように思える。明・清時代の女性図の影響があるらしい。
応挙の幽霊がに通じるところがあるようでいて、違いもある。特に幽霊画では目が釣りあがっているが、こちらはそのような怨念はない。顔の表情の穏やかさは共通している。応挙の幽霊の怖さはその表情の穏やかさと目のきつさ、これによって怖さが増す、と私は思っている。
私にはこのような女性像を応挙が描いていることは初めて知った。とても親近感がわいてきた。
会場にはさらに3点女性像があった。そのうちのもう1点は同じような表情を見せていると思えた。「楚蓮香図」(1786、個人蔵)。唐の美女でその香しさから蝶がついてきたと伝えられる楚蓮香という女性像である。先の西施の作品よりも整ったいで立ちと、多少はふくよかな身体である。なで肩も極端は極端であるが、西施ほど極端ではない。
しかしとても穏やかな顔である。
そのほかのは女性像は「霊照女図」(1756-58、個人蔵)。こちらはどこか自己を放棄してしまったような表情がある。禅宗の隠者ホウ(广に龍)居士の娘として父の生活を生涯支え続けたという女性である。ここまで自己放下の像は痛まし過ぎるが、どこかで西施像に似ていなくもない。
もう一点は「西王母龍虎図」(1786、個人蔵)という3幅対の真ん中の図である。こちらは殷の時代からといわれる中国の女神。こちらは少し江戸時代風に仕上げているらしいが、「写生の応挙」といわれつつも様式化の方向が匂う感じであるらしい。現代日本画風のの作品で、私はあまり惹かれなかった。