Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜のウォーキング

2016年12月05日 23時35分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど夜の5千歩、約45分ほどのウォーキングから帰宅。本日のトータルは2万2千歩余り。今晩は、夜もまた暖かさが残っているようだ。最高気温は13時過ぎの18.4℃、平年よりも5℃近く高い気温だったらしい。
 夜のウォーキングを再開して、寝付きがよくなったような気がする。通常の今ごろは冷たい風が心地よい。
 主にバス通りを歩くようにした。住宅地の道よりは安全のような気がしている。近くにおおきなドラッグストアがあり、23時まで開店している。利用客があるから営業しているのか、営業しているから客が来るのか、定かではないが、結構利用者がいる。
 近くの私鉄の駅の傍にも同じ系列のドラッグストアがあるが、駅に近い方の見せは22時閉店。こちらの住宅地のバス通り沿いにできた店は23時閉店。私の感覚では住宅地の方が早く店じまいするのかと思っていたが、そうではない。
 夜のウォーキングを再開して、見えて来たこととのひとつである。


本日はベートーベン「ヴァイオリン協奏曲」(2)

2016年12月05日 21時32分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 私はベートーベンのヴァイオリン協奏曲を聴くと、どうしてもこれを聴かないと落ち着かない。
 1962年録音のヴァイオリンがヨゼフ・スーク、フランツ・コンヴィチュニー指揮、チェコフィルハーモニーによるCDである。レコードの時は、チェコの多分小麦畠と農家の佇まいが大きく印刷されたケースに入っていた。緑が目に痛いような静かな落ちついた景色であった。それがこの曲の第2楽章にぴったりのイメージであった。その景色が気に入って学生の時に購入した。「針の溝が擦り切れる」ほどという言葉がぴったりなくらい幾度も聴いた。ケースだけでも取っておいた方が良かったかもしれない。
 そしてこの豊かで透明な音と、ゆったりとしたテンポがすっかり私には沁みついてしまった。他のどんな演奏を聴いても、その後にこのCDを聴いて、「口直し」ならぬ耳直しをしないと気がすまなくなってしまった。このCDを傷つけてしまったらもう変わりは販売していないと思うので、大切に扱っている。偏愛もここまでになると他の方はひいてしまうかもしれない。
 クラシック愛好家の友人に聞いても評判にはならないのが寂しい。しかし私はこの演奏をこの曲の標準的演奏と思って、常にこの曲との比較で語るようにしている。


本日はベートーベン「ヴァイオリン協奏曲」

2016年12月05日 12時43分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨晩の雨は23時ころ一時的に止んだもののすぐにまた降り始め、本降りとなった。雨の音を聞きながらのお風呂は気持ちがいい。
 いつも朝8時ころ起き出すのだが、本日は朝食後再びベッドに戻ってうつらうつら。結局着替えたのが10時半過ぎという体たらく。情けないものがある。
 セキセイインコの籠の清掃と餌やりのためベランダに出たところ、暑いくらいの日ざしと気温であった。風もない。長袖のポロシャツを半袖に変えたい気分である。気象庁のデータを見ると10時50分ですでに16.4℃を記録している。

 本日はシベリウスの曲ではなく、ベートーベンのヴァイオリン協奏曲を聴きたくなった。取り出して来たのは、アルテュール・グリュミオーのヴァイオリン独奏、アルチェオ・ガリエラ指揮のニュー・フィルハーモニア管弦楽団。1966年の録音である。私のもっとも好みであるヨゼフ・スークとフランツ・コンヴィチュニー指揮のチェコフィルのCDよりも、3分50秒ほども早い。
 しかし音の厚みがあり、この演奏もまた好きである。難点は最初の出だしのティンパニーの4連打がとても小さくてボリュームを上げないと聴こえない、そしてこの音がこもりすぎていること。もう少し強めに、そしてほんの少しだけ明瞭になったら嬉しい。むろんこのような演奏も好む人もいるのは承知をしている。あくまでも私の好みの問題である。