Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

新宿から今帰宅

2016年08月04日 23時47分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 新宿で先ほどまで飲み会に参加した。二ヶ月ぶりの参加で12人ほど。8月にしては多い方だったろうか。
 昼間過激なウォーキングだったので、水分をとても体が欲しているようで、横浜から新宿に向かう列車の中で、500ccのペットボトルのウーロン茶を1本半ほど飲んだ。
 最近は一時期ほどウーロン茶のペットボトルは自動販売機では売っていない。お店の棚には置いてあるものの、自販機には緑茶と缶コーヒーの方が多い。はやり廃れがやはりあるようだ。ただし自販機は高いしJRの中の店は高い。いつも街中のコンビニやミニスーパーで購入してから駅の構内に入るようにしている。多分自販機の販売高は消費税のアップごとに下降線をたどっているのではないだろうか。私の消費行動からはそのように推察している。
 自販機での販売者にとって3→5→8%という小幅な値上げを価格に大幅に転嫁してしまった付けがまわっているように思われる。今ごろになってペットボトルの容量を500ccから550ccに変えたところで、値下げにならない限り自販機での買え控えは元に戻らない。5→8%になった時に120円がいつの間にか140円、150円になって唖然としていた。自然と購入しなくなった。それほど量の飲めない無糖の缶コーヒーもいつの間にか大容量になって今では140円になっている。これでは誰もが買わなくなるはずである。
 酔っぱらってこんなことをブツブツ言いながら、東横線ですっかり寝込んでしまって、慌てて横浜駅で下車した。

炎天下のウォーキング

2016年08月04日 16時13分22秒 | 山行・旅行・散策
 久しぶりに炎天下のウォーキングを行った。13時過ぎに家を出たが、とても暑い。熱中症注意情報もでており、倒れないように歩いた。時間当たり7600歩ほど(時速約4.8キロ)で合計12.000歩。だいたい1時間30分あまり。2万歩歩きたかったが、無理そうであった。
 確かにくらくらするほどの暑さだったので、途中の運動公園で頭と腕を水で冷やし、水をたっぷりと摂取して30分近く休息。合計2時間炎天下にいたことになる。藤棚の下にあるベンチは風が通って心地よかった。
 帰宅してシャワーを浴びて、氷をうかべた緑茶と、ガリガリ君のソーダ味のアイスキャンディーでようやく汗がひいた。

 これから先週に続いて眼科で緑内障の点眼薬を再度処方してもらう。薬を新しくしたので1週間副作用の様子見をした。さいわい副作用は出ないようだ。やむを得ないことであるが、夏休みでどこの病院も子どもが多く、待つ時間が長くなっている。


ブラームス「2台のピアノのための作品集」

2016年08月04日 10時47分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 マルタ・アルゲリッチとアレクサンドル・ラビノヴィッチのピアノによる、「ハイドンの主題による変奏曲 作品56b」と「2台のピアノのためのソナタ 作品34b」、「ワルツ集 作品39」。録音は1993年。

 「ハイドンの主題による変奏曲 作品56b」は解説によると、オーケストラ版の同名の曲はまずこの2台のためのピアノ曲として書かれ、オーケストラ版として完成している。オーケストラのための曲の前段としてピアノ作品として下書きをしたということである。
 オーケストラ版とは印象がおおきく異なっている印象で、新鮮に聴こえると同時に音色が平板に思ってしまう。別の曲として考えてもいいような気がすると同時に、ブラームスのオーケストレーションの巧みさを証明しているような曲でもあるまいか。やはり聴き慣れたオーケストラ版がいいと思う。
 このピアノ2台のための版は気分的には華やかさが先にたち、聴きたい気分の時というのは選ばないといけないかもしれない。

 「2台のピアノのためのソナタ 作品34b」はやはり解説によると、ピアノ五重奏曲の元になった曲というである。ピアノ五重奏曲は当初弦楽五重奏曲として構想されたが、弦楽器に向かないとの理由でピアノ2台の曲に改作、さらに「内容から2台のピアノでも無理」とのクララ・シューマンの助言があり、ピアノ五重奏曲になったとのことである。
 この曲については確かにピアノ五重奏曲の方があるかにいい。曲全体に厚みが増しており、曲に体が包まれる気分となる。しかしピアノ2台では音色が随分平板である。

 「ワルツ集 作品39」はピアノ連弾用の「16のワルツ集」から2台のピアノ用に5曲を編曲したものという。ブラームス自身が「シューベルト風の形式によった」ということらしい。これは前2曲とは違い、曲として違和感なく聴くことが出来る。
 前2曲の印象の原因が演奏家による印象ではなかったことを感じた。