Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

8月15日

2013年08月15日 21時37分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後は何日かぶりに横浜駅まで出向いた。家電量販店でデスクトップパソコンの値段を調べ、本屋を物色し、山の用品店で25リットル前後の2泊3日の山小屋利用のためのリュックを物色してみた。購入する予定は無かったが‥。
 横浜駅までの往復と帰宅後はさらに5.5キロのウォーキングで足慣らしをした。昨日は足の筋肉が張っていたが、本日は張りもなくだるさもなかった。歳をとると日数が経過してから筋肉痛が始まるといわれるが、まだまだ筋肉はそれなりに若さがあると、妻には自慢している。
 ただ顔の皮膚がもうむけ始めて、ちょっと汚らしい。早くむけ切ってもらいたいものだ。今回は帽子を被り、首にはネットをしたので頭のテッペンと首は皮はむけない。助かった。
 次回、いつごろ、どこの山に行こうか、そろそろ考えようかと思う。8月中は同窓会もあり、9月上旬に的を絞ってみようと思う。


 さて、終戦記念日、というよりは敗戦の日と私は教わってきた。そして昔から私は不思議なのだが、まず太平洋戦争・日米開戦といいつつ、その元になったのは日中戦争、さらに遡れば明治維新以来のアジアへの武力侵略・力の政策がもたらしたのが結果として1940年12月8日の真珠湾攻撃から始まる戦争である。
 8月15日のこの式典の歴代首相の発言でいつも私が違和感を感じるのは、あの戦争の原因となった戦争=アジアへの侵略を始めたのは誰なのか、何が原因であの総力戦と云われる人間の命を消耗品のように扱うあの戦争が行われたのか、ということが何も語られることがない。
 いくら「英霊」と称揚しようが、戦争を始めて責任、開始した原因の糾明・反省がなくては言葉だけの称揚であり、賛美でしかない。これでは戦争でなくなった軍人も、徴兵されなくなった国民も、空襲や原爆や、そして侵略した「植民地」でなくなった国民も、そして侵略を受けて亡くなった国々の人々、つまり日本がもっとも友好国とならなければならなかったアジアをはじめとした諸国の犠牲者も、救われることは無いと私は思う。
 そんなことを毎年思う8月15日である。

白馬岳-雪倉岳-朝日岳縦走(2)

2013年08月15日 14時01分24秒 | 山行・旅行・散策
(第2日目)
白馬大池小屋(5:41)-小蓮華山-三国境-白馬岳(2932m、8:20)-三国境(8:50)-雪倉岳避難小屋-雪倉岳(2611m、11:00)-燕岩-小桜ヶ原-朝日岳(2418m、14:48)-朝日小屋(15:41)

   

 白馬大池小屋から右に本日歩く雪倉岳への稜線を見ながら、白馬岳と雪倉岳の分岐である三国境に荷物を置いて白馬岳まで往復。
 白馬岳からは唐松岳・五竜岳・鹿島槍ヶ岳をはじめ北アルプス南部を堪能、同時に南西の剱岳・立山も間近に展望。この方向からは朝日岳は雪倉岳の陰に隠れて頂上だけを微かに望むだけである。この展望から類推すると雪倉岳から朝日岳がごく近くに見える。これがとんだ間違いと気付くのは雪倉岳に登ってから。

 小屋から白馬岳までは大勢の登山者が歩いている。3000メートル近い山としては小屋も整い、道も、アプローチも良く人気の山である。私は白馬岳は3度目の登頂になる。この時期なので、夏休み中の小さな子を連れた家族連れも多い。三国境から雪倉岳への道は、途端に人が少なくなる。私がこの道に入ったときも、300メートルほど先に若い単独者が一人見えただけである。

         

 目前の鉢が岳の大きな山は登山道は迂回しており、雪倉岳の直下の避難小屋までは気持ちのいいコースである。鉢ヶ岳を迂回するところは白馬岳の稜線では見られないお花畑が目を楽しませてくれる。このコースを来てよかったと思うコースである。避難小屋で昼食のお弁当を三分の一ほど食べて小休憩。ここから雪倉岳の30分の登りがきつい。大きく3段に分かれる急坂、最後は緩斜面になり、お花畑がきれいだが息が切れて見るゆとりがないかもしれない。



 展望は良好。自分でもこんなに晴れ男になったのかといぶかしい。
 しかし朝日岳を望むとごく近いのだが、そこまで行くには稜線が大きく下がっている。あわてて地図を精査すると、どうも2000mあたりまで下るようだ。樹林帯の中にまでおりることになる。これはなかなか歩きであると認識を新たにした。
 この頂上から雪倉岳まで3時間半。ちょっと気持ちが萎えるところでもある。
 結果として雪倉岳直下まで2時間のコースタイムを昼食休憩を含めて2時間半かけたことになる。しかし下り始めは快調。展望の良い東側のガレ場を雪田の融けた勢いの良い沢の水の音を聞きながら心地よい風に吹かれて歩くのは実に楽しい。

         

 尾根道が反対側の西側に移ると次第に草花の背丈が高くなり、ハイマツに混じる笹の割合も増え、いつの間にか小潅木帯に入っていく。この頃になると随分下ってきた気分である。疲れも溜まってくる。歩く速度が落ちてくるのが自分でもわかった。
 やっとの思いで、最低鞍部の高さに近い燕岩という大きな標識ところに出るのだが、登山地図ではこれは朝日岳までの半分でしかない。ここから2000mの等高線に沿って道がつけられているが、結構登降がある。
 実はここまで朝から水をほとんど飲まずにきた。500㏄1本だけだった。これはまずいと思い、ここから先に水場がいくつか連続するので後は豊富に水を飲むことにした。もう少し早めに飲むようにすればよかったと、反省している。
 燕岩の先に小さな沢を横切り水はあるが、すれ違った人に聞くとさらに先で、水量豊かな沢を横切るのでそちらの方が水の質はいいはずだという。云われたとおりに10分ほど歩くと勢いのいい水場に出た。ここで、昼食の2回目。お弁当の3分の1を食べて水をたくさん摂取した。逆コースの場合ここが最後の水場となる。結局小屋で購入した弁当はこの日は3分の2だけだべた。量が私には多すぎである。
 この水場の先に突然、木道が現れ「小桜ヶ原」という標識が出てくる。ここがなかなか感じのいい湿原である。このような湿原があるとはびっくりするところ。花はあまり目につかなかったが、のんびりしたいところである。残念ながらカメラの電源がなくなって写真は撮らなかった。
 しかしこの場所、かなり疲れが出ているのでゆっくりとした気分になれないのが残念である。この場所を目的にコース設計を考えるといい記念になるのではないだろうか。
 朝日岳直下の直登の道と、小屋へ向う水平の道の分岐で最後の休憩をしたのが、13:40頃。この水平の道はかなり登降が厳しいとの記述もあり、直登することにした。標高差約400mというところか。コースタイムでは90分の登り、汗を大量に滴らせながら必死になって登ったところ60分でひょいと頂上にたどり着いた。



 雪倉岳-朝日岳は2時間+1時間のコースタイムだが、私は2時間30分+30分だから3時間という帳尻は合った。まんざらでもない結果である。
 朝日岳の頂上は着いた瞬間は晴れていたが、みるみるガスがかかり、展望はなかった。カメラの電池切れ表示が出ていたが、何とか頂上の標識一枚を撮影。木に「朝日岳」と彫ってあるが見えるだろうか。



 ここから小屋までは30分少し。うすい霧の向こうに赤い屋根とテントが垣間見えた。これでカメラの電池はすっかり切れてしまった。
 小屋に着いたのは、15時41分。小屋を出てちょうど10時間。白馬大池小屋でいわれたコースタイムぴったりにたどり着いた。昨年笠が岳から双六小屋まで12時間半、同じ山行で槍ヶ岳から穂高温泉まで10時間半歩いたのに次ぐ歩行時間であった。
 この小屋、完全予約制とちょっと聞き慣れない山小屋の経営だが、確かに食事はおいしい。手が込んでいる。この日の夕食もホタルイカの沖漬けや刺身の昆布〆などが出てきた。とてもおいしく食前酒としてワインも軽く一杯出された。布団も大きくユッタリと眠ることができる。
 山深いところに1927(S2)年から営業しているとのこと。食事中の花のビデオも楽しかったが、如何せん花の名前は聞いてすぐに忘れてしまった。

 カメラと携帯電話に充電して就寝。

登山靴のこと、左膝のこと

2013年08月15日 10時01分26秒 | 山行・旅行・散策
 先日、燕岳に登ったとき新調の靴が右足に合わないようだと記載した。今回、事前に団地の中を歩いたりして様子をみたが、前回痛かった右足の踝の外側は痛くはならなかった。それでも慎重に靴紐を調節しながら二回目の登山に臨んだ。

 結果的には前回痛くなった部位は痛くならず、全体としてもとても満足のいく履き心地であった。安心した。
 ただし、左足は靴紐をしっかりと結んで履いた。履き心地はとてもいい。右足は左足と同等に靴紐をしっかりと締めると内側の踝の下に少し違和感というかひっかかるような感じがあった。右足は緩めに紐を結んでみると特に違和感は感じない。これで問題なく履き続けられる感じた。
 買い換えなくてはいけないかと心配したが、もう大丈夫なような気がする。


 それよりも下山時の足全体の運びがスムーズに行かない。正確には2007年8月下旬、岩手の早池峰山に登ったとき苔むした大きな岩ですべり、左膝を折り曲げて着地してしまった。小田越山荘という無人小屋から早池峰山のとなりの薬師岳に登ってから小屋に戻るときのことであった。「ひかりごけ」があるかもしれないときょろきょろとしながら歩いていたのがいけなかった。
 その晩は無人の明かりの無い小屋で痛みがひかず、うなりながら朝を迎えた。痛み止めを飲んでも、翌朝になっても痛みがひかなかったが、それでも図々しく、痛みをこらえながら早池峰山を登った。
 登りは何とかなったものの、頂上が東西に長い早池峰山を東から西に縦走し鶏頭山まで歩いた時、次第に痛みがぶり返して次第に左足を引きずって歩くようになってきた。熊と思しき足跡をいくつも見てびくびくしながら西の端の鶏頭山にたどり着いたときには痛みが頂点に。ここまではコースタイムで歩いたがここからの下りは倍の時間をかけて下った。岳集落に着いた時はもう左膝は動かなかった。
 一軒だけ営業していた民宿で一息ついたが、足の痛みはなおらない。しかも最近は頂上まで熊が出ているとの話を聞き、熊に出会わなかったのが実に幸運であったと思われた。熊の肉のステーキを供されたが、味わうほどの心の余裕はなかった。もったいないことをした。そして足を引きづりながら横浜まで辛うじて帰ってきた。
 一ヶ月ほど毎日銭湯に通い温い浴槽で自分なりのマッサージをしたが治らず、公立病院で「膝の軟骨の内視鏡手術」を行った。「軟骨のだめになった部分を掻き出した」という表現を医師からされたが、その意味はよく理解はできなかった。「100パーセント元には戻らないが、これ以上は良くならない」ということで、退院。
 以来、日常生活や平地でのジョギング、ウォーキングには何ら支障は出ないのだが、山登りに行って、下山となると思うように膝が動かない。もともと下りは得意ではなかった。俊敏な動きができない。左右均等に足が下りていかない。どうしても左足での着地に力が入らない。大きな段差では右足から着地しないと不安である。左右すばやいバランスの移動にも支障がある。
 登りではまったく問題ないのだが‥。だから下りは時間がかかる。コースタイムを上回る時間がかかることもある。

 こんな膝を抱えているが、それでも山道を歩くのは楽しい。