Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

白馬岳-雪倉岳-朝日岳縦走(1)

2013年08月14日 23時20分28秒 | 山行・旅行・散策
(第1日目)
 白馬駅からバスで栂池高原へ、さらにゴンドラリフトとロープーウェイを乗り継いで栂池自然園へ。ここには一周約3時間半の周遊コースがあるが、これは省略。早速登山口より登山開始。
 朝は家を6時半に出たため横浜線・八王子経由で中央線に乗ったが気分的にはゆとりがある。4時台の出発というとやはり寝不足になり、列車の中でも熟睡できず、登山道にたっても気分的につらいものがある。今回は楽だった。
 その故か、極めて快調にあるき3時間20分のコースタイムであったが、2時間調度で白馬大池山荘についた。
 途中白馬乗鞍岳(2436.7m)頂上では前回下りで見た巨大なケルンが今回もお出迎えがあった。道を思い出した。



 白馬大池山荘は何年か前に妻と、猿倉-白馬岳-白馬大池山荘(泊)-白馬乗鞍岳-栂池と縦走したときに泊まった小屋である。そのころとまったく変わらず真っ赤な山荘の趣きはやはりちょっと異様だ。むかし感じたようにこの白馬岳の風景には合わない。少なくと私の趣味ではない。しかしこれがトレードマークとして定着している。しかも場所としてはいいところにある。遠くからも見えてこれがいいのかもしれない。
前回気がつかなかったが、ここは携帯電話が通じない。しかもこの受付の手続きをするや否や、この小屋は事前連絡が基本だから次回からは予約電話を入れてから来て欲しい、とまず一言の注文。ちょっとムッとしていると追い討ちをかけるように、「明日泊まる予定の朝日小屋は完全予約制だから事前に連絡しないといけない」といわれた。
 テレホンカードを購入して朝日小屋まで連絡せざるを得ないのかと観念すると、「ここから1時間の船越の頭までいけば携帯が繋がるから、明日朝に連絡できる」とのこと。遭難対策・緊急対応も含めて携帯電話が当然のような状況になってるが、今時携帯電話の通じない小屋というのも珍しい。その当の朝日小屋も連絡先は携帯電話ではない。どうもこの山域では携帯電話はあまり歓迎されていないようだ。
 さらに翌日のコースを記入すると、栂池からこの小屋までの所要時間を聞かれた。2時間というと「では大丈夫だ。コースタイムで10時間かかる」とのご託宣。私の容姿から無理かもしれないと判断されたのだろうか。こうなったらコースタイムには含まれない白馬岳経由コースも含めてどうしてもこなしてやろうと意地になった。



 小屋からは東に携帯電話が通じるようになるという船越の頭、その向こうに小蓮華山までが見える。北東に雪倉岳、朝日岳をのぞむことができ、展望は良好。大池の脇に小さな雪田が残り、ロープで囲われていた。よく見ると雷鳥が1羽小さな岩の先に座りくつろいでいる。そして雛が3羽いる。
 私がそれよりも感心したのは、小学校の低学年と小学校入学前と思われる子供が母親と一緒にそれぞれに一眼レフカメラに三脚を取り付けて、一心不乱にその雷鳥をカメラにおさめようとしていた。じっとカメラを構えていたり、雷鳥の雛の動きにあわせて実にたくみにカメラを操作している。母親からカメラの基本を教わったのであろう。大人も顔負けでなかなか堂に入っているというより、その真剣な、熱中している姿に感心した。
 私と同様に周りの大人も視線は雷鳥半分、この子供半分のようす。子供が集中して何かに取り組んでいる姿を、久しぶりに見た。私は30分ほどその場にいたが、この子供二人は飽きることなくこの撮影に没頭していた。私がその場にいく前から、その場を離れた以降も撮影に没頭していた。幼稚園児や小学校低学年児に一眼レフカメラ、贅沢と言えば贅沢かもしれない。
 しかし小学生以前から続けて何かの手段を媒介として、自然に感動しそれを表現として定着する手段を持っているということは羨ましい限りだ。人は、私も含めて、手段はあるのにそれを活用することが出来ない。一瞬活用しても継続出来ない。しかしこの子たちには使いこなして表現を継続しようとする意思が感じられた。

 夕食はカツカレー。カツがなかなかのボリューム。他の単独の高齢者には食べるのには少ししつこかったようだ。子供づれには歓迎されるメニューであったようだが、若い男の宿泊者を除いてほとんどの方が残していた。私はひそかにお替りをしようかと思ったが、まわりの方が残しているのでつい見栄をはって遠慮した。山小屋にとって多数の登山者が押しかけるこの季節、メニューに苦労は付き物とは思うが、高齢者の多い昨今の山小屋、このボリューム満点のカツは少々高齢者にはつらいメニューと思われた。
 カレー自体は昔からの山小屋の定番である。人の少ない山域の有人小屋では昔はほとんどがカレーであった。何処の山小屋でもカレーなので泊まるたびにカレーとなり、3日間連続して夕食はカレーが出され、まずくはなかったがやはりうんざりしたことがあった。随分昔、登山に熱を入れ始めたころの南アルプスの時で、それ以来自炊やテントにこだわってきた。ふとそんなことを思い出した夕食であった。
 この日のカレーが、「いつものようにカレー」なのか、あの日は「たまたまカレーだった」のか、連泊してみないとわからないが、久しぶりで山小屋でカレーを食べた。

都会の暑さに参った

2013年08月14日 16時49分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩帰宅23時過ぎに自宅について、シャワーを浴びてすぐに就寝。既にUターンラッシュが始まっているというようなニュースが流れている。しかし夕べの最終の特急あずさはガラガラ。指定席を取らなくてもよかったようだ。
 本日は朝から、山行での洗濯物・片付け・靴やその他装備品の手入れを行い、あとは休養と思っていたら、午後から組合の退職者会の集会の予定が入っていた。あわてて出かけたが、20分ほど遅刻してしまった。
 8/5の政府の社会保障制度改革国民会議の報告書の概要の説明などが行われた。この暑い中、100名を越す参加者。炎天下のアスファルト舗装道を歩くと、太陽が体を火箸で撞いてくるような感じがする。

 山行は2日目・3日目ともに長いコースで、随分とたくさん汗をかいたが、暑さと、かく汗とは、都会と山行ではまったく質が違うと思う。
 まず都会の暑さが違う、湿度も違う、風も違う(風が無い)。それによって変化する体調も違う。そしてかく汗の質というか、分泌物までもが違うような気がする。
 体調の違いまでは科学的に何か根拠があり、究明されるかもしれない。しかし汗の質・分泌物の違いとなるとそれは単なる思い付きであって、何の根拠も無い‥。科学的な裏づけはないと思う。
 しかし汗の比重は都会では重いようだし、都会の汗の匂いもきつそうな感じがしないだろうか。都会の喧騒と、都会というものに対する心のどこかでこだわって持っている違和感がそのような匂いの違いの根拠かもしれない。

 都会は熱気が体に、肌にまとわりつくようにネチネチと皮膚を、内臓を、体の諸器官を攻めて上がってくる、そして熱が体から逃げていかない、と表現してもよいだろうか。

 しかし一方で私は、この都会から離れることが出来ない。都会から離れて、農村部あるいは過疎地に生活の場を移すということが出来ない。この都会での人との関係の基準というか、在り様を捨てて、否定してしまうと云うことが出来ない。
 山に行って、農村部や過疎地といわれる場所を起点にして、そしてそこにもどってきても、食事をしたり、交通機関の時間に合わせて宿泊したり、お酒を飲んだとしても、そこに住むということが出来ない。あまりの濃密な人間関係を勝手に想定して、逃げ足になってしまう。
 都会での人間関係にすら辛くなって山に行くようになったのだ。都会よりも濃密な人間関係の所に着地は、私にはできない。

 ひょっとしたら、「人類」自らが作った都会というシステムは、人類を「人類」という規範から外れるように仕向けているのだろうか。