Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨男返上ならうれしいが‥

2013年08月21日 18時13分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夏の高校野球は、日大山形と花巻東が破れてしまって東北勢はこれで残念ながら姿を消した。東北育ちの妻はいたって落ち込んでいる。しかし昔に較べて実に東北代表校は強くなったと思う。考えてみればベスト4に2校も残っているのである。すごいことである。
 それよりも妻のご機嫌が早く元に戻ることをまずは祈らねば‥。

 先ほど、3時近くになって雲が多く出て日が蔭り始めたので、11キロのウォーキングに出かけた。次第に雲が暗くなって来て、3キロを過ぎた辺りからするどい雷鳴が聞こえ始めた。しかし稲光は見えないので、雲の中での雷と思われ、まだ大丈夫と判断し折り返し地点で休憩の後再び速歩を再開。次第に雲行きが怪しくなり始め、自宅700メートル手前辺りで突如稲光がして1秒後に雷鳴が大きく鋭く鳴り響いた。
 そこからジョギングに切り替えあわてて団地にたどり着いた。そして自宅玄関50メートル手前で突如雨が降り始めた。10秒もしないうちに、あっという間に土砂降り。私が踊場に駆け込んだときには道路はもうすっかり濡れていた。さいわい茂っている大木のおかげもあり、私は数的の雨粒に当たった程度ですんだが、シャワーを浴びている間もものすごい雨音と雷鳴・雷光で外は大変なにぎやかさであった。蝉もあっという間に鳴きやんでいた。
 30分もしないうちに雨も雷も収まって蝉の声が逞しくも復活した。
 しかし前回は途中で雨宿りしなくてはいけない羽目になったが、今回は危ういところで回避できた。
 昨年山に行くたびに晴れた。今年も2回山に行ったが、晴れ。この間の白馬岳-朝日岳の時も下山した翌日から天気は悪くなった。最近出かけるが天候に恵まれている。雨男-嵐を呼ぶ男は、汚名を返上できたのであろうか。そうであって欲しいと心から思う。

 一方で危機回避能力、危機対処能力については出来るだけ蓄積をして、それらを高める努力をしたいと思う。もう年だから能力が低下することはあっても、高くなることは期待できないが、それでも少しでも対応が適切であるように努力したい思う。
 自然災害・都市災害とを問わず、人間の危機回避能力・危機対処能力というのは、都市化が進めば進むほど低下するのだろうか。ある人との会話の中で、何の根拠もないが、人事のようにふとそんなことを述べてみたことがある。発言してから自分はそんな能力がはじめから備わっていたかな?とあわててしまった。喋ってしまった以上、私は生半可な災害や事故で怪我をしたり命を落とすわけにはいかなくなった。余計な事を喋ってしまったと反省している。
 そう、酔っ払って車に引かれたり、転落したり、電柱にぶつかるようなことはしてはならなくなった。私が一番そんなことに合いそうな人間ではないか。先の友人との話は撤回しなくてはいけなくなる。口は災いの元である。困ったことになってしまった。

「和様の書」展(東京国立博物館)

2013年08月21日 13時29分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 まず私は草書がなかなか読めない。まして変体仮名などが出てくればもうお手上げである。
 和歌などが書いてある昔の文章も、戦国時代の手紙の類なども、そして江戸時代の草紙の類もダメである。多分、変体仮名をまったく教科書から排除してしまったため私よりも若い世代の人はますます遠い存在になっていると思う。私自身がまったく読めないのだから、若い人にとっては他の文化圏の文字に感ずると思う。
 書、特に仮名の書はまるで遠い存在だ。しかしそれでも心惹かれるものがある。料紙の美しさ、細い繊細な筆の跡、分かち書きの余白、丸みと縦長の筆跡の流れ‥魅力を感ずることがある。
 また漢字だけが並んでいる写経の文字や漢詩などが、最初から最後まで乱れも少なく楷書でキチンと書かれているのを見るとその整然とした美しさに見飽きることがない。
 墨書土器などに一字だけ記された文字なども神秘的な力を感じる。
 昔の人も文字に、特に漢字には霊能が宿るように感じて丁寧に扱ったと思われる。それが走り書きやメモに近いものであっても、字をおろそかに扱うことは憚れた世界であったと思われる。それだからこそ、文字を書くということはとても重要なことであったのであろう。

   

 構成は
第1章 書の鑑賞
第2章 仮名の成立と三蹟
第3章 信仰と書
第4章 高野切と古筆
第5章 世尊寺流と和様の展開
というもの。図録を購入しなかったので、構成の意図などはわからずじまいであるが、書の歴史的な展開は素人の私にも理解できるものであったと思う。

 今回、この2枚のハガキを購入してみた。実際は料紙の色彩はこんなに鮮明なものではなかったが、おそらく書かれた当時の色彩はこのようなものであったのだと想像している。

      

 先ほども書いてあるとおり、書かれている字も読めない、また和歌の意味もわからない。読むことが出来れば歌の意味も多少は想像できるだろうが‥。実に残念である。しかし二枚目など行の最初と最後の字を太くして全体のバランスを整えているところ、手書きであるにもかかわらず、行の頭と下の字の位置がキチンと揃っていることなど、私の感覚からすればとても落ち着いた構図に仕上げていると思う。
 一枚目のものも、右側では料紙の茶色の部分には字を書かず空白にしている。左では茶色の割合が小さく若干色がうすいのを踏まえて字を書いている。左では余白は上、右では余白は中程、と変化に富んでリズムを感ずる。
 記載してある内容がわかればもっと世界が広がるのだが‥。

 そして、ひらがなの書の世界はもうひとつ面白いと思うことがある。それは文節で行を変えるということからフリーであること。言葉の途中で行を変えることが当たり前だ。これはとても面白いと思う。全体のバランス、構図上の美しさと意味との剥離がはじめからあったのだろうか。現在の私たちの感覚からはとても不思議に思える。



 またこんなものを購入してみた。

 よく歴史の本を読んでいると石山切、高野切、安宅切、大手鑑、手鑑などという言葉を聞くが今回初めてそれを実物で見ることができた。これはうれしかった。
 また、漢字の書き方も中国の書法と日本の書法に違いがあることなども始めて知った。

 信長、秀吉、家康の3覇者の手紙が展示されていた。秀吉のおね宛の手紙はよく見かけるものだ。家康は実にこまめに手紙を多数したためた武将だと聞いたことがある。そのマメさは書面からは伝わらない。しかし信長もかなりマメだったようだ。信長の字は私の持つ信永像とは別にマメで細かいところまで臣下に丁寧に指示を出す気遣いの武将だったような印象を字体から感じた。そうでなければあれだけの業績は残せないだろう。
 もうひとつ、後陽成天皇の「龍虎二文字」は以前も見た記憶がある。これはすごい。自由奔走、豪放磊落というか、安土桃山時代という激動の時期を生き抜いた天皇のしたたかさを存分に想像できるものである。

 字はその人の性格を如実に表すという。しかし今、パソコンで印刷される字からはそれは無理な話だ。文体からその人の性格は滲み出るが、字体からはなかなか伝わらない。また直筆の字字体がまず見かけない。
 私など悪筆の上に、最近は直筆だと漢字がうまく書けなくなってしまった。時々鏡文字になったり、偏と作りが反対になったり、間違い字ばかりになってきた。パソコンの悪影響だが、パソコンのキーボードを叩くのにあわせて思考が働くので、今さらこれを戻すことが出来ない。10本の指の操作で思考が働いている。右手で書きながら思考するのではない思考方法が今は主流なのだ。
 あと10年もしたらこのような書の世界、ますます現実とのギャップが大きくなりそうである。