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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

12月8日

2011年12月08日 20時53分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 70年前の1941年12月8日真珠湾攻撃が行われた。この日をもって長い苦しい戦争が始まったといわれている。確かに太平洋戦争という戦争が始まった忘れてはならない日である。
 あの大本営発表を暗い重苦しい時代の幕開けと思った人もいたはずだが、逆に日中戦争からの重苦しいもやもやを吹き飛ばすような事態として捉えたという人もいるようだ。後者のほうが多かったという人も多い。
 当時は政治への不信が頂点に達してもいたのであろう。それと今の政党政治への不信とをダブらせている人もいる。
 あの大量の人命の損失を招いた戦争の幕開けということでは、幾度も言うように忘れてはならない日である。だが、その戦争の引き金となっていた泥沼の日中戦争(日本の中国侵略)、さらにいえばそれをもたらした明治維新以来の「富国強兵」思想の行き着いた節目として私は捉えなければならないと常々思っている。
 12月8日、この日は日本の歴史にとって悲劇的な否定すべき日として記憶されてしかるべきだが、同時にそれは1868年の明治維新の行き着いた帰結点としても記憶されるべきなのではないだろうか。
 確かに12月8日を回避して太平洋戦争が行われなければ、あの大量の戦争犠牲者は発生しなかったかもしれないが、中国侵略は続いたことになる。中国の人々の犠牲も、日本の犠牲も続いたことになる。日本は世界からの孤立を続けていたろう。この歴史を批判的に総括しなければならないと思うのはわたしだけだろうか。
 明治維新以降の日本の朝鮮侵略を、東南アジアへの侵略を、欧米列強のアジア侵略に対する反措定として位置づける人々に対しては、明治維新そのものが問われているのだということを伝えたいと思う。