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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

白萩

2022年09月09日 18時29分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 団地には以前は萩が多く植えられていたが、今は少なくなった。白萩ばかりになってしまった。しかし一斉に咲くと見事である。また散った花びらも美しい。今年はまだ蕾も出ていない。5年前も美しく咲いていた。

★萩咲いて風を生む白風溜める赤       庄司 猛
★みちのくに生まれて老いて萩を愛づ     佐藤鬼房
★白萩のつめたく夕日こぼしけり       上村占魚
★白萩やこれよりさきはけものみち      大木あまり

 俳句では白萩を読んだ句のほうが多いようだ。白萩は少し固く、冷たい感じ。赤い萩のほうが温かく包み込むような感じがする。色の所為であろう。
 第2句の萩はどちらの色だろうか。どちらとも決めかねている。赤も白も、陸奥の宮城野原の萩は残された歌からはどちらとも言えない。特に決める必要はないのだが、時々どちらだろうと楽しむことがある。

・宮城野のもとあらの小萩つゆを重み風をまつごと君をこそまて  (古今集 よみ人しらず)
・宮城野を思ひ出でつつ植えしけるもとあらの小萩花咲きにけり  (能因)
・萩が枝の露ためず吹く秋風に牡鹿鳴くなり宮城野の原      (西行)
・うつりあへぬ花の千種にみだれつつ風の上なる宮城野の露    (定家)


ヒグラシのソロ

2022年09月08日 21時54分15秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 夕刻に帰宅したとき、北側の団地の入り口でヒグラシのカナカナという鳴き声が妙に強く聞こえた。1匹だけだが、とても強く響いていた。団地の中ではミンミンゼミがまだ多い。ツクツクホウシとヒグラシがそれに次いで聞こえる。合唱の中でカナカナという声がまぎれてそれほど印象的ではなかったが、1匹だけ聞こえるととても耳に残る鳴き方だと感じた。
 自分の家に入って、ベランダからはミンミンゼミ、ツクツクホウシ、ヒグラシの合唱が聞こえる。三部合唱ばかりが耳に入ってきて、ヒグラシだけ飛びぬけてソロのようには聞こえてこない。ソロを奏でていたヒグラシがとても愛おしく感じた。
 階段の踊り場で死んでいる蝉も、羽が透明なのが目立つようになった。ツクツクホウシとヒグラシである。もう蝉の季節も終りに近くなってきた。寂しさを感じる。

★面白う聞けば蜩夕日かな          河東碧梧桐
★あしたあるゆえにひぐらしゆうべあり    荻原井泉水
★ひぐらしの鳴く音にはづす轡かな      飯田蛇笏

 ヒグラシというとどうしても夕方に聞く、ということから抜け出せない。それはそのような句で魅力的な句が多いから、ということにしておきたい。

 本日の午前中に、友人から送られた2冊の本のうち1冊を読み終えた。午後からは2冊目に突入。1冊目は中国の南北朝から初冬にかけての王義之の蘭亭序草稿と初唐の太宗・三大書家の歴史小説。2冊目は満蒙開拓団についての小説。私のこれまでの読書の流れは違うが、せっかく贈呈された本なので、本棚の肥やしにするのは失礼である。
 感想は後日。

 本日は降りそうで降らなかったが、とうとう先ほどから降り始めた。
 


10日は中秋の名月

2022年09月07日 22時35分48秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 今年の中秋の名月は10日とのこと。「名月」などの句は多数ある。まだ10日にはなっていないが、ふと思い出して秋の名月の句を3つほど。
 どの句も初めて接した句である。

★空っぽの人生しかし名月です        榎戸満洲子
★仰臥する左眼に満月右眼にすこし      篠原梵
★先ず会う満月広茫の北京へ         金子兜太

 第1句、月をじっと見ているとそんな気分になることもある。しかし作者は自分の人生を「空っぽ」と認識しているわけではないと思う。自分の人生について問われれば、自足、満足していると応える人の句と思う。月の光を浴びて、自分の人生など大したことない、との感慨が浮かぶ人は充実した人であると思う。反省し、自分を省みることの出来るのだから。
 第2句、歳を撮って視力が若い時のようには働かない。老眼はもとより乱視、斜視、白内障、緑内障‥。そして私のように両の眼がひとつに像を結ばなくなる場合も‥。力を抜いて月を見る、そして老いをさらに実感する。それでも月を眺めるという心のゆとりが欲しいものである。
 第3句、異国の地で夜に明るい満月に出くわす。東京なと、高層ビルが林立し、ビルの明かりで満月が霞むことのなかった北京での驚きの出会いなのであろう。「広茫」と広さが押し寄せてくる。


秋の雲・秋の空

2022年09月07日 18時12分23秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★山々や一こぶしづつ秋の雲        岩田涼菟
★隔て住む心言ひやりぬ秋の雲       河東碧梧桐
★秋天や最も高き樹が愁ふ         木下夕爾
★秋空がまだ濡れてゐる水彩画       鈴木鷹夫
★秋空に超高層という肋(あばら)     庄司 猛

 第1句、山岳地帯でも都会でもこれは当てはまる。登山の途中ならば雲が手に取るように身近に見える。都会でも秋には雲が近くに寄ってくるように錯覚することもある。山々の方が、いろいろな情景を補完して楽しめる、と断定するのもいい。
 第2句、これは若い頃の句なのだろう。
 第4句、イーゼルを立てて水彩画を描いている場面に出くわしたことはある。私はあまり傍で描いている人やその作品を眺めることはしたことはない。描いている人に迷惑だという重いが先に立つからである。しかしこれは、というような作品に出会うと、いったん通り過ぎてからまた踵を返して、もう一度通り過ぎることもある。空を描いてまだ乾いていない空、しかしその空に惹かれて、乾いたときの作品が気になる、という心境はとてもよくわかる。秋の空は絵にとってはとても大事な要素に思える。
 第4句、第1~第3句では山々や自然の中の秋の空、雲だが、都会でもそれに惹かれる。20世紀末から21世紀では、都会の句のほうが主流になる。高層ビル街の抒情が繰り広げられるはずである。

 


二百十日

2022年09月01日 18時06分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 9時に雨が上がってから、大雨・洪水注意報が配信された。それだけ予定外の強い雨だったという風に考えることにした。
 9時半以降は雷鳴は聞こえなくなった。雷の被害はなかった。
 強い雨の区域が神奈川県西部にあったが、雨は降らなかった。その代わりに予報通り、太陽が顔を出し、蒸し暑い午後となった。アブラゼミとツクツクホウシが盛んに鳴きだし、ミンミンゼミはほとんど聞こえなくなった。

 雷鳴が聞こえなくなってから、知人に頼まれた仕事をボチボチと再開した。目が霞み、目薬をしたり、布団に横になって目を休めたりしながらの作業は遅々として進まない。しかし単純作業でもあるので、頭はあまり使っていない。

 ものを考えながらする作業のほうが長続きするし、進捗の速度も速いものである。単純作業は根気が続かない。視力が弱くなってからは、ますますその傾向が強くなったと思う。
 年寄りは、単純作業よりも思考を鍛える作業のほうが、長続きするのではないか。年寄りだといって馬鹿にして接してはいけない。何がしかの思考能力は歳と共に向上し続けるのだ、という自負が大切だと思う。自負、自尊心、思考力を否定する接し方は、いつかは自分に跳ね返ってくる。

★裸婦像の背のよごれや厄日過ぎ       高木杏子
★彎曲し二百十日の爺婆よ          齋藤愼爾
★蔵王嶺は厄日の雲を寄せつけず       鷹羽狩行 

 厄日とは俳句で二百十日のこと。農作業にとっては台風襲来の時期で、稲の開花期に重なる。今年は台風11号が当たるのだろうか。


蝉が再び賑やかに

2022年08月31日 10時40分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 ここ数日とは違って、朝から強い日差しで、セミが再び活発に鳴き始めた。相変わらずこの団地はミンミンゼミが主流である。しかしアブラゼミの割合も高くなってきた。ツクツクホウシは確かに夕方に聞くことが多い。

★夜の蝉人の世どこかくひちがふ       成瀬櫻桃子
★落蝉に一枚の空ありしかな         落合水尾
★それは少し無理空蝉に入るのは       正木ゆう子
★みんみんや血の気なき身を貫徹す      福永武彦

 第1句、どうしても世の中の流れと隔たりがある自分。それを意識すればするほど、世渡りは上手くいかない。開きなおることのできない仲間が多くいた。。
 第2句、蝉は仰向けになって弱っている。そして最後のひと鳴きを鋭く発する。目にはわずかな時間を地上で鳴き続けた時の青空を見ているはずだ。
 第3句、ずいぶんとなまめかしい句だと思った。
 第4句、確かに蝉の体は乾ききっている。そうでなければあのように澄んだ声にはならない。天上の声なのだろうか。

 本日は昼過ぎに出かける予定。帰りは遅くなる。


新涼

2022年08月29日 22時16分09秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 杖をついて歩いていて気がついたことがある。自然とうつむいて歩いてしまうこと。当然前をしっかり見ていない。1mほど先の足元を見て歩いている。スマホ歩きに似た歩きになっている可能性があるかもしれない。目の前にスマホ歩きの若者が現れ、ハッとすることも多くなった。しかしスマホ歩きよりは視界は広い。たいていこちらのほうが先に気がつく。スマホ歩きのほうが後から私に気がつくようだ。

 暑さが少し和らいできたので、バスも横浜駅の一つ手前で降り、地下街を歩かずに喫茶店や公園のベンチまで歩いてみた。人通りは少なく、直射日光にも晒されず、10分ほどならば汗もかかずに歩くことが出来た。
 帰りは、書店や家電量販店をのぞく必要があったので、地下街や人通りの多いところを歩かざるを得なかった。しかし早くは歩けないものの、できるだけ時間をかけることなく歩いた。

 本日は久しぶりに茶碗にウーロン茶葉を直接入れ、熱い湯を注いで飲んでいる。最高気温が26.9℃、現時点では23℃を下回っているらしい。熱いお茶が美味しく感じるような気温になったのが嬉しい。

★古稀の杖つけば新涼集まれる     竹下陶子
★新涼の水の重たき紙コップ      山本紫黄

 第一句、暑さにたじろいでいたものの、思い切って杖を突いて外に出ると、以外に暑さを感じない。風、太陽、草の色、蝉の声など自分を包む大気が、すでに秋を漂わせている。そんな風に取ってみた。
 第二句、喫茶店で出される水も暑さでグイっと飲むのではなく、一口ずつ飲むようになる。コップを持つ手に水の重みを認識する瞬間が生まれる。秋の重みというべきか。 


佐藤鬼房の句

2022年08月26日 21時49分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 佐藤鬼房句集から
  半迦座(1989.6刊)より
★魔の六日九日死者ら怯え立つ
★砂に陽のしみ入る音ぞ曼殊沙華
★野葡萄や死ぬまで続くわが戦後

 佐藤鬼房の句が読みたくなる。残念ながら佐藤鬼房の句集は「芸林21世紀文庫」の薄い1冊しか持っていない。全句集は昨年14,300円で刊行されたらしいが、とても手の届くものではない。いつか他の句も読んでみたい。

 佐藤鬼房については、ネットで調べると、概略「1919年3月20日~2002年1月19日、俳人、岩手県釜石市出身。現塩釜市立第一小学校卒。1935年より新興俳句系の「句と評論」に投句、渡辺白泉の選句を受ける。1940年、徴兵、中国・南方に転戦。南京で鈴木六林男に出会う。戦後は西東三鬼に師事、1953年「風」同人。1954年、第3回現代俳句協会賞。1955年、「天狼」同人。1985年宮城県塩竈市で「小熊座」創刊、主宰。1989年『半跏坐』で第5回詩歌文学館賞、1993年『瀬頭』で第27回蛇笏賞。社会性俳句の代表的作家。陸奥に根ざした風土性・土俗性を特徴とし、戦争の記憶などもモチーフとした。門人に高野ムツオなど」とある。
  私が仙台にいた1970年代前半も東北、あるいは宮城県内で活躍していたのかもしれない。当時は、名前は知ってはいたが、俳句については何も知らなかった。

 引用の句は、いくどかこのブログでもすでに引用したかもしれない。戦争をひきづって、そして今も私をひきつける句である。


処暑

2022年08月25日 22時37分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 明日は血圧の薬等を処方してもらうためにいつものかかりつけの内科に行く予定。その前に神奈川大学の生協でいくつか本とCDを漁る予定。目的のものがあるか、取り寄せてもらえるのか、確かめに行く。購入はまだ先の予定。在庫がある場合はどうするか、悩みどころ。

 本日の最高気温は28.7℃であったが、明日はまた33℃と昨日のような気温になる予報。しかも朝のうちの湿度が90%というからかなり蒸し暑いようだ。ひょっとしたらパつくのだろうか。

 23日から9月7日までは二十四節気の処暑。「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也(暦便覧)」ということで、概略「暑さが止む」時節と理解できる。萩の花が咲き、朝夕は心地よい涼風が吹く頃でもあるらしいが、残念ながらまだまだとても蒸し暑い。ただし萩はボチボチと目に付くかもしれない。

★妻死後の空のふかさを処暑として    能村登四郎
★北上の渡頭(ととう)に立てば秋の声  山口青邨

 1句目、喪失感。解説は野暮と思ったので、略。
 2句目、北上川の渡しのことだと思う。小さな渡し舟のための木製の乗り場にでも立っているのであろうか。秋の雲が流れている光景がすぐに浮かぶ。風だけではなく、景そのものから「声」を感じとっている。この声は自己の将来から、あるいは自己の過去からのものか。空を行く雲とはちがって内なる声を聴いているように感じた。全国的にも川に渡しがあったのはもうだいぶ以前のことになっている。私も実は川の渡しを利用した経験がない。半分死語なのかもしれない。


秋の気配

2022年08月22日 12時51分14秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日の最高気温はようやく30℃を下回り、29.6℃。本日も30℃に届かないという予報。少しホッとした。それでも蒸し暑いことには変わりない。
 昼間の蝉の合唱の中に、ツクツクホウシの声が混じり始めた。昨晩は深夜に、か細い秋の虫の音が聞こえてきた。何という虫なのかわからずじまいであったが、湯船の中で聞いていた。

 ようやく秋の気配を感じた。

★法師蝉啼く日となりて妻は亡し     臼田亞浪
★法師蝉煮炊といふも二人きり      富安風生
★なきやみてなほ天を占む法師蝉     山口誓子

 第2句、我が家も二人の暮らしになってもう20数年。60歳の定年まではそのような感慨は意識しなかった。膝痛であまり外に出られなかった今年、殊更このような感慨が身に沁みるようになった。法師蝉という季語が全体をしっとりと包んでいて好感が持てる。上五と中七の切れが柔らかである。
 第3句は法師蝉の鳴き声の別の側面。他の蝉よりも耳につくしつこさもある。鳴きやんで静かになる情景はすでに多数。鳴きやんでも自己主張が耳に残ってしまう。頭の中で響き続けている。自己主張の強い人間、あるいは僧の顔を思い出してしまう。


青苔・苔茂る

2022年08月19日 13時00分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連



 私は青苔というのは秋の季語とばかり思いこんでいた。しかし青苔の持つ季感は特に定まっておらず、他の季語を配している例が多いことに気がついた。
 第1句、2句は秋の季感を、第3句は初冬の季感をまとわせている。
 第4句は、「苔茂る」を夏の季語として扱っている。歳時記でもそのように扱っている歳時記がある。しかし私には現在の都会の夏の身を突き刺すようなの陽射しのもとではなく、どこか柔らかい陽射しを匂わせている。きっと木陰の多くあるところが似合う季語である。こんな「苔茂る」の私の持つ季感を打ち破った句に出会ってみたい、作ってみたいという気持ちがある一方、そんなことはとてももったいない気もする。

 私の住む団地では擁壁の目地の苔は梅雨時に花も咲き青々として、盛夏には色が褪せてしまう。しかし今年は、梅雨時が短く青々とした苔の風情はほとんどみられなかった。台風前後の雨で苔の青が急に浮き上がるように見えてきた。苔もまた異常気象に翻弄されているようだ。

★思惟仏秋の青苔身にあふれ      加藤秋邨
★青苔に日の射してゐる神の留守    飯田龍太
★踏み石に苔青々と初冬なる      細見綾子
★苔茂るオランダ塀の上の瀬戸     石原八束

 


台風・野分

2022年08月19日 11時13分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 久しぶりに歳時記や俳句の本をめくってみた。台風8号が過ぎたばかりである。



★雲際の鳶に颱風去る日かな       原 石鼎
★台風を海が身籠るうねりかな      辻美奈子
★颱風下鬱たる巌刻うつる        加藤楸邨
★眦の海をはみ出す野分浪        佐藤鬼房
★電柱は立つほかなくて台風過ぐ     藤井誠三
★台風過襤褸の旗ははためかず      庄司 猛


梅雨はどうなったか

2022年07月15日 11時22分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 朝から20ミリ程度の雨が続いている。天気予報の雨のマークは当初は土曜までとなっていたが、本日確認すると日曜日まで降り、来週も火曜日以降ぐずつく予報になっている。
 梅雨が戻って来たのか、あるいは、まだ梅雨は開けていなかったのか、誰もが口にする。かといってそれを気に留めてはいけないように過ぎていく。

★読み書きも思念も倦みて梅雨長し    庄司 猛
★常緑の深き闇より梅雨生まる      藤井誠三

 本日は神奈川大学の生協に寄ってから組合の会館まで出向く予定であった。しかし午後もこの雨では生協に寄るのは断念することにした。

 


うぐいすの初音

2022年05月12日 22時51分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の朝、団地の中でうぐいすが鳴いているのに気がついた。私にとっては、うぐいすの初音である。例年もっと早く梅の季節に鳴いていた。一日に千回も鳴くというだけあってしつこいくらいに1羽が鳴いていた。しかしここ数年聞こえてこなく、「さびしいものだ」と妻と話していた矢先に聞いた。
 団地では、ここ数年はシジュウカラの声ばかりがしていたと思う。とてもなつかしく聞いた。シジュウカラの声も私は好きであるが、夏山の開けた明るい尾根で聞くウグイスの声はいいものである。団地でウグイスの鳴き声を聞くと、夏山を思い出す。

★鶯の声遠き日も暮にけり     与謝蕪村


茨の道

2022年05月08日 20時21分46秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 週明けから天気は下り坂とのこと。水・木・金と出かける予定があるので、雨は最小限出会ってほしい。出来れば降らないでほしいものである。
 沖縄では梅雨に入ったらしいが、週明けからの雨の予報は、走り梅雨を予告しているのだろうか。

 本日こんな俳句があることを知った。

★十字路の黙の行き交ひ街薄暮    薬師寺彦介
★茨咲く少年たりしときの道     同

 1句目、「黙」は「もだ」。俳句特有の省略の言葉だと思う。無口に人が行き交う街の孤独。
 2句目、これは私にとっては切実な句である。茨は、平穏だったとは言えない小さいときの傷跡の象徴であろう。とても親近感が湧いた。少年の時に刺さった棘は忘れられるものではない。生涯それを背負っているのである。それを忘れたくはない。