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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

桜の実

2022年04月12日 18時15分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 フラワー緑道の横浜駅にもっとも近いところで咲いていたカワヅザクラとヨコハマヒザクラの桜の実が出来ているのか、気になって見てきた。毎年赤くなっているのを通りかかってみるだけだったが、今年は実の状態が気になった。

   

 やはり早く咲いて、散ったカワヅザクラの方が実が大きい。しかも赤くなりかけているのもあった。



 ヨコハマヒザクラの方はまだ桜蕊が枝にたくさんついており、それが落ちたものの子房が少しふくらみかけた程度。緑色の実というよりも、赤黒く細長い。
 赤い花弁が、赤黒い蕊に変わり、さらにその色が黒く固まりそのまま子房がふくらみ始めたように見える。

 住んでいる傍のオカメザクラの実がどうなっているかも気になるところ。本日確認できなかった。後日の楽しみにしておこう。

★葉の陰に揺れはそれぞれ桜の実

  日当たりの具合、木の成長の具合、そして突いた枝の状態によって花弁も蕊も桜の実も、少しずつ違う。その個性は実の振る舞い方にも違いが生じている。植物の個性を許容するように、人の個性を許容するのはなかなか難しいものである。年齢が進むとともに、歳の撮り方に自覚的になる。


清明

2022年04月05日 20時48分03秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日から二十四節気の「清明」。清明とは万物が清らかで生き生きとしていること。「清浄明潔」という言葉による。花が咲き、蝶が舞い、空は青く澄み渡り、爽やかな風が吹く時期を指している。季語としては春の季語。

★清明の雨浸みわたる千枚田    水田光雄
★清明の路ゆく媼が念珠かな    飯田蛇笏
★清明の水菜歯ごたへよかりけり  鈴木真砂女

 第1句にとても惹かれた。清明と聞くと、晴れた天気を思い浮かべてしまうのが習いだが、これから田植えが始まる準備か、あるいは早いところではすでに田植えの時期を迎えているかもしれない。
 東北地方では田植え前の水をたたえている時期、西の方では新しく植えられたみずみずしい緑が雨を吸うように成長しようとする生命感あふれる時期であろう。雨が清明の季感にきれいに寄り添っているように感じた。


「死者の贈り物」(長田弘) その3

2022年02月16日 22時32分20秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 まずは、本書の後ろのほうにおさめられている詩を二つ。

 砂漠の夕べの祈り

 (前略)

世界とは、ひとがそこを横切ってゆく
透きとおったひろがりのことである。
ひとは結局、できることしかできない。
あなたはじぶんにできることをした。
あなたは祈った。


 夜の森の道

 (前略)

森の中で、アオバズクが目を光らせて、
橡(くぬぎ)の朽ち木に群がるオオワクガタを嚙み殺す、
夏の夜。物語の長さだけ長い、冬の夜。
夜の青さのなかに、いのちあるものらの影が
黒い闇をつくって、浮かんでいる。
ものみなすべては、影だ。

 (中略)

神は、ひとをまっすぐにつくったが、
ひとは、複雑な考え方をしたがるのだ。
切っ先のように、ひとの、
存在に突きつけられている、
不思議な空しさ。
何のためでもなく、
ただ、消え失せるためだ。
ひとは生きて、存在なかったように消え失せる。
あたかもこの世に生まれでなかったように。


 前のほうに戻って、マルクスの草稿を詠んだ詩を引用してみる。私も学生時代にとても惹かれたマルクスの言葉である。

 草稿のままの人生

本棚のいちばん奥に押し込んだ
一冊の古い本のページのあいだに、
四十年前に一人、熱して読んだことばが
のこっている。大いなる鬚の思想家が
世界に差し出したい問いが、草稿のままに
遺された小さな本。――たとえば。
なぜわれわれは、労働の外で
はじめて自己のもとにあると感じ、
そして、労働の中では自己の外にあると
感じるのか。労働をしていないときに
安らぎ、なぜ労働をしているときに
安らぎをもてないのか。――あるいは。
人間を人間として、また、世界にたいする
人間の関係を人間的な関係として前提としたまえ。
そうするときみは愛をただ愛とだけ、
信頼をただ信頼とだけ、交換できるのだ。
もしきみが相手の愛を呼びおこすことなく
愛するなら、すなわち、きみの愛が愛として
相手の愛を生みださなければ、そのとき
きみの愛は無力であり、一つの不幸である。――
或る日、或る人の、静かな訃に接した。
小さな記事は何も伝えない。しかし、かつて
大いなる鬚の思想家の草稿のことばを、
腐心の日本語にうつしたのはその人だった。
不確かな希望を刻したことばの一つ一つを思い出す。
束の間に人生は過ぎ去るが、ことばはとどまる、
ひとの心のいちばん奥の本棚に。

 このマルクスの言葉が、なんという表題の文章に書かれていたか、私は今は文庫本も手放してしまったのでわからない。また訳者がだれだったかも忘れてしまった。今度残っている前週から探す時間があれば探してみたい。ただ私の記憶ではここに引用されているだけの短い文章だった気がする。


「死者の贈り物」(長田弘) その2

2022年02月15日 21時39分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   


 秘 密

 (前略)

姿を見なくなったと思ったら、
黙って、ある日、世を去っていた。
こちら側は暗いが、向こう側は明るい。
闇の中にではない。光の中に、
みんな姿を消す(のかもしれない)。
糸くずみたいな僅かな記憶だけ、後にのこして。


 イツカ、向コウデ

 (前略)

まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
きみは、そのことに気づいていたか?
サヨウナラ、友ヨ、イツカ、向コウデ会オウ。


 三匹の死んだ猫

 (前略)

生けるものがこの世に遺せる
最後のものは、いまわの際まで生き切るという
そのプライドなのではないか。
雨を聴きながら、夜、この詩を認めて、
今日、ひとが、プライドを失わずに、
死んでゆくことの難しさについて考えている。


 魂というものがあるなら

 (前略)

きみはわらって、還ってゆくように逝った。
正しかったか、間違いだったか、
それが、人生の秤だとは思わない。
一生を費い切って、きみは後悔しなかった。
そしてこの世には、何も遺さなかった。


 以上4編の詩からいづれも最終連を引用してみた。人の死や、猫の死を詠んでいるが、それは作者である長田弘の「死」に対する願望である。そして「こんな風に死にたい」、とは「こんな風に生きたい」との表明でもある。両者は同一である。
 ネットで検索していたら、胆管がんで75歳で死去する前日まで執筆をしていたとのこと。まさに「三匹の死んだ猫」の最終連のようにきっと「いまわの際まで生き切」ったのであろうか。

 私は「曲がった木のように」右往左往しながらかもしれないが、「この世には、何も遺さず」「プライドを失わず」「糸くずみたいな僅かな記憶だけを遺して」この世からさよならをしたいと思っている。はたしてどうなることやら。人は誰もが自分の死をその直前まで知らないのだ。


「こんな静かな夜」(長田弘)

2022年02月14日 20時42分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 久しぶりに長田弘の詩を読んだ。「死者の贈り物」という表題のように「死」を大きく自覚した詩が並ぶ。日々の起居のすぐ隣に「死」が座っている日常を平易なことばでつづっている。
 2003年の発刊なので、詩人が60代前半の作品である。自分と比べると60代前半でこのように死が近しくは感じなかった。しかし70歳を超えて、きわめて親近感があり、そして共有できる思いが綴られている。
 1編1編、じっくりと味わいたいと思う。

 引用した詩「こんな静かな夜」は2番目の詩。「いつのときもあなたを苦しめていたのは、/何かが欠けているという意識だった。/わたしたちが社会とよんでいるものが、/もし、価値の存在しない深淵にすぎないなら、/みずから慎むくらいしか、わたしたちはできない。/わたしたちは、何をすべきか、でなく/何をすべきではないか、考えるべきだ。」に惹かれた。特に「何かが欠けているという意識」、これがわたしを突き動かしてきた意識であると同感した。20代からわたしを突き動かしてきた観念、いろいろな表現や思想・言葉があるが、そんなものは煎じ詰めれば「欠けている何か」をひたすら追いかけてきた、と言ってしまえばそれで終わってしまうものでしかなかった、という諦念に近い思いが頭をもたげている。

 こんな静かな夜

先刻までいた。今はいない。
ひとの一生はただそれだけだと思う。
ここにいた。もうここにはいない。
死とはもうここにいないということである。
あなたが誰だったか、わたしたちは
思い出そうともせず、あなたのことを
いつか忘れてゆくだろう。ほんとうだ。
悲しみは、忘れることができる。
あなたが誰だったにせよ、あなたが
生きたのは、ぎこちない人生だった。
わたしたちとおなじだ。どう笑えばいいか、
どう怒ればいいか、あなたはわからなかった。
胸を突く不確かさ、あいまいさのほかに、
いったい確実なものなど、あるのだろうか?
いつのときもあなたを苦しめていたのは、
何かが欠けているという意識だった。
わたしたちが社会とよんでいるものが、
もし、価値の存在しない深淵にすぎないなら、
みずから慎むくらいしか、わたしたちはできない。
わたしたちは、何をすべきか、でなく
何をすべきではないか、考えるべきだ。
冷たい焼酎を手に、ビル・エヴァンスの
「Conversations With Myself」を聴いている。
秋、静かな夜が過ぎてゆく。あなたは、
ここにいた。もうここにはいない。


旧正月・春節

2022年01月26日 23時01分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 退職者会ニュース3月号の原稿のいくつかと写真をすでにメールで送信してもらっている。しかし私の都合でまで整理がしきれていない。
 編集作業は2月の中旬から具体的に開始をするので、心配はないがもらったデータの整理は早くしないといけない。来週早々にも整理を完了したい。本当は受信したらすぐに整理しなければならないし、これまでもそうしてきた。
 早めに協力してくれている仲間には申し訳ないが、今回はなかなか整理できない。1月29日を過ぎればなんとかなると期待している。

 さてそろそろ春節。旧正月のこと。旧暦での正月が旧正月となり、俳句の季語としては旧正月で、旧正と略して使う場合が多い。
 横浜など中華街では旧正月を春節として賑やかに祝う。銅鑼や爆竹が鳴り、獅子舞が各店を訪れ、色鮮やかな飾りがあふれる。
 日本、特に都会で暮らす私などには旧正月という雰囲気はすでに持ち合わせていないし、記憶にもないものがほとんどではないだろうか。寂しく、そして何をイメージしていいかわからない。すでに死語に近い。
 しかし春節というと明るく、賑やかなイメージとなる。同じ時候を表すのにこんなにもイメージが違う後も珍しいのではないだろうか。
 そんな旧正月と春節の雰囲気を並べてみた。

★旧正や旅をうながす南の星    大野林火
★密やかに旧正月も来て去れり   相生垣瓜人
★春節や銅鑼の巨濤に呑まる路地  高澤良一
★春節や空を鳩翔け地には獅子   岩崎照子
 


みぞれ・霙

2022年01月23日 21時35分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 今晩から明日の未明にかけて霙になる可能性がある、と思ってネットで「みぞれ」の俳句を探してみた。私の気分と合致するものは見つけられなかったが、心にひかかった句を4句ほど。

★よろよろと枯れたる蓮に霙れけり  日野草城
★墓の文字幾たび消しに来る霙    福田甲子雄
★夕霙みんな焦土を帰るなり     下村槐太

 第1句、むろん「よろよろ」は作者自身のこと。作者がいくつくらいの句かはわからないが、晩年あるいは、老いを感じたときの句と理解してみた。議論に疲れたときの気分の句にしては、あまりに色彩がなさすぎる。枯れ蓮と霙と凍えかかった水の色しか思い浮かばない句である。私が晩年の句と考えた理由である。
 第2句、雪の場合は積もってしまえば、1度だけ消える。しかし墓石をつたう水はきわめて冷たい。ふんわりした雪に覆われたほうが暖かい。幾度も融けて流れる水滴のその冷たさに文字まで震える。墓には作者の思い入れの強い人も眠っているのである。その人に対するひょっとしたら謝罪の気分がどこかにある句ではないか。すこしうがちすぎかもしれないが。
 第3句、戦後間もなくの情景。生き残った人々がまだ灰燼に帰したままの都会を歩いて帰宅する。帰宅する家のある人はまだいい。そしてそんな焦土の中でも人々の生活のための生業は続く。


干し柿

2022年01月19日 17時14分32秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★干柿の種健在にして老いぬ     丸井巴水
★干柿の舌に吸ひつく里の味     谷渡末枝
★市田柿硬さは口におもねらず    庄司 猛

 知人からあんぽ柿はヨーグルトと一緒に食べると美味しい、と教わった。あんぽ柿は柔らかく、袋を開けると冷蔵庫に入れていてもどんどん柔らかくなる。生の柿をスプーンで食べるのが好きな私は、柔らかくなったあんぼ柿も好きである。
 ヨーグルトに混ぜるにはかなり柔らかくならないとジャムのようには混ざらない。たまたま柔らかくなったものがあったので試しに食べてみたらとても新鮮に感じた。だが、いつも食べられるとは限らない。
 あんぽ柿柔らかさと舌になじむ甘さは、朝の活力を準備してくれるかもしれない。

 硬い市田柿も私は好きである。この市田柿はウィスキーやブランデーを口に含みながら、少しずつかじるのがいい。このときはナイフで小さく切ると便利である。この硬さはどこか偏屈で頑固者というところがある。ぎゅっと固まって意固地なのである。
 世の中におもねらずに生きて来た頑固さがいいのだ。この頑固さを噛みしめ、染み出てくる柔らかい甘さを味わう。そうして自分の生きてきた時代と自分の葛藤を思い出すのは、枯れ葉が音を立てて通り過ぎる冬の深夜である。
 市田柿の硬さは夜が似合う。人を内省的にする。 


霜柱

2022年01月18日 21時57分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 明日は区役所で書類を交付してもらいに行く。区役所職場には在籍したことがないので、仕事のありようについてはよくわからないことばかりである。私が現役のときとそれほど様変わりはしていないと思うが、職員で知っている職員はほとんどいない。
 私の属した局や職場でも知っている職員は少なくなっているので、まして区役所で知っている職員は少ないのが当然である。労働組合の役員をやっていたので、知っている職員は割と多いと思っているが、退職後10年という時間は短くはない、という実感が湧いてくる。

 今週は寒気がやってきて寒いとのことである。本日団地の中を昼間歩いてみて、久しぶりに足元を見た。霜柱が立った跡があちこちにあり、「今年の冬は寒いのだなぁ」と実感した。昨年はほとんど霜柱の跡を見なかった。
 しかし霜柱の跡も昼の間にほとんどが融けて仕舞っているようだ。以前は3段くらいの霜柱がいたるところにあった。今年は寒い北側でも残っている霜柱は見当たらない。ちょっと寂しい思いがした。
 今週の寒気でその霜柱はどうなるのだろうか。2段くらいに成長した霜柱を見てみたい。

★霜柱天快適に梢容れ     宇佐美魚目
★霜柱踏めば障子を開く僧   野村泊月


今年の俳句 12句

2021年09月18日 16時08分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 台風14号で外出を控えている本日、10月の中旬に退職者会の「作品展」に出す俳句12句を選んでみた。外部に発表していなだけに人に揉まれていない。客観的な評価はないので、あくまでも自己満足の世界に浸ってしまっている句、とあらためて思った次第である。

★階(きざはし)を喘ぎ登りて冬オリオン
 十回目の三・一一迎えて回想二句
★叫びても祈りてもただ雪地裂ける
★海裂けて陸奥の無骨な冬停まる
★梅雨雲の黒々と寄せ腑の病める
★めじろ来て輪廻の速さを啄(ついば)みぬ
★空蝉の丸さ極まり背の裂ける
★ご詠歌のゆらゆらとして木下闇
★夏蝶の寄りて纏わる杖と老い
★棚朽ちてふいご祭りの鉄匂う
★紅を差す地蔵に枯れ野の道を聞く
★木守柿途方にくるる重みかな
★穂のすすき夕陽の透けて人過ぎる

 作品展には、幾枚かの写真、ならびに退職者会のこの1年の取組の写真の二組も展示予定だが、間に合わせるのが大変である。


芒・薄

2021年09月01日 22時49分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 一昨日、帰りがけに美しい芒を見つけた。この時期のススキがお気に入りである。あまり開きすぎてもいけない。開く前は瑞々しくて美しいが、頑なな印象を与えることがある。さらに芒は雑草の中にすっと立っているのが美しい。手入れされた庭などにあってもありがたくない。特に歯の細い雑草地の緑のなかで存在しているのが美しい。
 そして本当はこのくらいの時に、日が当たっているのが一番美しい。この芒には日が当てっていなかった。撮影しているときに残念に思った。夕陽を浴びている芒を逆光で見るのが好きである。それがかなわなかった。こんど是非そのような機会を逃さずに撮影したい。
 金色に輝くものは全般的にあまり好みではない。しかしこの芒の金色は、理由は分からないが、私のなかでは別である。

★野にありし全長を活け穂の芒     鷹羽狩行

 


夕焼け

2021年07月19日 22時25分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連



★わが死にしのちも夕焼(ゆや)くる坂と榎    加藤かけい

★夕焼に遺書のつたなく死ににけり        佐藤鬼房
★夕焼雀砂浴び砂に死の記憶           穴井 太

 夕焼けの句を探しているといつの間にか、死や廃墟のイメージの句に着目していた。あざやかで色彩鮮明な夕焼けのどこかに「死」や「滅び」を嗅ぎつけているる自分というものに慄然とする。

 第1句、真正面から「死」を扱ったが、「死」に現実感がなく、一般的な死であるがゆえに「カラっ」としたイメージが浮き出ている。だがこんな「死」の思いを、私は幼稚園児のころからときどき味わった。その想念が夕方に起きると、夜も眠れなかった。宇宙のことを記した図鑑を向かいの中学生にもらって、私の命がなくなっても続く太陽の営み、そしてその太陽にも寿命があり、地球が飲み込まれる、という記述が怖かった。この句の場合は天文現象ではなく、もっと身近な「坂」と「榎」に「死」が張り付いている。
 第3句、佐藤鬼房の句であるから、おそらく戦争体験であろう。「つたなき」とはいえ、生きることの困難な時代の叫びが静かに横たわる。
 第4句、土や砂とはいえ、ひょっとしたらそこには「人の死」や小さな動物の「死」が絡んでいた来歴があったかもしれない。その土や砂が今は、雀の一途な生の再生に寄与している。その一般性を読み取ることもできる。しかしこれは長崎の原爆のことを詠んだ句でもあるらしい。句にはそれは触れていない。背景を知ると長崎の原爆の地の重みがひしと伝わる。しかしそれをわざと匂わせないことで、この句のイメージはもっと一般化されているといえる。それが成功したと句ととらえるか、一般化しすぎととらえるか、私にはその評価を決定する力はない。
 


梅雨明け

2021年07月17日 23時06分40秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 一昨日気象庁より梅雨明け前言があった。梅雨と梅雨明けが画然としているのが、多いように思っている。私はいつの間にか梅雨が上がっていた、という年のほうが少ないと思ってきた。統計的にどちらが正しいのかは、分からない。
 梅雨明けの雷が私の記憶に多く残っているためであろう。聴覚で梅雨明けを感じるということでもあった。
 ところが歳時記を見ていて梅雨明けが、嗅覚や視覚などとともに人々の認識に達するということに気が付いた。人の認識の仕方は不思議である。それを知るのも俳句の面白さでもある。

★梅雨明の大神鳴や山の中            日野草城
★梅雨明けや深き木の香も日の匂         林翔
★梅雨明けのただちに蟻の影の道         井沢正江
★うしろより忽然と日や梅雨あがる        加藤楸邨


空蝉、峰雲・雲の峰・積乱雲

2021年07月15日 22時26分33秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 久しぶりに俳句歳時記をめくってみた。日が差すと蝉が鳴きはじめる。陰ると鳴き止む。これが八月に入ると、雨が降っても蝉は鳴き止まなくなる。その頃には、夕立が激しくなる。

★空蝉を置いて白紙に翳り生む    鍵和田釉子
★ふるさとにわが空蝉は突伏して   正木ゆう子
★空蝉の丸さ極まり背の裂ける    藤井常二
★息をのむ子の視線は空蝉に     菅原 涼
★空蝉の五体満足にて虚ろ      白濱一羊



★積乱雲つねに淋しきポプラあり   金子兜太
★峰雲を生みつぐ海の力業      原  裕
★雲の峰雷を封じて聳えけり     夏目漱石


春の雨、春雷

2021年04月14日 21時20分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 先ほどの猛烈な雨と、強い風、そして雷は30分もしないで南西から北東方向に、千葉県北部のほうに移動していった。風もおさまり、ごく短時間で雨は弱い雨に変わった。我が家では、電気関係への雷の影響も無くてホッとしている。山梨県でも強い雨の区域が通過していた。

      

 午後家を出るときに、家の前の植え込みのつつじなどについた雨粒が美しかった。カメラに収めてから家をあとにした。

 降っているのか、わからない程度の穏やかな春の雨と、豪雨と雷をともなう春の嵐と、二つを同じ日に体験するのも珍しいのではないだろうか。

 きわめて艶めかしいと思った句を一句。
★春雷や胸の上なる夜の厚み       細見綾子

 こちらは老いがにじみ出ている句に思えるのだが、読み違いか。虚子がいくつくらいの句なのであろうか。
★春雨のかくまで暗くなるものか     高浜虚子