Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

蝉の声

2023年08月13日 20時30分02秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 先日アブラゼミが2匹階段室に迷い込み、翌日死んでいた。以降は階段室には飛び込んで来てはいない。しかし他の階段室にはずいぶんと飛び込んでいる。本日は雨模様に関わらず、蝉の声は激しい。
 最近は家にいる時間が長いためだろうか、蝉の声がうるさく感じるときが多々ある。昔は職場の周りでも盛んに蝉の声は聞こえていたが、仕事に紛れてうるさく感じたことはあまりなかったと思う。
 あるいは仕事に紛れるということとは無関係に、歳をとると蝉の声がうるさく感じるような聴覚の変化があるのだろうか。そんなことがふと気になってしまう。

★夜の蝉人の世どこかくひちがふ     成瀬櫻桃子
★油蝉死せり夕日へ両手つき       岡本 眸
★蝉しぐれ防空壕は濡れてゐた      吉田汀史

 第1句、どこか食い違うのは、夜の蝉の声が原因ではない。しかし時々蝉の激しい合唱が自然の秩序を越えて、どこか狂気のように聞こえてしまうことがあるのではないか。しかもそれが夜の蝉の合唱となるとなおさらである。社会に在って人や社会との疎外感が膨れ上がり、それが昂じて病の領域に突き進んでしまうこともある。そんな自分の危うい現状と蝉の合唱が重なってしまう瞬間を意識したことは無いだろうか。私にはとても切実に思えた句である。
 第2句、先日の我が家の家の前の階段室に迷い込んで死んでしまった蝉、ひょっとしたらこのように夕日に向かって生涯を終えたかったのかもしれない。油蝉と表記されるだけに暑い夏の日に絞り出すように鳴く声が、夕日にこだましている。
 第3句、私は防空壕で身を潜めて空襲をやり過ごした体験はない。しかし私は小学生の頃、防空壕の跡をずいぶん見た。いづれも入り口が木の柵でふさがれていたが、柵は腐り、草に覆われ湿気ていて、覗くと草や木の腐った臭いがした。こんなところでどうやって長時間潜むことが出来たのか、幼いながら不思議に思ったものである。多分作者は生涯この湿気の多い濡れた防空壕の体験を五感をもって覚えているだろうと思う。作者は蝉しぐれの夏の慰霊の時に思い出すのであろうか。体に染みついた感覚を忘れ去ることはできないはずだ。
 


もうコスモス

2023年07月29日 20時57分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

  帰りのバス、一つ手前のバス停で降車し、近くの公園に寄ってみた。サルスベリの赤い花の下に、もうコスモスが咲いていた。サルスベリとコスモス、鮮やかな色彩がきそいあっていた。

 8月8日はもう立秋である。

★コスモスが咲けば地表のうるほへり   細見綾子
 本日は風が少し強く、少しだけ秋を感じたものの、最高気温は34.4℃。今年のような酷暑の日々にこの句のようなコスモスのイメージはほど遠い。本日は少し乾いた風だが、秋を連れてきてくれそうもない。気温が下がるのはまだまだ先である。

★コスモスが手近な色を蒐めたる     後藤比奈夫

★コスモスの一輪月にとどきたる     山口青邨
 不思議である。群落のコスモスの中でもひときわ高くそびえるコスモスが一輪、どの群落にもある。
 


ゴキブリの俳句の続き

2023年06月19日 22時27分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 ゴキブリの俳句、あまり目に付くことはないと思っていたが、ネットで検索すると以外に多い。そしてゴキブリが出現すると、家庭の夫婦の関係があらわになるらしい。

★ごきぶりを殺せしと妻よろこばす     右城暮石 
★ごきぶりが髭でうかがふ妻子の留守    伊丹三樹彦
★わが逸したるごきぶりを妻が打つ     安住 敦

 第1句、夫の威厳をゴキブリ退治の腕で示す。判定するのは妻。
 第2句、妻子ならば危険だが、夫ならば、とゴキブリに舐められる夫。
 第3句、ゴキブリに対する憎しみでは、夫は妻に対抗できない。妻の雄姿に脱帽。

 さて、我が家では先ほどのゴキブリ退治の後は、今度は粗大ごみの運搬を命じられた。わがままなゴキブリ亭主としては叩き潰されないように従順に命令を聞くことが肝要。
 と記載したが、これが妻に伝わってはならない。このブログを見ている娘から妻にご注進が入らないことを祈るばかりである。


ゴキブリ出現

2023年06月19日 21時27分50秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 夕食後に本棚の整理をしようかとも考えたが、その気力が湧かず、ボーッと過ごしてしまった。明日以降、退職者会ニュースの編集作業と、部屋の整理を交互にこなすのが良いようだ。

 今年初めて大きなゴキブリが我が家の中にいた。まだ未完成の便所に入ったところ、クロスを貼っていない壁に貼りついていた。あまりの大きさにびっくり。慌ててゴキブリ用に殺虫剤を探したが、リフォームの関係で仮置き場に置いたものの、すぐに見つからなかった。ようやくベランダに出ていた殺虫剤の缶を見つけた。その間3分ほど。便所にもどり、二吹きほどでひっくり返ってくれた。排水管と給水管と壁の間にもぐりこんでしまい、始末するのに困った。
 私は膝が痛くてしゃがめないことを理由に、妻に交代してもらいようやく御用。封筒に入れセロテープで封をしてゴミ箱に廃棄。ゴキブリはすでに弱っていたようで、封筒の中では暴れていない。
 便所の床が未施工で少し隙間があり、そこから侵入したらしい。去年・一昨年と本日のような大きなゴキブリを見ていないので、とても驚いた。
 いよいよゴキブリの徘徊する季節である。

★老いの身となめてゴキブリたじろかず   植村蘇星
★ごきぶりと仲良く暮せといわれても    角田信子
★ごきぶりを打ちし靴拭き男秘書      守屋明俊

 第1句、老いてゴキブリと対峙している。ゴキブリの死んだふり、とよくいわれるが、ゴキブリもこちらの動静をじっと観察している。ついでにこちらの動作が俊敏かどうかも見極めている。老いを見透かされている。
 第2句、この句のゴキブリ、本当のゴキブリなのだろうか。世に「ゴキブリ亭主」もいる悲哀。
 第3句、しかめっ面した秘書室の秘書が、ゴキブリの退治を命じられたと解釈してみると、いくら仕事とはいえ、秘書とはいえ、なんでこれが俺の仕事か、という愚痴が聞こえてこないだろうか。ゴキブリを潰した靴をきれいにして、またしかめっ面して上司の威厳を保ちつつ随行する姿におかしみを感じてしまった。
 ゴキブリの俳句は、悲哀がかならずついてくるのではないか。


紫陽花の花芽

2023年04月25日 21時00分40秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 色づき始めようとしているアジサイを見つけた。あとどのくらいで色がにじみ出てくるのかはわからないが、やはり今年は早そうである。
 この街路樹の下のアジサイは毎年鮮やかな濃い紫色の花だったと記憶強いる。ただしあくまでも記憶である。実際に咲くと違うかもしれない。自信はない。
 今咲いているシャクナゲとともにアジサイは好きな花のひとつ。これからが楽しみである。

★紫陽花や白よりいでし浅みどり     渡辺水巴
★紫陽花に吾が下り立てば部屋は空ら   波多野爽波
★紫陽花の咲けば咲かねば悔ひとつ    加藤秋邨

 第2句、不思議な気分になる。たぶん自分の部屋を出て、外に色鮮やかに咲いている紫陽花を見て、窓から見える自分の部屋の空疎・不在・昏さをあらためて実感したというのだろう。内面の空虚、暗闇を抱えている自分を認識したというのは、深読みのしすぎかもしれない。


本日の書き写し

2023年04月07日 22時44分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昼好きにようやく昨夜の深酒の影響は抜けたが、外に出ることもできず、気分的にはモヤモヤが続いた。気がついたら夕食時間。ボーッとしているうちにとうとう22時を回ってしまった。ピリッとしない一日を過ごしてしまったようで、おおいに反省。

 気力を少しでも取り戻すべき、書き写しを始めた。とりあえず石牟礼道子の俳句の残りから10句ほど。いづれも「俳句α」(2018年夏号)に掲載された「色のない虹」から抄出20句より。

★あめつちの身ぶるいのごとき地震くる
★天日のつるえや白象もあらわれて
★泣きなが原 鬼女ひとりいて虫の声
★花れんげ一本立ちして春は焉(おわ)りぬ

 横浜市域には、引き続き強風・波浪・雷注意報が出ている。雨は弱いながらもまだ止んではいない。


本日の書き写し 石牟礼道子19句

2023年04月05日 22時53分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の石牟礼道子の俳句の書き写しは19句。「水村紀行」から抄出50句の最後。

★列島の深傷(ふかで)あらわにうす月夜
★毒死列島身悶えしつつ野辺の花
★極微のものら幾億征きし草の径(みち)
★月影や水底の墓見えざりき
★色の足りぬ虹かかる渡るべきか否か
★向きあえば仏もわれもひとりかな

 「俳句α」2018年夏号に掲載されている句の残りは、「色のない虹」から抄出20句、ならびに句集未収録句から6句だけとなってしまった。。

 合わせてこの俳句誌の掲載されている「道子さん、こーろころ」(米本浩二)、「石牟礼さんと寂聴さん」(黒田杏子)、「生者と死者のほとり 石牟礼道子さんを悼む」(齋藤慎爾)の3編を再読した。


昨晩の書き写しから

2023年04月04日 10時34分15秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日の書き写しは引き続き石牟礼道子の俳句を20句。

★いつの世の花ぞ雪やみて冬の紅(くれなゐ)
★天変地異寒夜(かんや)にふぶく桜かな
★能なしの細胞の生まるとぞ赤い月
★うつし世の傷口いえず冬の稲妻
★椿落ちて満潮の海息低し
★亡魂とおもふ蛍と道行きす
★幾世経しかなしみぞ谷合いの古き湖(うみ)

 「俳句α」2018年夏号に掲載されている句はのこり40句程度となってしまった。書き写すたびに、当然のことながら、残りの句は少なくなっていく。それが寂しい。

 


本日の書き写し

2023年04月01日 23時15分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の書き写しは時間切れで13句にとどまった。いつものように石牟礼道子の俳句である。

★天の胎(はら) 割(さけ)つつ 黄牛(あかうし)の角1本
★紅殻を脱ぎし蟹死人さまに逢う
★花びらの水脈(みお)越えてゆく蛇の子が
★さきがけて魔界の奥のさくらかな
★花ふぶき生死(しょうじ)のはては知らざりき

 写真はハナモモ。俳句とは別物。





石牟礼道子の俳句から 3回目

2023年03月29日 22時58分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 現在雨は上がっているが、広くなった雨の区域が相模湾より北上しており、再び降りそうである。強い雨の区域は無くなっている。

 本日の書き写し終了。石牟礼道子の句集「天」の最後の9句と「水村紀行」抄出59句のうち7句を書き写した。
 3回連続で16句であるが、これは偶然。とはいえゆっくりと書き写すにはちょうどいい量といえるかもしれない。

 「天」から、
★紅葉嵐天の奥処(おくが)もいま昏るる
★霧の中に日輪やどる虚空悲母
★ひとつ目の月のぼり尾花ヶ原ふぶき
★いかならむ命の色や花狂い

 「水村紀行」から、
★いず方やらん鐘ひびく湖(うみ)あぶら照り
★花びらの湖面や空に何か満つ
★青い罌粟(けし)まなうらにふるえ睡(ねむ)りけり


夜の書き写し

2023年03月28日 22時12分11秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日も書き写しは石牟礼道子の句集「天」から16句。

★にんげんはもういやふくろうと居る
★ふくろうのための彼岸花夜さり摘む
★前の世のわれかもしれず薄野にて
★闇の中のものら華やぐ萩の風
★月明のひがん花森に似て地下の宴
★人間になりそこね 神も朝帰る

 水俣・天草周辺の森の夜と朝の境目の情景を思い浮かべながら、読み進めた。森は確かに、太古の昔から今に至るまで、怖れと共に救いの場、身を寄せて再生を願う場である。
 これらの俳句の書き写しは、夜が似合う。


書き写し再開

2023年03月28日 11時26分59秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩から降り始めた雨がまだ降りやまない。1ミリ程度の雨である。風は北風なのだが、雨の区域は南から北へとてもゆっくりと移動している。
 近くの郵便局だったけれども、小さなビニール傘では投函する郵便物が濡れてしまった。

 昨晩は石牟礼道子の俳句を味わいながらゆっくりと写した。まずは句集「天」(1986年)の全41句を初めから16句ほど。

★角裂けしけもの歩みくるみぞおちを
★死におくれ死におくれして彼岸花
★祈るべき天とおもえど天の病む
★繊月のひかり地上は秋の虫
★落ち衣(ぎぬ)は銀杏のなかへ谷の暮れ
★天崖の藤ひらきおり微妙音(みみょうおん)
★天日(てんじつ)のふるえや衣のみ舞い落ちぬ

 


菜種梅雨

2023年03月22日 22時58分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 ようやく追悼誌の本日の追加作業を終了。あと一つの原稿が来ないことには最終的な割付は確定しない。やきもきしながら作業をするのは、ストレスが溜まるものである。先月から今月にかけて、このストレスに晒される自体が3回もあり、少々草臥れてしまっている。あとひと踏ん張りでこの作業から解放される。

 明日からは5日続けて天気がぐずつく予報になっていた。菜種梅雨といわれるもので長雨が続く天気を指している。しかし、こんなにも雨の日が続くのは記憶にはない。
 菜種梅雨というと時期的には、寒さが戻ること多い。

★寺の炉に酒をたまふや菜種梅雨   細見綾子
★小店それなりの売上菜種梅雨    鈴木真砂女 
★どろんこの野球いつまで菜種梅雨  飴山實
★海の音纏ひて菜種梅雨の死者    佐藤鬼房

 


読了「現代秀歌」

2023年01月30日 21時59分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 いつものように覚書として何か所か引用。

普段考えることもなく見ていた普通の風景が、改めて指摘されてはじめて、なるほどそんな見かたもあったのかと驚く。歌を読む楽しみのひとつは、確かにそのような他の人の〈感性の方程式〉とでもいったものに触れる喜びでもあるのである。」(第3章)

渡辺松男の歌は、一首だけ取り出して解説しても、そのおもしろさが十分には伝わらないもどかしさが残る。しかし歌集として読んでいくと、自然との不思議な親和性、かつ意表を衝く作者の精神の段差とでもいったものに、こちらの精神がくらくらしてくる。ある種の酩酊状態に読者を落とし込む作品がならぶ。‥理屈と文体の乖離と破綻によって、破綻の全体像が作者の内部に抱え込まれたまま、それがそのまま読者の胸になだれ込んでくる‥。」(第3章)

(三枝昂之の歌は)敵とか味方とか、はっきりしていればまだいいのである。しかし、「終の敵」も「終なる味方」もとうとう自分には居なかったという苦い思い。まことに中途半端な仲間でしかないという忸怩たる思い。そんな内部と鬱屈とは関りがないように「あかるさの雪」が流れよる。明るさがいっそう内部の昏さを浮き立たせたのであろう。」(第4章)

(前登志夫について)村は変えるべきところであるとともに、ついに己れの違和として存在する場所でもあった。吉野はいつも温かく自らを包んでくれる母郷なのではなく、常に拭いがたい違和感とともにある存在でもあったのであろう。」(第8章)

大和には、長い、そして深い歴史の襞が刻まれ、深い闇を抱えている。普段見ている大和の景は、そんな襞や闇から濾されてきた上澄みにしか過ぎないのではないか。とっとどろどろと深い闇にこそ大和の本質はあるはずなのだ、作者(前川佐美雄)は気づくのである。」(第8章)

そんな卑怯は、実は自らの裡にこそ根を張っているのではないかと、深く思っている作者(伊藤一彦)がいる‥。そんな見苦しい卑怯が、確かに自らのなかにあると気づくとき、人は、他人のを非を一方的に攻撃する傲慢さから少し距離を置くことができるのである。それが〈自己相対化〉ということに他ならず、自己相対化を通して、人間は謙虚になり‥。」(第9章)

 歌の世界だけでなく、人は他者との関係の中で、このように変わっていくものである。

 私の注目している渡辺松男、三枝昂之についての言及は新鮮であった。
                                        


「奥の細道」の書き写し

2023年01月18日 18時01分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日から本日にかけては、「奥の細道」の第13段「あさか山」、第14段「しのぶの里」、第15段「佐藤庄司が旧跡」、第16段「飯塚」までを書き写した。
 次の第17段「笠島」をひとつの頂点とする前半の台地上の山場、見せ場であると私は思っている。「佐藤庄司が旧跡」で義経・弁慶の故事は、平泉の高館の段への布石でもあるはずだ。読み物としての「奥の細道」にはさまざまな細工と工夫が込められていることを再認識。
 「笈も太刀も五月に飾れ帋幟(かみのぼり)」という句を読むと、芭蕉が確かに武士の出、武士という身分の矜持を持ち続けたのかとあらめて認識する。この矜持は私などにはもはや理解できないものである。