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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「永瀬清子詩集」を読む

2023年11月26日 19時17分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連



 夕方、喫茶店で「永瀬清子詩集」を読んだ。永瀬清子の名は、1970年代半ばに吉本隆明編集の「試行」誌上に「短章集抄」が載っていた。幾度も名前は見たが、読んだことはなかった。

 戦後2番目の詩集「美しい国」(1948刊、42歳)から2編、ならびに最後の詩集「卑弥呼よ卑弥呼」(1990刊、84歳)から2編のそれぞれ抜粋して引用してみたい。

  夜に燈ともし
 かいこがまゆをつくるように
 私は私の夜をつくる。
 夜を紡いで部屋をつくる。
 ふかい黄色の星空のもとに
 一人だけのあかりをともして
 卵型の小さな世界をつくる。
 ・・・・
 さびしい一人だけの世界のうちに
 苔や蛍のひかるように私はひかる。
 よい生涯を生きたいと願い
 美しいものを慕う心をふかくし
 ひるま汚した指で
 しずかな数行を編む
 ・・・・

  降りつむ
 かなしみの国に雪が降りつむ
 かなしみを糧として生きよと雪が降りつむ
 失いつくしたものの上に雪が降りつむ
 その山河の上に
 そのうすきシャツの上に
 そのみなし子のみだれたる頭髪の上に
 四方の潮騒いよよ高く雪が降りつむ。
 ・・・・
 無限にふかい空からしずかにしずかに
 非情のやさしさをもって雪が降りつむ
 悲しみの国に雪が降りつむ。

  歓呼の波
 ・・・夫は招集され
 東京駅を出て行った。
 見渡す限りの万歳と旗と歌声の波に送られ
 ろくに別れをかわす事も汽車の窓に近よる事さえもできずに――
 ただその波に押しまくられているうちに汽車は出ていった。
 ・・・・
 あの歓呼のことはを忘られない。
 旗をふり、軍歌を高唱し
 まるで犠牲の羊をリボンや花輪で飾りはやすように
 自分の番ではなかった事を
 人々はまず喜んでいたのではないのか?
 あの歓呼、忘られない。

  悲しいことは万歳でした ――老いたる人のレコード
 私はその時のことを知っていますよ。
 私はその時 そこにいたのです。
 ・・・・
 私はその時まだ若く柔らかく
 歴史にも慣れていなかったのです
 夫はタスキをかけ、それは「死んでも当然」のしるし。
 みんな狂っていたので
 悲しいことは「万歳」でした。
 つらいことも「万歳」でした。
 みんなが歌ってくれました
 だから自分だけが泣くことのできない不気味な時代。 
 私はその時のことを知っていますよ。
 私はその時 そこにいたのです。
 私の中身にはその泣き声がしまってあります。
 私は古びた一つのレコードなのですよ。
 ・・・・

  有事
 ・・・・
 自分が信じる事以外には従うまい
 そんな単純な決まりきった事でも
 ちゃんとあらためて自分にきめておかないと
 きっとその時は、五寸釘をねぢ曲げるように
 誰も枯れも折り曲げられてしまう世の中になるのだ
 おそろしい
   そうだ
 私はもう「有事」を語っている。

 「はしがき」で谷川俊太郎は「詩は自己表現という考え方が当時は一般的だったが、永瀬さんの自己は初めから「私」をはみ出して、世界全体に向かっていた。永瀬さんにとって世界は一つの計り知れない流動体であって、そこでは人間界、自然会の区別は永瀬さんの中にはなかった‥。娘、妻、葉は、農婦などの役割を果たしながら、役割だけでは捉えられないグローバルな存在、無限定な宇宙内存在として自分では気づかずに生きたと思う」と書いてある。
 なるほど、と思える評ではないだろうか。特に「降りつむ」からはそんな感想を持った。引き続き読み続けたい。「短章集」などの文章も読みたい。


酉の市

2023年10月31日 22時10分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 10月末ともなると11月の酉の市の声が聞かれる。しかしこの暖かさでは実感が湧かない。今年は11日(土)と23日(木)とのことである。コロナ禍前には毎年ではないものの横浜橋商店街とその近くの金刀比羅大鷲神社の酉の市を見に出かけた。正月三が日に2度ほど親と子どもと一緒に「初詣」なるものに出かけたことはあるが、酉の市で境内に入ったことはない。
 あの長蛇の列を見ただけで、「勘弁して」という声が出てしまう。熊手を売る屋台や、さまざまなものを扱う屋台の間を人混みにもまれながら一周して帰ってくるのがいつものパターンであった。娘がまだ小学生になるかならないかの頃、小さな熊手を手に入れて帰って来たことはある。私は屋台でビールか缶チューハイを購入して飲みながら人混みに身を任せていた。寒くなって人恋しくなる季節に相応しい人混み、という評価が出来そうである。
 さて今年はどうするか。親を連れていくことはもう無理。娘夫婦はつき合ってはくれそうもない。多分、行かない、という選択になりそうである。

★くもり来て二の酉の夜のあたゝかに     久保田万太郎 
★裸火の潤みし雨の酉の市          松川洋酔
★二の酉の風の匂ひと思ひけり        佐藤若菜

 今年は一の酉の前の8日が立冬、二の酉の前日が小雪。はて二の酉の風の匂いとはどんな匂いだったか。嗅覚が歳とともに消えてしまった私には、匂いは記憶の中にしかない。それも40歳以前のもう30年以上前のかすかな記憶しかない。強いにおいであるキンモクセイ、クチナシ、チューリップ、ユリなどの匂いは鮮明に覚えているが、かすかな匂いほど記憶にない。
 また具体的な匂いではなく、「雰囲気としての匂い」も次第に頼りなくなっている。二の酉の匂いとは私にとってはどんな匂いだったか、いくら自問してもわからない。生理学的な嗅覚としての記憶だけでなく、歳とともに「雰囲気としての匂い」も忘却の彼方である。


2023年10月29日 18時15分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 先ほど団地内を歩いていたら、芒の穂が美しかった。群落が小さいので、それほど目立ってはいないが、それでもやはりこの時期ならではの景色である。
 本日は満月と十五夜が重なっている。一本拝借したかったが、数が少ないので遠慮した。

★穂芒に声在りとせば御空より      高澤良一
★いつぽんのすすきに遊ぶ夕焼雲     野見山朱鳥
★瓶の芒野にあるごとく夕日せり     大野林火
★芒挿す光年といふ美しき距離      奥坂まや

 


名月や・・・

2023年09月30日 15時10分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩は、仲秋の名月が残念ながらちょっとしか見ることが出来なかった。

★名月や神泉苑の魚踊る     与謝蕪村
 前書きに、雨のいのりのむかしをおもひて、とある。

 神泉苑は、弘法大師が神泉苑にて雨乞いの祈祷をしたという故事がある。月光は仏性のあまねく行き届くさまをさすたとえとして語られる。その清浄な光がもっとも美しいしいう名月の光に、池でいきおいよく泳ぐ、ないし、水面から飛び上がるような魚を配している。生臭いものの象徴なような魚であるから、月光とは正反対の俗の代表であろう。
 その俗の象徴のような魚に名月の光が当たり、柔らかい反射光が目に飛び込んでくる。そんな情景を思い浮かべることが出来る。浄化などというしたり顔では語りたくない。月の光の一瞬の反射を想像した句として、私は好きである。これは幻想の世界である。想像によってもたらされる一瞬の美でないと成り立たない句である。

 


「法師蝉」の句

2023年08月20日 22時56分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 ツクツクホウシは法師蝉ともいう。僧や仏の教えと突かず離れずの作品が多い。初秋の季語になる。蝉の中でも遅くまで鳴く。
 小さめの蝉だが、「法師蝉」というにはけたたましい、というくらいに大きな声である。私などはよくもあんな大きな声が出るものだと、姿を見るたびに感心する。

★しづけさのきはまれば鳴く法師蝉    日野草城
★なきやみてなほ天を占む法師蝉     山口誓子
★わが倚る樹夏終れりと法師蝉      山口青邨
★忘れ去る悔のいくつか法師蝉      上田五千石
★法師蝉遠ざかり行くわれも行く     西東三鬼

 第1句、これは法師蝉に限らず他の蝉に置き換えても成り立つことは成り立つ俳句であると思った。しかし葬儀の時、皆が静まってからやおら僧が経を唱え始めることを思い出した。法師蝉は蝉の季節の殿でもある。
 第2句、これも蝉しぐれのふとした音の狭間のことと同時に、季節終わりのことかもしれない。そして葬送の時のように読経の響く音なのか。
 第3句、私が法師蝉の句を探しているときに、一番気に入った句である。法師蝉が鳴き始めていよいよ秋が始まる、と宣言されたと感じたのである。蝉しぐれが途絶えた瞬間に、孤独な鋭い声が初秋の空に響き渡ったのではないか。空間的な広がりを感じる。
 第4句、この句も気に入っている。夏の痛いような大気から秋の気配を感じる大気に変わり、人が少しだけ内省的になる瞬間を法師蝉の声で捉えたと思う。悔いのいくつかが法師蝉の声と同時に湧き上がってくる。
 第5句、法師蝉はなかなか姿をみたり、捉えることがむずかしいという。「信仰」とはほど遠い私には、確かに僧も神官も禰宜も神父も牧師も遠い存在である。蝉の声が小さくなり遠ざかり行くと同時に我もまた信仰とは無縁の世界を彷徨い歩く。


台風来る

2023年08月14日 22時11分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 台風7号が近畿地方を窺っている。なかなか強い勢力である。台風6号に振り回されて、また7号と連続である。高度にシステム化している鉄道や航空、物流、コンビニ、そして病院などの業界程対応に大わらわである。むろん行政の第一線の苦労も経験者であった私にはよく理解できる。
 そんな中、台風を題材にした、今の人からはは少々古い時代の俳句を取り上げてみた。恐怖とどこかワクワクと高揚した気分と、めったにない事態にドキドキした私の小さいころの気分が垣間見える。

★煙突は立つほかなくて台風が来ている  きむらけんじ
★颱風の心支ふべき灯を点ず       加藤楸邨
★颱風が押すわが列島ミシン踏む     小川双々子

 第1句、自由律俳句であるが、緊張感がある俳句である。自由律と言っても作者独自の体内リズムに沿った「自由律」である。体内リズムと言葉の流れとの緊張感がなければたんなる「口語・話し言葉」俳句で締まりのない句になってしまう。
 不思議なもので、下の句を5・7・5にのっとって「台風来」とすると、これまた締まりのない俳句だと思う。
 さて、1960年代半ばまで私の住んでいた家の近くには必ず銭湯の高い煙突が聳えていた。近くに町工場があればそこにも煙突は必ずあった。むろん各家庭にも、暖房用の煙突だけでなく便所には臭気を逃すための排気筒もあった。
 今思えば、危なっかしいものであった。台風などで大きな煙突が倒れる事故も時々あった上に、家庭の煙突は強い風などがくればぐらついていた。かといって畳むわけには行かない。煙突は「立っているほかない」のである。それが宿命のように、小さな工場あるいは小さな木造の家の「生きているぞ」という意地を示すように。
 ある意味では戦後の経済成長を支える証しのような煙突も、とうとう1970年代には邪魔者扱いのように周囲からは消えていった。そして湾岸部のコンビナートに集約された。それが公害の象徴にもなってしまった。都市の住民は、住宅街や町工場から煙突を湾岸部まで追いやった仕返しをされていたともいえる。

 第2句、この句はもう幾度も取り上げた。私には函館と川崎で2度か3度ほど夜に蝋燭の火をともして、一家3人台所で緊張していたことがある。台風の雨・風の音がことさら怖く感じたものである。停電になった瞬間の心細さ、そして親が点けた蝋燭の火。弱く、揺れる火ながら不思議な安堵感がもたらされるものであった。
 仙台の学生時代には、台風ではなかったがアパートが停電となり、料理用の植物油を小皿に入れ、トイレットペーパーで芯を作り、火をともした時に、小学生の頃の心細さを思い出した。

 第3句、これも戦後すぐの句だと思う。台風の強烈な風に家が軋む。それを列島が押されると表現したものと思う。なかなかいい表現である。その不安をかき消すように内職か、家族の服の繕いものをするのであろう。子どもにとってもこのミシンの音は頼もしい音だったかもしれない。「台風が押す列島」という大仰な表現が空回りせず、しっくりとおさまったように思える。

 


蝉の声

2023年08月13日 20時30分02秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 先日アブラゼミが2匹階段室に迷い込み、翌日死んでいた。以降は階段室には飛び込んで来てはいない。しかし他の階段室にはずいぶんと飛び込んでいる。本日は雨模様に関わらず、蝉の声は激しい。
 最近は家にいる時間が長いためだろうか、蝉の声がうるさく感じるときが多々ある。昔は職場の周りでも盛んに蝉の声は聞こえていたが、仕事に紛れてうるさく感じたことはあまりなかったと思う。
 あるいは仕事に紛れるということとは無関係に、歳をとると蝉の声がうるさく感じるような聴覚の変化があるのだろうか。そんなことがふと気になってしまう。

★夜の蝉人の世どこかくひちがふ     成瀬櫻桃子
★油蝉死せり夕日へ両手つき       岡本 眸
★蝉しぐれ防空壕は濡れてゐた      吉田汀史

 第1句、どこか食い違うのは、夜の蝉の声が原因ではない。しかし時々蝉の激しい合唱が自然の秩序を越えて、どこか狂気のように聞こえてしまうことがあるのではないか。しかもそれが夜の蝉の合唱となるとなおさらである。社会に在って人や社会との疎外感が膨れ上がり、それが昂じて病の領域に突き進んでしまうこともある。そんな自分の危うい現状と蝉の合唱が重なってしまう瞬間を意識したことは無いだろうか。私にはとても切実に思えた句である。
 第2句、先日の我が家の家の前の階段室に迷い込んで死んでしまった蝉、ひょっとしたらこのように夕日に向かって生涯を終えたかったのかもしれない。油蝉と表記されるだけに暑い夏の日に絞り出すように鳴く声が、夕日にこだましている。
 第3句、私は防空壕で身を潜めて空襲をやり過ごした体験はない。しかし私は小学生の頃、防空壕の跡をずいぶん見た。いづれも入り口が木の柵でふさがれていたが、柵は腐り、草に覆われ湿気ていて、覗くと草や木の腐った臭いがした。こんなところでどうやって長時間潜むことが出来たのか、幼いながら不思議に思ったものである。多分作者は生涯この湿気の多い濡れた防空壕の体験を五感をもって覚えているだろうと思う。作者は蝉しぐれの夏の慰霊の時に思い出すのであろうか。体に染みついた感覚を忘れ去ることはできないはずだ。
 


もうコスモス

2023年07月29日 20時57分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

  帰りのバス、一つ手前のバス停で降車し、近くの公園に寄ってみた。サルスベリの赤い花の下に、もうコスモスが咲いていた。サルスベリとコスモス、鮮やかな色彩がきそいあっていた。

 8月8日はもう立秋である。

★コスモスが咲けば地表のうるほへり   細見綾子
 本日は風が少し強く、少しだけ秋を感じたものの、最高気温は34.4℃。今年のような酷暑の日々にこの句のようなコスモスのイメージはほど遠い。本日は少し乾いた風だが、秋を連れてきてくれそうもない。気温が下がるのはまだまだ先である。

★コスモスが手近な色を蒐めたる     後藤比奈夫

★コスモスの一輪月にとどきたる     山口青邨
 不思議である。群落のコスモスの中でもひときわ高くそびえるコスモスが一輪、どの群落にもある。
 


ゴキブリの俳句の続き

2023年06月19日 22時27分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 ゴキブリの俳句、あまり目に付くことはないと思っていたが、ネットで検索すると以外に多い。そしてゴキブリが出現すると、家庭の夫婦の関係があらわになるらしい。

★ごきぶりを殺せしと妻よろこばす     右城暮石 
★ごきぶりが髭でうかがふ妻子の留守    伊丹三樹彦
★わが逸したるごきぶりを妻が打つ     安住 敦

 第1句、夫の威厳をゴキブリ退治の腕で示す。判定するのは妻。
 第2句、妻子ならば危険だが、夫ならば、とゴキブリに舐められる夫。
 第3句、ゴキブリに対する憎しみでは、夫は妻に対抗できない。妻の雄姿に脱帽。

 さて、我が家では先ほどのゴキブリ退治の後は、今度は粗大ごみの運搬を命じられた。わがままなゴキブリ亭主としては叩き潰されないように従順に命令を聞くことが肝要。
 と記載したが、これが妻に伝わってはならない。このブログを見ている娘から妻にご注進が入らないことを祈るばかりである。


ゴキブリ出現

2023年06月19日 21時27分50秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 夕食後に本棚の整理をしようかとも考えたが、その気力が湧かず、ボーッと過ごしてしまった。明日以降、退職者会ニュースの編集作業と、部屋の整理を交互にこなすのが良いようだ。

 今年初めて大きなゴキブリが我が家の中にいた。まだ未完成の便所に入ったところ、クロスを貼っていない壁に貼りついていた。あまりの大きさにびっくり。慌ててゴキブリ用に殺虫剤を探したが、リフォームの関係で仮置き場に置いたものの、すぐに見つからなかった。ようやくベランダに出ていた殺虫剤の缶を見つけた。その間3分ほど。便所にもどり、二吹きほどでひっくり返ってくれた。排水管と給水管と壁の間にもぐりこんでしまい、始末するのに困った。
 私は膝が痛くてしゃがめないことを理由に、妻に交代してもらいようやく御用。封筒に入れセロテープで封をしてゴミ箱に廃棄。ゴキブリはすでに弱っていたようで、封筒の中では暴れていない。
 便所の床が未施工で少し隙間があり、そこから侵入したらしい。去年・一昨年と本日のような大きなゴキブリを見ていないので、とても驚いた。
 いよいよゴキブリの徘徊する季節である。

★老いの身となめてゴキブリたじろかず   植村蘇星
★ごきぶりと仲良く暮せといわれても    角田信子
★ごきぶりを打ちし靴拭き男秘書      守屋明俊

 第1句、老いてゴキブリと対峙している。ゴキブリの死んだふり、とよくいわれるが、ゴキブリもこちらの動静をじっと観察している。ついでにこちらの動作が俊敏かどうかも見極めている。老いを見透かされている。
 第2句、この句のゴキブリ、本当のゴキブリなのだろうか。世に「ゴキブリ亭主」もいる悲哀。
 第3句、しかめっ面した秘書室の秘書が、ゴキブリの退治を命じられたと解釈してみると、いくら仕事とはいえ、秘書とはいえ、なんでこれが俺の仕事か、という愚痴が聞こえてこないだろうか。ゴキブリを潰した靴をきれいにして、またしかめっ面して上司の威厳を保ちつつ随行する姿におかしみを感じてしまった。
 ゴキブリの俳句は、悲哀がかならずついてくるのではないか。


紫陽花の花芽

2023年04月25日 21時00分40秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 色づき始めようとしているアジサイを見つけた。あとどのくらいで色がにじみ出てくるのかはわからないが、やはり今年は早そうである。
 この街路樹の下のアジサイは毎年鮮やかな濃い紫色の花だったと記憶強いる。ただしあくまでも記憶である。実際に咲くと違うかもしれない。自信はない。
 今咲いているシャクナゲとともにアジサイは好きな花のひとつ。これからが楽しみである。

★紫陽花や白よりいでし浅みどり     渡辺水巴
★紫陽花に吾が下り立てば部屋は空ら   波多野爽波
★紫陽花の咲けば咲かねば悔ひとつ    加藤秋邨

 第2句、不思議な気分になる。たぶん自分の部屋を出て、外に色鮮やかに咲いている紫陽花を見て、窓から見える自分の部屋の空疎・不在・昏さをあらためて実感したというのだろう。内面の空虚、暗闇を抱えている自分を認識したというのは、深読みのしすぎかもしれない。


本日の書き写し

2023年04月07日 22時44分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昼好きにようやく昨夜の深酒の影響は抜けたが、外に出ることもできず、気分的にはモヤモヤが続いた。気がついたら夕食時間。ボーッとしているうちにとうとう22時を回ってしまった。ピリッとしない一日を過ごしてしまったようで、おおいに反省。

 気力を少しでも取り戻すべき、書き写しを始めた。とりあえず石牟礼道子の俳句の残りから10句ほど。いづれも「俳句α」(2018年夏号)に掲載された「色のない虹」から抄出20句より。

★あめつちの身ぶるいのごとき地震くる
★天日のつるえや白象もあらわれて
★泣きなが原 鬼女ひとりいて虫の声
★花れんげ一本立ちして春は焉(おわ)りぬ

 横浜市域には、引き続き強風・波浪・雷注意報が出ている。雨は弱いながらもまだ止んではいない。


本日の書き写し 石牟礼道子19句

2023年04月05日 22時53分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の石牟礼道子の俳句の書き写しは19句。「水村紀行」から抄出50句の最後。

★列島の深傷(ふかで)あらわにうす月夜
★毒死列島身悶えしつつ野辺の花
★極微のものら幾億征きし草の径(みち)
★月影や水底の墓見えざりき
★色の足りぬ虹かかる渡るべきか否か
★向きあえば仏もわれもひとりかな

 「俳句α」2018年夏号に掲載されている句の残りは、「色のない虹」から抄出20句、ならびに句集未収録句から6句だけとなってしまった。。

 合わせてこの俳句誌の掲載されている「道子さん、こーろころ」(米本浩二)、「石牟礼さんと寂聴さん」(黒田杏子)、「生者と死者のほとり 石牟礼道子さんを悼む」(齋藤慎爾)の3編を再読した。


昨晩の書き写しから

2023年04月04日 10時34分15秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日の書き写しは引き続き石牟礼道子の俳句を20句。

★いつの世の花ぞ雪やみて冬の紅(くれなゐ)
★天変地異寒夜(かんや)にふぶく桜かな
★能なしの細胞の生まるとぞ赤い月
★うつし世の傷口いえず冬の稲妻
★椿落ちて満潮の海息低し
★亡魂とおもふ蛍と道行きす
★幾世経しかなしみぞ谷合いの古き湖(うみ)

 「俳句α」2018年夏号に掲載されている句はのこり40句程度となってしまった。書き写すたびに、当然のことながら、残りの句は少なくなっていく。それが寂しい。

 


本日の書き写し

2023年04月01日 23時15分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の書き写しは時間切れで13句にとどまった。いつものように石牟礼道子の俳句である。

★天の胎(はら) 割(さけ)つつ 黄牛(あかうし)の角1本
★紅殻を脱ぎし蟹死人さまに逢う
★花びらの水脈(みお)越えてゆく蛇の子が
★さきがけて魔界の奥のさくらかな
★花ふぶき生死(しょうじ)のはては知らざりき

 写真はハナモモ。俳句とは別物。