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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

名月や・・・

2023年09月30日 15時10分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩は、仲秋の名月が残念ながらちょっとしか見ることが出来なかった。

★名月や神泉苑の魚踊る     与謝蕪村
 前書きに、雨のいのりのむかしをおもひて、とある。

 神泉苑は、弘法大師が神泉苑にて雨乞いの祈祷をしたという故事がある。月光は仏性のあまねく行き届くさまをさすたとえとして語られる。その清浄な光がもっとも美しいしいう名月の光に、池でいきおいよく泳ぐ、ないし、水面から飛び上がるような魚を配している。生臭いものの象徴なような魚であるから、月光とは正反対の俗の代表であろう。
 その俗の象徴のような魚に名月の光が当たり、柔らかい反射光が目に飛び込んでくる。そんな情景を思い浮かべることが出来る。浄化などというしたり顔では語りたくない。月の光の一瞬の反射を想像した句として、私は好きである。これは幻想の世界である。想像によってもたらされる一瞬の美でないと成り立たない句である。

 


「法師蝉」の句

2023年08月20日 22時56分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 ツクツクホウシは法師蝉ともいう。僧や仏の教えと突かず離れずの作品が多い。初秋の季語になる。蝉の中でも遅くまで鳴く。
 小さめの蝉だが、「法師蝉」というにはけたたましい、というくらいに大きな声である。私などはよくもあんな大きな声が出るものだと、姿を見るたびに感心する。

★しづけさのきはまれば鳴く法師蝉    日野草城
★なきやみてなほ天を占む法師蝉     山口誓子
★わが倚る樹夏終れりと法師蝉      山口青邨
★忘れ去る悔のいくつか法師蝉      上田五千石
★法師蝉遠ざかり行くわれも行く     西東三鬼

 第1句、これは法師蝉に限らず他の蝉に置き換えても成り立つことは成り立つ俳句であると思った。しかし葬儀の時、皆が静まってからやおら僧が経を唱え始めることを思い出した。法師蝉は蝉の季節の殿でもある。
 第2句、これも蝉しぐれのふとした音の狭間のことと同時に、季節終わりのことかもしれない。そして葬送の時のように読経の響く音なのか。
 第3句、私が法師蝉の句を探しているときに、一番気に入った句である。法師蝉が鳴き始めていよいよ秋が始まる、と宣言されたと感じたのである。蝉しぐれが途絶えた瞬間に、孤独な鋭い声が初秋の空に響き渡ったのではないか。空間的な広がりを感じる。
 第4句、この句も気に入っている。夏の痛いような大気から秋の気配を感じる大気に変わり、人が少しだけ内省的になる瞬間を法師蝉の声で捉えたと思う。悔いのいくつかが法師蝉の声と同時に湧き上がってくる。
 第5句、法師蝉はなかなか姿をみたり、捉えることがむずかしいという。「信仰」とはほど遠い私には、確かに僧も神官も禰宜も神父も牧師も遠い存在である。蝉の声が小さくなり遠ざかり行くと同時に我もまた信仰とは無縁の世界を彷徨い歩く。


台風来る

2023年08月14日 22時11分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 台風7号が近畿地方を窺っている。なかなか強い勢力である。台風6号に振り回されて、また7号と連続である。高度にシステム化している鉄道や航空、物流、コンビニ、そして病院などの業界程対応に大わらわである。むろん行政の第一線の苦労も経験者であった私にはよく理解できる。
 そんな中、台風を題材にした、今の人からはは少々古い時代の俳句を取り上げてみた。恐怖とどこかワクワクと高揚した気分と、めったにない事態にドキドキした私の小さいころの気分が垣間見える。

★煙突は立つほかなくて台風が来ている  きむらけんじ
★颱風の心支ふべき灯を点ず       加藤楸邨
★颱風が押すわが列島ミシン踏む     小川双々子

 第1句、自由律俳句であるが、緊張感がある俳句である。自由律と言っても作者独自の体内リズムに沿った「自由律」である。体内リズムと言葉の流れとの緊張感がなければたんなる「口語・話し言葉」俳句で締まりのない句になってしまう。
 不思議なもので、下の句を5・7・5にのっとって「台風来」とすると、これまた締まりのない俳句だと思う。
 さて、1960年代半ばまで私の住んでいた家の近くには必ず銭湯の高い煙突が聳えていた。近くに町工場があればそこにも煙突は必ずあった。むろん各家庭にも、暖房用の煙突だけでなく便所には臭気を逃すための排気筒もあった。
 今思えば、危なっかしいものであった。台風などで大きな煙突が倒れる事故も時々あった上に、家庭の煙突は強い風などがくればぐらついていた。かといって畳むわけには行かない。煙突は「立っているほかない」のである。それが宿命のように、小さな工場あるいは小さな木造の家の「生きているぞ」という意地を示すように。
 ある意味では戦後の経済成長を支える証しのような煙突も、とうとう1970年代には邪魔者扱いのように周囲からは消えていった。そして湾岸部のコンビナートに集約された。それが公害の象徴にもなってしまった。都市の住民は、住宅街や町工場から煙突を湾岸部まで追いやった仕返しをされていたともいえる。

 第2句、この句はもう幾度も取り上げた。私には函館と川崎で2度か3度ほど夜に蝋燭の火をともして、一家3人台所で緊張していたことがある。台風の雨・風の音がことさら怖く感じたものである。停電になった瞬間の心細さ、そして親が点けた蝋燭の火。弱く、揺れる火ながら不思議な安堵感がもたらされるものであった。
 仙台の学生時代には、台風ではなかったがアパートが停電となり、料理用の植物油を小皿に入れ、トイレットペーパーで芯を作り、火をともした時に、小学生の頃の心細さを思い出した。

 第3句、これも戦後すぐの句だと思う。台風の強烈な風に家が軋む。それを列島が押されると表現したものと思う。なかなかいい表現である。その不安をかき消すように内職か、家族の服の繕いものをするのであろう。子どもにとってもこのミシンの音は頼もしい音だったかもしれない。「台風が押す列島」という大仰な表現が空回りせず、しっくりとおさまったように思える。

 


蝉の声

2023年08月13日 20時30分02秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 先日アブラゼミが2匹階段室に迷い込み、翌日死んでいた。以降は階段室には飛び込んで来てはいない。しかし他の階段室にはずいぶんと飛び込んでいる。本日は雨模様に関わらず、蝉の声は激しい。
 最近は家にいる時間が長いためだろうか、蝉の声がうるさく感じるときが多々ある。昔は職場の周りでも盛んに蝉の声は聞こえていたが、仕事に紛れてうるさく感じたことはあまりなかったと思う。
 あるいは仕事に紛れるということとは無関係に、歳をとると蝉の声がうるさく感じるような聴覚の変化があるのだろうか。そんなことがふと気になってしまう。

★夜の蝉人の世どこかくひちがふ     成瀬櫻桃子
★油蝉死せり夕日へ両手つき       岡本 眸
★蝉しぐれ防空壕は濡れてゐた      吉田汀史

 第1句、どこか食い違うのは、夜の蝉の声が原因ではない。しかし時々蝉の激しい合唱が自然の秩序を越えて、どこか狂気のように聞こえてしまうことがあるのではないか。しかもそれが夜の蝉の合唱となるとなおさらである。社会に在って人や社会との疎外感が膨れ上がり、それが昂じて病の領域に突き進んでしまうこともある。そんな自分の危うい現状と蝉の合唱が重なってしまう瞬間を意識したことは無いだろうか。私にはとても切実に思えた句である。
 第2句、先日の我が家の家の前の階段室に迷い込んで死んでしまった蝉、ひょっとしたらこのように夕日に向かって生涯を終えたかったのかもしれない。油蝉と表記されるだけに暑い夏の日に絞り出すように鳴く声が、夕日にこだましている。
 第3句、私は防空壕で身を潜めて空襲をやり過ごした体験はない。しかし私は小学生の頃、防空壕の跡をずいぶん見た。いづれも入り口が木の柵でふさがれていたが、柵は腐り、草に覆われ湿気ていて、覗くと草や木の腐った臭いがした。こんなところでどうやって長時間潜むことが出来たのか、幼いながら不思議に思ったものである。多分作者は生涯この湿気の多い濡れた防空壕の体験を五感をもって覚えているだろうと思う。作者は蝉しぐれの夏の慰霊の時に思い出すのであろうか。体に染みついた感覚を忘れ去ることはできないはずだ。
 


もうコスモス

2023年07月29日 20時57分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

  帰りのバス、一つ手前のバス停で降車し、近くの公園に寄ってみた。サルスベリの赤い花の下に、もうコスモスが咲いていた。サルスベリとコスモス、鮮やかな色彩がきそいあっていた。

 8月8日はもう立秋である。

★コスモスが咲けば地表のうるほへり   細見綾子
 本日は風が少し強く、少しだけ秋を感じたものの、最高気温は34.4℃。今年のような酷暑の日々にこの句のようなコスモスのイメージはほど遠い。本日は少し乾いた風だが、秋を連れてきてくれそうもない。気温が下がるのはまだまだ先である。

★コスモスが手近な色を蒐めたる     後藤比奈夫

★コスモスの一輪月にとどきたる     山口青邨
 不思議である。群落のコスモスの中でもひときわ高くそびえるコスモスが一輪、どの群落にもある。
 


ゴキブリの俳句の続き

2023年06月19日 22時27分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 ゴキブリの俳句、あまり目に付くことはないと思っていたが、ネットで検索すると以外に多い。そしてゴキブリが出現すると、家庭の夫婦の関係があらわになるらしい。

★ごきぶりを殺せしと妻よろこばす     右城暮石 
★ごきぶりが髭でうかがふ妻子の留守    伊丹三樹彦
★わが逸したるごきぶりを妻が打つ     安住 敦

 第1句、夫の威厳をゴキブリ退治の腕で示す。判定するのは妻。
 第2句、妻子ならば危険だが、夫ならば、とゴキブリに舐められる夫。
 第3句、ゴキブリに対する憎しみでは、夫は妻に対抗できない。妻の雄姿に脱帽。

 さて、我が家では先ほどのゴキブリ退治の後は、今度は粗大ごみの運搬を命じられた。わがままなゴキブリ亭主としては叩き潰されないように従順に命令を聞くことが肝要。
 と記載したが、これが妻に伝わってはならない。このブログを見ている娘から妻にご注進が入らないことを祈るばかりである。


ゴキブリ出現

2023年06月19日 21時27分50秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 夕食後に本棚の整理をしようかとも考えたが、その気力が湧かず、ボーッと過ごしてしまった。明日以降、退職者会ニュースの編集作業と、部屋の整理を交互にこなすのが良いようだ。

 今年初めて大きなゴキブリが我が家の中にいた。まだ未完成の便所に入ったところ、クロスを貼っていない壁に貼りついていた。あまりの大きさにびっくり。慌ててゴキブリ用に殺虫剤を探したが、リフォームの関係で仮置き場に置いたものの、すぐに見つからなかった。ようやくベランダに出ていた殺虫剤の缶を見つけた。その間3分ほど。便所にもどり、二吹きほどでひっくり返ってくれた。排水管と給水管と壁の間にもぐりこんでしまい、始末するのに困った。
 私は膝が痛くてしゃがめないことを理由に、妻に交代してもらいようやく御用。封筒に入れセロテープで封をしてゴミ箱に廃棄。ゴキブリはすでに弱っていたようで、封筒の中では暴れていない。
 便所の床が未施工で少し隙間があり、そこから侵入したらしい。去年・一昨年と本日のような大きなゴキブリを見ていないので、とても驚いた。
 いよいよゴキブリの徘徊する季節である。

★老いの身となめてゴキブリたじろかず   植村蘇星
★ごきぶりと仲良く暮せといわれても    角田信子
★ごきぶりを打ちし靴拭き男秘書      守屋明俊

 第1句、老いてゴキブリと対峙している。ゴキブリの死んだふり、とよくいわれるが、ゴキブリもこちらの動静をじっと観察している。ついでにこちらの動作が俊敏かどうかも見極めている。老いを見透かされている。
 第2句、この句のゴキブリ、本当のゴキブリなのだろうか。世に「ゴキブリ亭主」もいる悲哀。
 第3句、しかめっ面した秘書室の秘書が、ゴキブリの退治を命じられたと解釈してみると、いくら仕事とはいえ、秘書とはいえ、なんでこれが俺の仕事か、という愚痴が聞こえてこないだろうか。ゴキブリを潰した靴をきれいにして、またしかめっ面して上司の威厳を保ちつつ随行する姿におかしみを感じてしまった。
 ゴキブリの俳句は、悲哀がかならずついてくるのではないか。


紫陽花の花芽

2023年04月25日 21時00分40秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 色づき始めようとしているアジサイを見つけた。あとどのくらいで色がにじみ出てくるのかはわからないが、やはり今年は早そうである。
 この街路樹の下のアジサイは毎年鮮やかな濃い紫色の花だったと記憶強いる。ただしあくまでも記憶である。実際に咲くと違うかもしれない。自信はない。
 今咲いているシャクナゲとともにアジサイは好きな花のひとつ。これからが楽しみである。

★紫陽花や白よりいでし浅みどり     渡辺水巴
★紫陽花に吾が下り立てば部屋は空ら   波多野爽波
★紫陽花の咲けば咲かねば悔ひとつ    加藤秋邨

 第2句、不思議な気分になる。たぶん自分の部屋を出て、外に色鮮やかに咲いている紫陽花を見て、窓から見える自分の部屋の空疎・不在・昏さをあらためて実感したというのだろう。内面の空虚、暗闇を抱えている自分を認識したというのは、深読みのしすぎかもしれない。


本日の書き写し

2023年04月07日 22時44分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昼好きにようやく昨夜の深酒の影響は抜けたが、外に出ることもできず、気分的にはモヤモヤが続いた。気がついたら夕食時間。ボーッとしているうちにとうとう22時を回ってしまった。ピリッとしない一日を過ごしてしまったようで、おおいに反省。

 気力を少しでも取り戻すべき、書き写しを始めた。とりあえず石牟礼道子の俳句の残りから10句ほど。いづれも「俳句α」(2018年夏号)に掲載された「色のない虹」から抄出20句より。

★あめつちの身ぶるいのごとき地震くる
★天日のつるえや白象もあらわれて
★泣きなが原 鬼女ひとりいて虫の声
★花れんげ一本立ちして春は焉(おわ)りぬ

 横浜市域には、引き続き強風・波浪・雷注意報が出ている。雨は弱いながらもまだ止んではいない。


本日の書き写し 石牟礼道子19句

2023年04月05日 22時53分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の石牟礼道子の俳句の書き写しは19句。「水村紀行」から抄出50句の最後。

★列島の深傷(ふかで)あらわにうす月夜
★毒死列島身悶えしつつ野辺の花
★極微のものら幾億征きし草の径(みち)
★月影や水底の墓見えざりき
★色の足りぬ虹かかる渡るべきか否か
★向きあえば仏もわれもひとりかな

 「俳句α」2018年夏号に掲載されている句の残りは、「色のない虹」から抄出20句、ならびに句集未収録句から6句だけとなってしまった。。

 合わせてこの俳句誌の掲載されている「道子さん、こーろころ」(米本浩二)、「石牟礼さんと寂聴さん」(黒田杏子)、「生者と死者のほとり 石牟礼道子さんを悼む」(齋藤慎爾)の3編を再読した。


昨晩の書き写しから

2023年04月04日 10時34分15秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日の書き写しは引き続き石牟礼道子の俳句を20句。

★いつの世の花ぞ雪やみて冬の紅(くれなゐ)
★天変地異寒夜(かんや)にふぶく桜かな
★能なしの細胞の生まるとぞ赤い月
★うつし世の傷口いえず冬の稲妻
★椿落ちて満潮の海息低し
★亡魂とおもふ蛍と道行きす
★幾世経しかなしみぞ谷合いの古き湖(うみ)

 「俳句α」2018年夏号に掲載されている句はのこり40句程度となってしまった。書き写すたびに、当然のことながら、残りの句は少なくなっていく。それが寂しい。

 


本日の書き写し

2023年04月01日 23時15分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の書き写しは時間切れで13句にとどまった。いつものように石牟礼道子の俳句である。

★天の胎(はら) 割(さけ)つつ 黄牛(あかうし)の角1本
★紅殻を脱ぎし蟹死人さまに逢う
★花びらの水脈(みお)越えてゆく蛇の子が
★さきがけて魔界の奥のさくらかな
★花ふぶき生死(しょうじ)のはては知らざりき

 写真はハナモモ。俳句とは別物。





石牟礼道子の俳句から 3回目

2023年03月29日 22時58分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 現在雨は上がっているが、広くなった雨の区域が相模湾より北上しており、再び降りそうである。強い雨の区域は無くなっている。

 本日の書き写し終了。石牟礼道子の句集「天」の最後の9句と「水村紀行」抄出59句のうち7句を書き写した。
 3回連続で16句であるが、これは偶然。とはいえゆっくりと書き写すにはちょうどいい量といえるかもしれない。

 「天」から、
★紅葉嵐天の奥処(おくが)もいま昏るる
★霧の中に日輪やどる虚空悲母
★ひとつ目の月のぼり尾花ヶ原ふぶき
★いかならむ命の色や花狂い

 「水村紀行」から、
★いず方やらん鐘ひびく湖(うみ)あぶら照り
★花びらの湖面や空に何か満つ
★青い罌粟(けし)まなうらにふるえ睡(ねむ)りけり


夜の書き写し

2023年03月28日 22時12分11秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日も書き写しは石牟礼道子の句集「天」から16句。

★にんげんはもういやふくろうと居る
★ふくろうのための彼岸花夜さり摘む
★前の世のわれかもしれず薄野にて
★闇の中のものら華やぐ萩の風
★月明のひがん花森に似て地下の宴
★人間になりそこね 神も朝帰る

 水俣・天草周辺の森の夜と朝の境目の情景を思い浮かべながら、読み進めた。森は確かに、太古の昔から今に至るまで、怖れと共に救いの場、身を寄せて再生を願う場である。
 これらの俳句の書き写しは、夜が似合う。


書き写し再開

2023年03月28日 11時26分59秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩から降り始めた雨がまだ降りやまない。1ミリ程度の雨である。風は北風なのだが、雨の区域は南から北へとてもゆっくりと移動している。
 近くの郵便局だったけれども、小さなビニール傘では投函する郵便物が濡れてしまった。

 昨晩は石牟礼道子の俳句を味わいながらゆっくりと写した。まずは句集「天」(1986年)の全41句を初めから16句ほど。

★角裂けしけもの歩みくるみぞおちを
★死におくれ死におくれして彼岸花
★祈るべき天とおもえど天の病む
★繊月のひかり地上は秋の虫
★落ち衣(ぎぬ)は銀杏のなかへ谷の暮れ
★天崖の藤ひらきおり微妙音(みみょうおん)
★天日(てんじつ)のふるえや衣のみ舞い落ちぬ