goo blog サービス終了のお知らせ 

Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

シベリウス「ヴァイオリンとオーケストラのための曲集」

2024年02月13日 20時15分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日はシベリウスのヴァイオリンと管弦楽のための曲を聴いている。6曲のユモレスク、2曲のセレナードなど。久しぶりに聴くCDである。
 ヴァイオリンはドン・スク・カン、ネーメ・ヤルヴィ指揮のエーテボリ交響楽団。録音は1989年。
 ドン・スク・カンというヴァイオリニストの情報は残念ながら解説でもほとんど情報がないが、音はとても澄んでおり、シベリウスのヴァイオリン曲に似つかわしいと私は感じている。

 この曲集の中では、私のお薦めというか気に入っているのは「2つのセレナード 作品69」。哀歌ともいうようなしんみりしたメロディーと、躍動感があるもののどこか飛び立てないで終止を迎えるメロディーが私の好みである。
 「2つの小品(厳粛なメロディー) 作品77」は劇的な展開を予想させるティンパニーが印象的だが、跳躍しきれないもどかしさが「2つのセレナード」よりも強い。
 このCDは気分が内省的な時に落ち着いてじっくりと聴きたい曲である。


「水木しげるの妖怪 百鬼夜行」展

2024年02月09日 20時00分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 「水木しげるの妖怪 百鬼夜行」展を横浜のそごう美術館にて見てきた。楽しく見ることが出来た。
 原画が多数展示されていた。そのどれもが当初の想像以上に背景や構図に凝っており、色彩の感覚も優れたものだと感じた。
 いくつか惹かれたポストカードを購入した。みてすぐにわかると思うが、和洋の名画を換骨奪胎、水木自身のイメージの妖怪に即して描いている。

 歌川国芳の「相馬の古内裏」は妖怪そのものであるが、ルドンの「キュクプロス」を思い出したり、不染鉄の伊豆大島を描いた作品群や川瀬巴水の夜景からの影響、北斎や広重に通じる情景などもあるように感じた。
 また「海坊主」の絵では、船は波に翻弄されているというよりも海坊主を見て恐れおののく船乗りの気分が乗り移っているようだ。
 さらに色彩がとても新鮮である。派手な色彩はないが、どの配色も妖怪が浮かび上がるように考慮されていると感じた。
 アクション重視のアニメのような奇抜さや押し出しの強い人物描写ではないが、妖怪もそれに脅かされる人物も実に生き生きとしている。点描として描かれる人物も多くの物語を語っているように描かれている。演出過剰なアニメーションや劇画とは違う躍動感に浸ることができる。
 創造する力というのは、吸収する力、受け止める力だと感じた時間を過ごすことが出来たと思う。
 


シベリウス「ヴァイオリン協奏曲」

2024年02月08日 22時14分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日の午前中と夕食後の編集作業のBGMは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(作品47)。演奏はヴァイオリンがシルヴィア・マルコヴィッチ、ネーメ・ヤルヴィ指揮のエーテボリ交響楽団。1987年の録音である。
 このCDはジャケットの日の出ないし日の入の写真が気に入って、演奏者も満足に見ないで衝動買いした。今は演奏内容にも満足しており、衝動買いを後悔はまったくしていない。曲の冒頭の雰囲気そのものである。

 ヴァイオリンの高音の抒情的な旋律に低音の木管が絡む冒頭を私はもっとも気に入っている。
 続くおどろおどろしい弦楽器の後からホルンが呼び出されてから再びソロのヴァイオリンのすすり泣くような旋律に移行していく。シベリウス自身が「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と述べたという逸話を聞いた。あまり情景を思い浮かべることは避けているが、それでもこの言葉は気に入っている。

 シベリウスはヴァイオリンが得意であっただけあって、ヴァイオリンの特性を心得ているなぁ、と納得する。第2楽章、第3楽章まで緊張感が途切れることがない。特に第3楽章の特異なリズムに乗ったヴァイオリンのソロは印象的。
 昔初めてこの曲をスコアを見ながら聴いたとき、こんな難しい曲があるのか、と驚いたことがある。他に五嶋みどり、諏訪内晶子の演奏ももっているが、どういうわけか、このCDを聴くことが多い。

 


鎌倉アート×歴史散歩

2024年01月27日 20時19分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 陽射しに恵まれた鎌倉で「鎌倉アート×歴史散歩」という催し(中村宏美氏主催)に参加した。10時に鎌倉駅に集まり、総勢6名で、若宮大路・段葛・二ノ鳥居、鶴岡八幡神宮社殿、鎌倉国宝館、鏑木清方記念美術館、鎌倉・吉兆庵美術館をまわって13時近くになって鎌倉駅に戻り解散。

 鶴岡八幡宮は幾度か訪れているが、参拝する社殿まで登ったのは2回目。初めて社殿の装飾や、境内から若宮大路の眺望を認識した。

   

 国宝館も2度目。1度目は10数名で訪れて慌ただしかったので、あまり印象に残っていなかった。便所の位置すら覚えていなかった。
 今回あらためて見て「薬師如来及び両脇侍像」(鎌倉時代、養命寺)と「宝冠釈迦如来坐像」(南北朝時代、建長寺)、「初江王坐像」(鎌倉時代、円応寺)が気に入って、しばらく見入っていた。
 平常展示でもあるので、機会を作って再度訪れて拝観したいと思った。

   

 小町通を鎌倉駅へ戻りながら、途中で鏑木清方記念美術館へ。普段はいつも通り過ぎてしまうのだが、今回はコースに含まれており、素直に入館。
 美人画というのは普段はじっくりと見ることがないため、いい経験をした。
 「早春の風情」という企画展(1.13~2.27)を開催していた。作品はずいぶんと凝った制作過程を持っていることも解説で教えてもらったが、その工芸的で職人芸的こだわりというのにはとてもひれかれるものの、なかなか見極められない。
 ただ最晩年の1970年、93歳の時の作品という「白梅」には惹かれるものがあった。「丁寧で凝った」という筆致の作品ではないが、青紫と鉢の土の緑の配色、円弧に沿った梅の枝ぶりが気に入った。ほのかな白い梅の花弁が瑞々しく目に焼き付いた。

   

 最後に回った吉兆庵美術館は存在そのものを知らなかった。和菓子店の奥にあり、外からも分かりにくい。展示は「吉祥文様を読み解く」(1.5~4.7)。解説を読んで知識をもらった。常設展示の北大路魯山人の収集品の中では、私の眼には好きな織部焼の緑の釉薬に吸いよせられていた。狭いながらも凝った古陶器を静かに見て回ることが出来た。


ブラームス「ピアノ五重奏曲」

2024年01月19日 22時19分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日聴いている曲はブラームスの「ピアノ五重奏曲」(作品34)。演奏はアンドレ・プレヴィン(ピアノ)、ウィーン・ムジークフェライン四重奏団。録音は1984年。
 1862~64年にかけて、ブラームスが31歳の時に完成している。ブラームスにしては早い時期の作品であるが、翌年には弦楽六重奏曲第2番を作るなど、決して習作の時期ではない。
 吉田秀和は「通俗的なくらい有名な曲・・。要するに私はこの曲ではまだこれといって愛着を感じるレコードを知らない」といたって手厳しい評価を下している。
 しかしそうはいってもブラームス好きには欠かせない室内楽曲である。私はブラームスらしくない第3楽章がおもしろいと思う。後半のガチャガチャとした不安を煽るような主題が最後まで続く。そしていかにもブラームス的な第4楽章に収斂していく所も気に入っている。しかしその第4楽章も結構慌ただしいところが時々顔を出す。何かに取りつかれた暗い情念のようなものを感じる。
 印象的な曲である。

 


シューベルト「ヴァイオリンとピアノのための作品全集」から2

2024年01月12日 19時49分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 CDで2枚組であるが、1枚目のソナチネといわれる3曲と、2枚目のソナタ、幻想曲との間には大きな飛躍という名の溝が横たわっている。前者が習作、後者が完成品というほどの差が感じられる。
 いづれも過去に幾度となく聴いていた記憶がよみがえってきた。前者と後者の違いは、ヴァイオリンの響きである。ヴァイオリンという楽器が良く鳴るポイントを習得して曲に仕上げたといえる。
 弦楽器というのは、ある音を奏でたときに、弦や楽器自体が共鳴する。その共鳴の度合いで自分の弾いている楽器の状態もよくわかる。弦を押さえる指に伝わるかすかな感覚でその日の楽器の状態や自分の状態がよくわかるものである。これで部屋の湿度・温度、周囲の音の反射の具合も図ることができる。演奏者自身の体調すらもわかる。
 不思議なもので、メロディーの要となる音がヴァイオリンの良く響く音と重なると弾きやすく、そして良く響く。優れた曲はそういう要の音を心得て作られている。楽器の特製を作曲家が踏まえている、というのはこういうことなのか、と弾いているとおのずと理解できる。調性の選択も合点がいくものが多い。

 CDの1枚目と2枚目の違いは、この響きを体得していない作曲家と体得した作曲家の違いのように大きいと感じた。
 わずかな期間でシューベルトはその大きな溝を飛び越えたのだろうと感じたCDである。2枚目は今後も繰り返し聴きたい曲としたい。これまで意識して聴いてこなかったのがもったいなかった。


シューベルト「ヴァイオリンとピアノのための作品全集」から

2024年01月11日 22時44分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日夕食後に聴いているのは、シューベルトの「ヴァイオリンとピアノのための作品全集」。ヴァイオリンはシモン・ゴールドベルグ、ピアノのはラドゥ・ルプー。1978・79年の録音。発売は1994年。
 購入してから聴いたことは数回はあると思うが、曲についての記憶はほとんどない。情けない話である。今回初めて聞くつもりでCDプレーヤーにセットしてみた。
 しかし聴き始めると、ソナチネ第1番の冒頭と第2楽章は聴き覚えがあった。とても懐かしい雰囲気である。
 3曲のソナチネのうち、今回気に入ったのは、第3番。
 第1番、第2番よりも突出して聴きごたえがある。特にヴァイオリンの響きが生きていると感じた。ピアノとのかけ合い、バランスも格段に聴きやすくなっていると思える。
 本日はこの3曲で時間切れ。CDの1枚目、ソナチネ3曲で終了。

         



スペイン ブラド美術館

2023年12月30日 19時46分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 娘夫婦がスペイン旅行の折りに、プラド美術館に立ち寄り、日本語版の図録と見学ガイド、ならびに美術館のマップと展示室の地図を購入してくれた。
 図録をめくると、ヒエロニムス・ボス《快楽の園》、ブリューゲル《死の勝利》、ウェイデン、デューラー、フラ・アンジェリコ《受胎告知》、ラファエロ《魚の聖母》、ティツィアーノ《ダナエと黄金の雨》、ティントレット、カラヴァッジオ、エル・グレコ、ベラスケス《ブレダ開城》《ラス・メニーナス》、スルバラン、ムリーリョ、レンブラント、ヴァン・ダイク、ルーベンス《三美神》、ゴヤ《1808年5月3日の銃殺》などの誰もが目にしたことのあるあまりに有名な諸作品が並ぶ。
 娘は閉館時間前に慌ただしく訪れて図録だけを手に入れてくれたようだが、閉館時間間際の2時間ほどは観覧料が無料となるらしく、長蛇の列であったとのこと。うらやましい措置があるものだと感心した。

 日本語版の解説も適切に思われる。是非とも私も訪れたい美術館がスペインにはたくさんある。これもまたスペインの魅力である。

        


見に行きたい美術展候補

2023年12月24日 21時06分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 「日経おとなのOFF 2024美術展」という雑誌、雑誌の名はちょいと違和感があるものの、例年のとおり購入。「おとなの‥」というのは「いい趣味だろう」みたいに人を見下しているような命名だが、中身は他の雑誌より良いので毎年購入する場合が多い。

 今回は最初に目に付いたのは「デ・キリコ展」(東京都美術館、4.27~8.29)。2014年に汐留ミュージアムで開催された「ジョルジュ・デ・キリコ展」では、惹かれる作品もあったが、それでも理解できなかったことのほうが多かった。長い生涯のうち「中だるみ」のような緊張感のない作品と感じてしまった作品などがあった。その時にはなかった作品もあるよなので、もう一度チャレンジシテみたい。



 次に目を惹かれたのが、「北欧の神秘-ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」(SOMPO美術館、3.23~9.23)。

   

 ならびに「ブランクーシ本質を象(かたど)る」(アーティゾン美術館、3.30~7.7)。『接吻』以外の作品を見たい。
 日本美術では「雪舟伝説-「画聖」の誕生」(京都国立博物館、4.13~5.26)が魅力的だが、京都まで行くわけにもいかない。
 「没後300年記念 英一蝶」(サントリー美術館、9.18~11.10)は、気になる展覧会の一つ。
 「広重 -摺(すり)の極(きわみ)」(あべのハルカス美術館、7.6~9.1)、及び「没後50年福田平八郎」(大阪中之島美術館、3.9~5.6)も見に行きたいが、残念ながら大阪。残念である。
 「本阿弥光悦の大宇宙」(東京国立博物館、1.16~3.10)、  「田中一村展」(東京都美術館、9.19~12.1)、「生誕130年記念北川民次」(世田谷美術館、9.21~11.17)、「『シュルレアリスム宣言』100年、シュルレアリスムと日本」(板橋区立美術館、12.16~4.14)も目が離せない。

 その外に写真展の情報があればありがたい。これはまた後日に探したい。


シューベルト「4つの即興曲」

2023年12月16日 21時19分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日までチャイコフスキーの交響曲第4番を聴いた。あと3曲あるチャイコフスキーの交響曲を続けて聴こうと思っていたが、ちょっと一服したい気分になった。大音量の曲は少し避けてみたくなった。



 取り出してきたのは、シューベルトの「4つの即興曲(Op.90)」と同じ題名の「4つの即興曲(Op.142・遺作)」。静かにピアノの音に浸ることができる私の好きな曲集である。ピアノはラドゥ・ルプー。1982年6月。
 ソナタ形式に縛られない、自由な即興曲がシューベルトに似つかわしい曲だったのかもしれない、と思いながら聴いている。ソナタ形式に近い曲もあるが、どこかでその形式を離れようとしている。
 Op.90の第1曲は、いつもどこかで聴いたような錯覚におそわれる。どこか懐かしい曲である。静かで、忘れられない旋律であ。伴奏部が控えめで、単旋律に聴こえる部分が特にいい。変奏曲風。後半の左手の単調なリズムも印象的。
 第4曲は一度聴いたら耳から離れない素早い分散和音のパッセージが印象的で軽やかな印象。良く演奏される。
 Op.142の第3曲も親しみやすいメロディーで良く演奏される。弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」の第2楽章の主題の変奏曲形式。
 第4曲も印象深い。ちょっと足を引きずるようなリズムが「ハンガリー風」ということらしい。

 私にとっては癒しの曲集の一つである。

 


チャイコフスキー交響曲第4番のフィナーレ

2023年12月15日 10時57分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨晩に続いてチャイコフスキーの交響曲第4番のフィナーレを聴いている。朝聴くには少々音の壁が圧倒的である。しかも雨が今にも降り出しそうな陰鬱で湿気の多い午前中の雰囲気にはちょっとそぐわなかったかもしれない。
  同じ管弦楽曲でもこのような天候の時はシベリウスの交響曲のほうが私の気分に沿った曲かもしれなかった。しかしこれは結果論。

 しかしこのチャイコフスキーの曲は、どうしてこんなにエネルギッシュなのだろう。昔は、同じ感想を抱きながら、充実した気分に浸ることが出来た。しかし今は、このエネルギーの前に押しつぶされてしまうある種の恐怖を感じてしまう。歳の所為だろうか。
 どうしてこんなにエネルギッシュに音の洪水を楽譜にしたためたのだろう。特に後半の息を継ぐ暇もないほどの緊張を演奏者に強いなくてはいけなかったのか。その緊張は聴衆にも直に伝わる。ふとそんな疑問を感じる。
 チャイコフスキーの音楽は、伸びやかなメロディーで人をひきつける場合も多く、ファンは多い。一方で交響曲第5番のように重々しいものも多いが、内省的で聴衆に静かな思考を促すものも多い。そしてこの曲のように荒々しい嵐のように締めくくる場合もある。時には曲が聴衆の前で空回りしているように私には聴こえてしまうこともある。

 どれを選ぶかは聴く人間の気分によるが、同時に作曲家の内面は謎めいてくる。


チャイコフスキー交響曲第4番

2023年12月14日 23時00分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 11月24日以来久しぶりにチャイコフスキーの交響曲を聴く気になって、第4番を聴いている。この曲自体を聴くことが本当に久しぶりである。もう何年も聴いていない。
 演奏は、第5番、第6番と同じくエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮のソビエト国立交響楽団、1990年5月のサントリーホールでの演奏会場での録音。
 金管の咆哮から始まるいかにもチャイコフスキーのオーケストレーションである。「不幸な結婚」からの逃避と、フォン・メック婦人との文通を通して、それからの再生に果たしたチャイコフスキーにとって画期となる曲である。冒頭の金管の咆哮が重くのしかかったまま、曲が進行する。フィナーレのやはり金管の咆哮と呼応するようである。
 伸びやかな第2楽章と、第3楽章の奇妙なおどけたようなリズムとメロディーが私には救いのような楽章に聴こえる。

 本日は夜も遅いので、第3楽章までにして、大音響のフィナーレは明日の午前中に聴くことにした。 


「ベルタのノクターン」

2023年12月09日 11時45分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 朝目覚めたのは9時。たっぷりと8時間以上も寝た。こんなに寝たのは久しぶりである。本日の天気のようにずいぶんと気分爽快。



 忘年会のために正午には出かける。その前にCDを聴く気になって、「哀歌 ベルタのノクターン 天満敦子イン・コンサート2」を取り出してきた。先日の「望郷のバラード」についで天満敦子のヴァイオリン、ピアノはこのCDでは小森谷裕子。1995年の録音。
 天満敦子のヴァイオリンは、表現がいいのかわからないが「土俗性」が漂うものがいい。ポルムベスクの12曲の中には竹内邦光の編曲による「この道・城ヶ島の雨」が含まれている。これも私の好きな曲である。
 「哀歌」、同じく「ベルタのノクターン」と「望郷のバラード」、モンティの「チャルダーシュ」はいづれもしみじみと聴きたいものである。前3曲は小林亜星の編曲。


「望郷のバラード」(天満敦子)

2023年12月03日 22時08分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 退職者会ニュースのおもて面が一応完成。すぐにできあがるかと期待したものの、やってきた新年の挨拶の原稿の字数があまりに多すぎて、苦労した。思いがたくさん詰まった原稿であるのがよくわかり、削るのは忍びないし、技術的にも困難であった。どうにか縮めたが、時間がたっぷりとかかってしまった。
 明日から裏面。



 作業をしながら聴いたCDは天満敦子のヴァイオリン「望郷のバラード」。ピアノは本多昌子。録音は1993年。
 チャイコフスキーの交響曲第4番を聴く予定であったが、本日は交響曲を聴くのは体と頭が受け付けそうもないので、このCDを選んだ。
 最初に聞こえてくる曲がヘンデルのヴァイオリンソナタ第4番というのがにくい。本日の疲れた私には優しく耳を通過する。同じくヘンデルのヴァイオリンソナタの第6番と、ブラームスのハンガリア舞曲の第17番、第2番、第1番(この順番もいい)等々を挟んで、最後の曲はポルムベスクの「望郷のバラード」である。
 私にとっては珠玉の曲が並ぶ。


チャイコフスキー「交響曲第5番」

2023年11月24日 13時17分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

        

 朝からチャイコフスキーの交響曲第5番を聴いている。作曲されたのは1888年。第6番悲愴とおなじくスヴェトラーノフ指揮のソビエト国立交響楽団の演奏、1990年の東京での演奏会のライブ録音である。

 20代のころ、このチャイコフスキーの第5番とベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ばかりを聴いていた時期がある。
 チャイコフスキーのこの5番は特に第1から第3楽章までを好んだ。第1楽章の付点四分音符と十六分音符で始まるクラリネットの序奏が耳から離れないどころか、脳内を響き続けていた。第1~第3楽章まで、いつも暗い押しつぶされた情念が浮かび上がろうとしてまた海のそこに引きづりこまれるように沈殿していく音の響きが私を捉えて離さなかった。
 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は序奏の四分音符4つの音で始まり、ヴァイオリンソロが出てくるまでに明るさに解決を求めていくが、チャイコフスキーは第3楽章まで引きづる。
 第1、第2楽章が消え入るように終止する。第3楽章もピアニッシモで終止するように進行し、取ってつけたように突然わずか3小節、四分音符6回の強奏で終り、フィナーレに入る。この部分は、最初の序奏の音型が復活する。同じ音型がこんなにも雰囲気を替えてしまうのが不思議に感じる。
 第2楽章の壮大な強奏で復活する序奏に出てきた音型と、美しい旋律が交互に同居する楽章の落差はチャイコフスキーの好んだウクライナ地方の広大な草原ながら厳しい自然に押しつぶされそうな人の営みを思い浮かべる。この2楽章も忘れがたい。

 20代前半、このような曲ばかりに惹かれていた。50年後の私はフィナーレの中にも暗い情念の世界を嗅ぎ分けている。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲にも。