最近、ようやく治ってきたことがある。
先月の初め頃、
若い子たちがいっぱいいる場所へ行った。
というより、現在の職場なんだけど、
とにかく、若い子たちがいっぱいうろうろしている。
そこで、少しばかり戸惑ってしまったことがある。
みんなに話したら、
「イヤ、それは私もそうだよ」
と、何人かの人たちに言われた。
でも、違うと思う、少し。
いや、かなり。
さて、何を戸惑ったのか。
それは、
「道ですれ違う若い子たちが何を言っているのか、一瞬わからなかった」
ということ。
恐らく、これを読んでいる人も、
「ああ、私もそうだよ。最近の子たちの言葉はねえ。」
と思うかもしれない。
だけど、そうじゃないのです。
ボクは、彼ら・彼女らが「何のことを言っているのか」がわからないのではなく、
彼ら・彼女らが「何語を話しているのか」が瞬時に判断できなかったのです。
よく冗談で、
「あいつの話している言葉は外国語みたいでわからないよ」
というけれど、
本気で、外国語のように聞こえてわからなかったのです。
つまり、彼ら・彼女らの言葉に声調がついていて、
その声調にボクの耳が反応し、
一瞬、中国語で会話しているように聞こえるんだけど、
当然、中国語としての意味を成していないので、
何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
そして、しばらくして、
「ああ、日本語を話しているんだ」と理解して、
ようやく、内容が頭で理解できるようになった。
今はもうそんなことはほとんどないけど、
不意をつかれたら恐らくわからないかもしれない。
似ているけど、違うでしょ。
先月の初め頃、
若い子たちがいっぱいいる場所へ行った。
というより、現在の職場なんだけど、
とにかく、若い子たちがいっぱいうろうろしている。
そこで、少しばかり戸惑ってしまったことがある。
みんなに話したら、
「イヤ、それは私もそうだよ」
と、何人かの人たちに言われた。
でも、違うと思う、少し。
いや、かなり。
さて、何を戸惑ったのか。
それは、
「道ですれ違う若い子たちが何を言っているのか、一瞬わからなかった」
ということ。
恐らく、これを読んでいる人も、
「ああ、私もそうだよ。最近の子たちの言葉はねえ。」
と思うかもしれない。
だけど、そうじゃないのです。
ボクは、彼ら・彼女らが「何のことを言っているのか」がわからないのではなく、
彼ら・彼女らが「何語を話しているのか」が瞬時に判断できなかったのです。
よく冗談で、
「あいつの話している言葉は外国語みたいでわからないよ」
というけれど、
本気で、外国語のように聞こえてわからなかったのです。
つまり、彼ら・彼女らの言葉に声調がついていて、
その声調にボクの耳が反応し、
一瞬、中国語で会話しているように聞こえるんだけど、
当然、中国語としての意味を成していないので、
何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
そして、しばらくして、
「ああ、日本語を話しているんだ」と理解して、
ようやく、内容が頭で理解できるようになった。
今はもうそんなことはほとんどないけど、
不意をつかれたら恐らくわからないかもしれない。
似ているけど、違うでしょ。