こんにちは 岡本しょういです

京都の南部、和束町で日本共産党の町会議員をしています。町や議会などの情報をお知らせしています。

「14ひきのあさごはん」

2014-10-02 11:42:36 | こどもの本

ひさしぶりに

子どもの本の紹介です。

紹介するのは

いわむら かずお作

「14ひきのあさごはん」です。

かなり有名で、おなじみの絵本です。

うちの子どもがまだ2歳くらいの時の版で、78刷なので、今ならもっと版が進んでいるでしょうね。

実は、今度、子育てサロンの「ぴあのコンサート」で、この絵本の読み聞かせとのコラボをやることになったので、あらためて読んでみました。

「おとうさん おかあさん おじいさん おばあさん そしてきょうだい10ぴき。ぼくらはみんなで14ひきかぞく」

で扉が開く、いわむらかずおさんの「14ひきシリーズ」の第一弾がこの絵本。

森の中で生活するねずみの家族の朝の様子を描いています。

とにかく森を描いた絵がほのぼのとやさしくて、とても美しいというかほっとしますね。

10ひきのきょうだいが、それぞれの個性をもっていて面白いんですが、

この絵本では、にっくん、ごうくん、くんちゃんがとくに面白いです。

2番目のおにいちゃんのにっくんは、しっかりしてそうないっくんとはちがって、何となくひょうひょうとしてユーモアが感じられます。

5番目のごうくんは、「真ん中」らしく、とてもちゃめっけがあって、野イチゴをこっそり食べたりしてたり。

2番目に小さい、くんちゃんは、小さいけど「わたしもいく~」とばかりに、野イチゴ取りに張り切ってついていきますが、さいごはやっぱり疲れて、べそをかきながら帰ってきます。

そんな姿、私たちの子どものときや、自分の子どもでも同じ事がありますよね。

まあるいおおきなテーブルの上に、とってきた野イチゴや、焼き立てのパン、スープ、ジュースのジャムが並びます。

どこにすわっても、みんなの顔が見える、まあるいテーブルにみんなが座って、朝ご飯を食べます。

朝はどうしてもバタバタしがちで、ゆったりした雰囲気はなかなかですが、こんなゆったりあたたかな雰囲気の朝ごはんにあこがれてしまいます。

とっても短い文で、あっという間に読めますが、描かれている森の様子や、ねずみたちの表情や動き、短い文章に感じられるあたたかさややさしさを、ぜひじっくり味わいたい、そんな作品です。


「ピッツァぼうや」

2013-10-04 09:19:38 | こどもの本

おひさしぶりに、紹介する絵本は、

「ピッツァぼうや」 

ウィリアム・スタイグ作、木坂 涼訳、セーラー出版から出ています。

2000年の出版と、比較的まだ新しい作品です。

雨で退屈しているピートくんに、お父さんがとった行動は・・・

さて、どう思います?

雨の日に、家の中で、どんな遊びをしましたか?

ピートくんのお父さんは、なかなかすばらしいですよ。

ピートくんを生地にして、ピッツァづくりをはじめるんです。

生地をのばし、ひっぱり、空中とばし!もして、油をかけ、小麦粉をふりかけ、トマトの輪切りをちりばめ・・

そこでお母さんが一言・・「トマトをのせてほしくないわ」

すっかり、お母さんも、その気です。

生地になりきって、だまってなすがままのピートくんですが、

指でちょんちょんとされると、大笑い。

そんなこんなで、ピートくんはオーブン(ソファ)へ。

おいしく焼きあがったところで、天気が回復して、ピートくんは遊びに出かけます。

つまらない雨を、楽しい雨にプロデュ―スしたお父さんに、思わず拍手しちゃいます。

遊び心いっぱいのお父さんに憧れる、ほほえましい絵本ですね。


「トッチくんのカレーようび」

2013-01-23 13:02:54 | こどもの本

「トッチくんのカレーようび」は、ぶん・まどころ ひさこさん、え・やまもと まつこさんの作品で、ポプラ社から出版されている絵本です。

初版が昭和44年と古く、私が2歳の時に出された絵本ということになります。

この絵本は、子どもがまだ幼いころに、よく読み聞かせをしたもので、私自身もお気に入りでしたね。

「おなかが すいたよう」

トッチくんの、このひとことからはじまるお話で、

おかあさんが「トッチくんのだいすきなものをつくりますからね」とこたえます。

おかあさんの買物かごから出てきたものは・・・

お肉、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、カレー粉。

「わかった。カレーライスだね」とトッチくんの声が弾みます。

おかあさんが、じゃがいも、にんじんと次々に切っていきます。

ここまでは、カレーを作って、おいしく食べるお話かな?ってとこですが・・・

たまねぎを切るところから、お話は動きます。

おかあさんが、なみだをぽろぽろとこぼす姿に、トッチくんはびっくり!

心配するトッチくんと涙がとまらないお母さんを尻目に、たまねぎが「ころ、ころ、とん、とん」と逃げていきます。

「うーーん!たまねぎめ」と、トッチくんはたまねぎを追いかけます。

ともだちのミコちゃんも加わります。

やおやさんに行くと、やおやのおじさんも、たまねぎが逃げ出して困っています。

やおやのおじさんは、トッチくんの家も、ミコちゃんの家も、今日はカレーライスだということを知っています。

何で知ってるのかと聞く2人に、おじさんは「今日は、カレーようびだからね」と答えます。

以前、読み聞かせをしていた時、おじさんの「きょうは、カレーようびだからね」というところを、何かうれしい気持ちで読んでいたのを憶えています。

カレーようびという日があるのを、とても面白いというか、いいなあという気持ちで読んでましたね。

あんまりたくさんのカレーが作られて、たまねぎもいっぱい使われるので、たまねぎもいやになったのかな。なんでたまねぎだけなのかな。丸いからかな・・・とかいろいろと思いうかべながら・・。

そのうち、町中のこどもたちが出てきて、たまねぎを追いかけます。

たまねぎたちが横断歩道を渡ろうとすると、信号が青になって、たまねぎたちは、信号をちゃんと守って渡っていきます。追いかけてきた子どもたちが渡ろうとすると、信号が赤になってしまい、みんなはガッカリ。

たまねぎに振り回される子どもたちの姿が、とても面白いです。

トッチくんは、やおやさんから10円を借りて、公衆電話をかけて、レストラン・カレーけんに、たまねぎがそっちに行くからドアをあkておいてくださいと頼みます。玉ねぎたちは、カレーけんにどんどん転がり込んでいきます。

そこへお母さんたちがやってきて、コックさんと一緒に、たくさんのカレーを作り一件落着です。

「あしたっから、たまねぎは転がらないように、ふくろに入れて売るぞ」と真面目に言う、やおやのおじさんには、笑ってしまいます。

ようやく、カレーライスにありつけそうなトッチくんのうれしそうな姿でお話は終わります。

これを読むと、むしょうにカレーライスが食べたくなりますよ。

このお話は、昭和44年に出された事もあって、今の生活とちょっと違う姿が見えます。

やおやさんが地域にちゃんとあることや、買物かご、公衆電話もそうですが、このお話の最後の部分が、

「おとうさんたち、はやくおつとめから帰ってこないかしらね」とあるように、お母さんは家、お父さんはお勤め、と今よりもハッキリとしていた時代が見えますし、お父さんもまだはやく帰ってこれる状況だったのかもしれませんね。

変わらないのは、子どもたちがカレーライスが大好きと言う事でしょうか。

昭和の時代の、何となくほっこりするような雰囲気も感じられる作品です。

 

 


「ロッタちゃんとじてんしゃ」

2013-01-07 14:26:13 | こどもの本

2013年、最初に紹介するのは、

「ロッタちゃんとじてんしゃ」。

リンドグレーン作、ヴィークランド え、やまむろしずか訳。

1976年初版で、長く親しまれている絵本です。偕成社から出版されています。

リンドグレーンさんと言えば、「長くつしたのピッピ」が有名ですよね。

さて、

「ロッタちゃんとじてんしゃ」という話は、簡単に言うと、やんちゃな5歳の女の子が、じてんしゃを手に入れるまでのドタバタを描いたお話です。

5歳のロッタちゃんは、おにいちゃん、おねえちゃんがやることを、じぶんでもやってみたい、じぶんもできると思っています。

5歳くらいの子どもって、そんなとこありますよね。

すぐに「じぶんもできる~!」って言って、何でもやろうとする、あの感じ。

そのロッタちゃんが、できると宣言しているのが、じてんしゃに乗る事。

「あたいだって、きっと、じてんしゃに乗れますよ」と。

でも、ロッタちゃんは、ようやく5歳になろうかというところで、とてもじてんしゃには乗れません。

おにいちゃんやおねえちゃんは、「おまえは小さすぎる」「じてんしゃももってない」と言って、「おまえには無理」と相手にしてくれません。

でもロッタちゃんは「乗れないのは、あたいが、じてんしゃを持っていないからよ」と言って、「ほんとは乗れるんだから」と負けません。

そこで、ロッタちゃんは、ぬいぐるみのバムセに、「おそろしい」計画を聞かせます。

「あたいのたんじょうびに、もしほんとうのじてんしゃがもらえなかったら、あたい、一台かっぱらうつもりよ」

・・・で、いよいよたんじょうびがやってきましたが、

みんながプレゼントしてくれたのは、

おもちゃのじどうしゃ3台、絵本が1さつ、なわとびのなわ、あたらしいぶらんこ、きれいなかばん・・。

じてんしゃはありませんでした!

でも、やっぱり5歳の女の子です。

あたらしいプレゼントが気に行ったので、じてんしゃの事は忘れてしまい、もらったもので、とても楽しくロッタちゃんは遊びました。

めでたし、めでたし・・・と行けば良いのですが、やはりそうはいきません。

家に帰った時に目についた三輪車を蹴飛ばして、「おまえなんかにもうぜったいに乗ってやらない」と言い放ちます。

3才のたんじょうびに買ってもらった時は、あんなに喜んでいたのに、

子どもとは、何と気まぐれで、残酷・・・というか、じてんしゃという欲しいものに気持ちがいっぱいになるのが、やはり子どもでもありますよね。

そして、ついに、「おそろしい」計画を実行しようとします。

ロッタちゃんは、ベルイおばさんの物置に古い自転車があるのをちゃんと見ていました。

それをいただいてしまおうというのが、「おそろしい」計画なんです。

しかも、おばさんがお昼寝をする隙をねらってかっぱらおうというんだから!

作者も思わず「なんて、おそろしい こどもでしょう!」と。

ベルイおばさんの家に行ったロッタちゃんは、おばさんにお昼寝をすすめて、まんまと自転車を物置から出して、かっぱらおうとします。でも、じてんしゃが大きすぎて、なかなかうまく乗れません。それでも、なんとか押して行って、「ビューンと」下りるために坂道をのぼります。

そして、一気に坂を下りだします。

ビューンと飛ばすどころか、飛ぶように走るじてんしゃはぜんぜん止まりません。

さすがのロッタちゃんも「たすけてー」と叫びますが、じてんしゃは走る走る。

そして、ベルイおばさんの家の垣根に突っ込んでようやく止まります。

バラの茂みの中に投げ出されたロッタちゃんはこぶをつくるは、ひざから血がでるはで、さんざんにわめきちらします。

「あたいのたんじょうびなのに、血が出た~」には、笑ってしまいますね。

最悪のたんじょうびにふくれっ面をするロッタちゃんだったけど、優しいパパが、ロッタちゃんでも乗れる中古の自転車を買ってきてくれて、一気に最高のたんじょうびになったロッタちゃん。

喜びいさんでじてんしゃを乗り回すロッタちゃん。でも、これで終わりません。

今度は、おにいちゃんがしている手放し運転を「じぶんもできる」と言ってやりだしますが・・・

要求が満たされたら、次の要求へ・・・子どもって、なんておそろしい!

でも、そんな風にして、世界を広げていくのが子どもってものだよね。

そんな子どもの面白さを思う存分に堪能させてくれるお話ですよ。

 


「ガラスのうさぎ」

2012-10-09 00:00:52 | こどもの本

「ガラスのうさぎ」は、高木敏子・作、武部本一郎・画

金の星社から1977年に出版された作品で、30年以上前のものです。

この作品は、著者の高木敏子さんの、戦争体験そのものが内容になっています。

いつだったか、このお話は映画にもなっていて、テレビでみた記憶があります。

「ガラスのうさぎ」という題名は、東京大空襲で焼けた家の敷地で、ガラスで作ったうさぎの置き物が高温で溶けて、形がゆがんでしまっていた事からきています。大空襲の被害のひどさを象徴しているのですが、この話は、大空襲だけが中身ではないんです。

大空襲はあくまで戦争時代の1つの場面でしかなく、敏子さんが経験した戦争や、それに至る経過や戦後の動きなどが一連のドキュメンタリーとして描かれています。

私が「ガラスのうさぎ」で一番印象に残っているのは、映画でもそうでしたが、戦争が終わる10日前のこと。

敏子さんは、大空襲でお母さんと妹さんを亡くしますが、生き残ったお父さんと一緒に新潟県に向かうため、二宮駅という駅で汽車をまっていました。

・・と、その時、米軍機の機銃掃射が駅を襲い、お父さんが亡くなってしまいます。

お兄さんが2人おられますが、その時は2人とも召集されていて、敏子さんは1人になってしまうんです。

敏子さんはこの時12歳。

まだ12歳の子どもが、お父さんを目の前で失う事だけでも大変な事ですが、お父さんを荼毘にふすために走り回るんです。

映画を見た時も思ったんですが、まだ12歳の子どもが、お父さんを荼毘にふすなんて、あまりに異常ですよね。

戦争の恐ろしさ、酷さをこの場面で強く感じましたね。

 敏子さんは、戦争を何とか生き抜きますが、戦後も東北の親戚に預けられたり、苦労が続きます。

でも、敏子さんが戦争体験をつうじてたどりついたのは、やはり平和の大切さでした。

戦後、アメリカ兵が進駐してきて、子どもたちにチョコレートとかを与えている姿をみて、敏子さんは優しそうなアメリカ兵の姿にとまどいます。

「鬼畜米英」と散々言われてきたから、無理もないことですね。

敏子さんは「一人一人みんな、良い人たちなんだ。・・それだったら、なんとか話し合いで解決できたはずだ」と思い、「世界中の人々が、みんな仲良く話し合い、譲り合いすれば、戦争にはならないはずだ」「戦争と言うのは、どんな理由をつけようとも、やってはいけないのだ」と、心に深く決意します。

そして1947年5月に施行された日本国憲法の第9条を読んだ時の衝撃をこう記します。

「この文面は、わたしにとって、まさに輝く太陽のように、まびしく見えた。これなんだ、もう私たち国民は、永久に戦争を放棄したのだ。・・・たしかにいくさに負けた事は、くやしいし、なさけない。その上。たくさんの犠牲者を出した。だけど、それによって、永久に戦争はしないということを憲法に定める事が出来たのだ。・・・私たちは生きている限り、この憲法を守り続けたい。そして、私たちの次の世代、また次の世代へと、この悲しみを伝えていきたいと思った。ニ度と戦争をくりかえさないために」

敏子さんの、憲法に対する感動と、平和への決意が伝わります。

「ガラスのうさぎ」は、東京大空襲などの戦争の悲惨さを伝えているだけでなく、その悲惨な体験から何を学ぶのか、何を大切にするのかを力強く訴えている作品です。

多くの子どもたちに読み継がれてほしいですね。


「フレデリック」

2012-09-28 14:31:20 | こどもの本

「フレデリック~ちょっと かわった のねずみの はなし~」

この絵本は、作 レオ=レオニ、訳 谷川俊太郎 好学社から出版されています。

以前、紹介した「スイミー」と同じ作者で、この絵本も、なかなか面白いし、考えさせられます。

まきばにそった、古い石垣の中に、「おしゃべり のねずみのいえ」があるんです。

冬に備えようと、のねずみたちは、とうもろこしや、きのみや、こむぎや、わらなどなどをせっせと集めます。

ひるも、よるも働いて、みんな大忙し。

でも、フレデリックという名のねずみだけは、べつでした。

「どうして働かないの?」「何をしているの?」と聞く仲間たちに、

フレデリックは、こう言います。

「さむくて くらい ふゆの ひの ために、ぼくは おひさまの ひかりを あつめているんだ」

「いろを あつめてるのさ ふゆは はいいろだからね」

「ぼくは ことばを あつめてるんだ。ふゆは ながいから はなしの たねも つきて しまうもの」

 

そうしているうちに、雪が降ってきて、いよいよ冬がやってきます。

のねずみたちは、石垣の隠れ家にこもります。

食べ物があるうちは、みんなでぬくぬくと楽しい日々を過ごすのですが、食べ物が底をついてくると、みんなだまってしまいました。

そんなとき、みんなは思いだします。

フレデリックが、働きもせずに、もくもくと集めていたものがあったことを。

そして、あれはどうなったの?とフレデリックに訊ねます。

すると、フレデリックは、「めを つむって ごらん」と言って、

おひさまの金色の光や、黄色い麦、青いあさがお、赤いけし、のいちごの緑の葉などの事を話して、みんなの心の中はあったかくなり、いろいろな色を頭に浮かべるんです。

そして、最後に「ことば」をせがまれたフレデリックは、いわゆる「四季のうつろい」を、「舞台の上の俳優みたいに」しゃべります。

それを聴いた、のねずみたとは、拍手かっさいし、「きみって 詩人じゃないか」と絶賛します。

フレデリックは、ちょっと照れた顔をして、「そう いう わけさ」と言って、お話は終わります。

この最後の場面、今まで何となくボーっとしたというか、すっとぼけた顔だったフレデリックが、とても生き生きと、誇り高い姿に見えたりします。

このお話を読んで思ったのは、生きると言う事は、というか人間が生きると言う事は、働いて、食べるだけではない。

世の中のいろいろな事を知る事、いろいろな事で、生活を彩ることで、人間らしく豊かに生きられる、ってことを、何となく教えてくれているように思うんです。いわゆる文化的な生活というのかな。

いま、特に日本では、子どもも大人も、とにかく忙しくて、働いて(勉強して)、食べて、寝て、また起きて、働いて(勉強して)、食べての繰り返しの中で、太陽がどんな輝きだったか、道端の花や葉っぱがどうだったか、世の中の動きがどうなっているのか、だんだん無関心になってしまう傾向がありますよね。

働く事も食べる事も、生きる上で大切なことだけど、それだけでは、ただ生きているだけになってしまう。

世の中の事に思いをはせて、いろいろなことを自由に想像して、こころも生活も豊かにしていける。

人間って、そうありたいし、そうでなくてはと思わせてくれる絵本です。

 

 


「ガンピーさんのふなあそび」

2012-08-24 18:05:32 | こどもの本

この絵本は、ジョン・バーニンガム作、みつよしなつや訳で、ほるぷ出版から出ています。

この絵本も、以前していた毎月配本されてくるコースで我が家にきたものなんですが、世界中でとても愛されている絵本のようですね。

この絵本の最後にある発行された日付を見ると、1976年9月20日に第1刷が発行されて以来、2003年7月31日現在で、51刷も発行されています。

この絵本のお話は、とても単純です。

「これは、ガンピーさんです」の紹介とともに、ガンピーさんというぼうしをかぶった男の人が登場します。

ふねを一艘もち、川のそばに住んでいるガンピーさんは、ある日、ふねで出かけます。

そこに、「いっしょにつれてって」といろいろな人や動物が同乗してきます。

2人のこどもたち、うさぎ、ねこ、いぬ、ぶた、ひつじ、にわとり、こうし、やぎ・・が次々と乗り込みます。

ガンピーさんは、「けんかしなければね」「ばたばたやるんじゃないよ」などと言いつつ、「いいとも」と気前よく乗せていきます。

みんなで楽しそうに川を下ったのもつかの間、みんなはガンピーさんの行った事を守らずに、好きな事をし出します。

そしてついに、ふねはひっくり返って、みんな川に落ちてしまします。

でも、ガンピーさんもみんなも、変に無表情というか、あ~あ!って感じですかね。

 からだを乾かした後、ガンピーさんは

「そろそろ、おちゃのじかんだから」と言って、みんなと野原をよこぎってあるいて帰ります。

そして、みんなで、ティ―タイムをたのしみます。

なーんか、とても、ほのぼのしてますね、いっかんして。

そういうところが、愛されているのかもしれませんね。

スケッチ風の絵も、とてもやさしいタッチで、これもほのぼのした雰囲気が楽しめます。

ゆーっくりと、ふなあそびを楽しむように、読んでみたい絵本ですね。


月のぼうや

2012-07-03 00:47:22 | こどもの本

ちょっと遅い時間だからというわけではありませんが、

今回、紹介するのは、イブ・スパング・オルセン作・絵、やまのうちきよこ訳の

「つきの ぼうや」です。

なが~い本の形が、とても特徴的で、面白いですね。

以前、毎月、絵本が送られてくるのをしていたんですが、その中の1つでした。

このお話は、夜空に浮かぶお月さまが、地上の池の中に映る「もうひとりのお月さま」(じぶんのことですが)が気になって、

つきのぼうやに、「あの月を連れてきて」とたのむところからはじまります。

つきのぼうやは、表紙にもありますが、三日月の形をしたバッグを手にした少年なんですが、

つきのぼうやって、どこからきたのかな?なんて思ってしまいますねえ。

地上の池に映る、「もうひとりのお月さま」をさがしに、つきのぼうやは、どんどんと空からおりてきます。

その様子が、とってもおかしくて、面白いんです。

おおきな雲の中をぬけ、ひこうきのそばを飛び、わたりどりの群れにつっこみ、つよーい風に飛ばされながら、

こわーい顔をした「たこ」にびっくりさせられ、こうもり、こがねむし、ことり、とんぼ、たんぽぽのたね、ふうせんにであい、

下からあがってきたまるーいボールを、少しだけお月さまと勘違い。

木にのぼっていた娘さんにりんごをもらい、えんとつの煙で顔を真っ黒にしながら、地上の水の中に「ぱしゃーん!」

そして、水の底で、ぼうやは、手鏡をみつけます。

その手鏡をのぞくと・・・

ぼうやは叫びます。「わあ、なんて、かわいらしい、お月さまだ」

つきのぼうやは、お月さまの子どもかなあ?

お月さまもぼうやも、池や鏡に映った自分の姿をとても気に入ったみたいで、似たものですよね。

ぼうやは、手鏡をかごに入れて、お月さまの待つ、空に帰っていきます。

つきのぼうやからもらった手鏡を見て、お月さまは、「なんと、りっぱで、うつくしいかただろう」と自画自賛?

それからというもの、お月さまは、おしゃべりをしたくなったら、手鏡を使い、鏡に映った自分にほれ込みます。

「おつきさまは、とても しあわせです」で終わるお話ですが、ほんとに「しあわせ」な話ですよねえ。

ある意味とても単純なお話なんですが、いろいろと考えさせるお話でもありますね。

ぼうやが地上におりていく過程で、どんなものがどんな高さにいるものなのかが、さりげなくわかります。

飛行機に乗っていた小さな女の子だけが、ぼうやに気づきます。

そんなところに、子どものすごさが感じられます。

大人には見えないもの、見ようとしないものを、子どもたちは、素直に見ています。

そんな、子どもたちのまっすぐさも感じる作品ですよ。

それにしても、空と地上を自由に行き来できるぼうやは、うらやましいですねえ。

福音館書店から出ています。ぜひ、どうぞ。


いろいろへんないろのはじまり

2012-06-05 13:41:33 | こどもの本

この本の作者は、アーノルド・ローベルという人で

他にも、いろいろと面白い作品がある人なんですが

それは、またの機会として、

この「いろいろへんないろのはじまり」は、まきたまつこさんの訳で、富山房(ふさんぼう)というところから出版されてます。

このお話は、「ずっとむかし、いろというものは ありませんでした」という出だしではじまります。

昔は、くろかしろ、そのあいのこであるはいいろしかなかったとのこと。

魔法使いが、そんなのはおかしい!と考えていたら、ひょんなことから、新しい「いろ」ができました。

それは「あおいろ」でした。

またたくまに、世の中は、あおいろに染まっていきます。

はじめは良かったんですが、だんだん、みんなの気持ちがブルーに悲しくなってしまい、

魔法使いは、今度は「きいろ」を作りました。

あっと言う間に、世の中がきいろに染まっていきますが、これもはじめは喜んでいたのですが、今度はだんだんまぶしすぎるという文句が出てしまいます。

魔法使いは、今度は「あかいろ」を作り、世の中が真っ赤に染まりますが、今度はみんな怒りっぽくなって、あちこちでけんかばかりの世の中になってしまいます。

魔法使いは、新しいいろを作ろうと必死にがんばりますが、出来る色は、あお、きいろ、あか、ばかり。

困っていた時に、3色のいろがまざりあい、いろいろないろがどんどん生まれてきました。

たくさん生まれた色を、人々は上手に使って、世の中はカラー写真のようになって、魔法使いが言うように、「まったく、もうしぶんのない、よい、ながめ」になって、このお話は終わります。

このお話は、いろいろなことを考えさせてくれますよね。

いわゆるブームとか流行っていいますが、すぐにひとつの色に染まってしまう、染められてしまう人間社会を風刺しているかのようです。

誰かが「あかがいい」と言ったら、あっという間に「あか」に染まってしまう。
昔、バナナが身体に良いとか、納豆が身体に良いとかテレビで流されると、次の日のお店には、バナナも納豆もあっと言う間に無くなってしまう事がありましたよね。政治の世界でも、同じような事がくりかえされている感がありますが。

世の中には、いろいろないろがあるから、うまくいっている、という事も教えているようです。

みんな違って、みんないい、というのは金子みすずの有名な詩の一部ですが、みんなそれぞれに個性があり、かけがえのない存在だと、一般的にはよく言われますよね。

でも、世の中の実際というのは、なかなかそうはいきません。
いつの間にか、何となしに、個性は殺されて、1つの色にまとめられてしまっていることがよくありますよね。

異論を許さない雰囲気というか、言いたい事が言えない、黙ってしまう

そんな世の中は、表面的には、うまくまとまっているようですが、実はとてももろいというか、崩れやすいものだなあと思うんですね。間違いも犯しやすいとも言えます。原発もそうでしたけどね。

いろいろな色があり、それを認め合う世の中であってこそ、みんなが幸せになれる・・・

そんなことを、もしかしたら、考えさせてくれる絵本なのかもしれませんねえ。

まったく関係ないのかもしれませんがね。


おとうさんとさんぽ

2012-05-15 12:04:01 | こどもの本

「おとうさんとさんぽ」は、にしかわおさむ さんの作で、教育画劇というところが発行している絵本です。

この本も、こどもが小さい時に何度か読み聞かせをしましたね。

とても良い天気なので、おとうさんが、「ぼく」をさんぽに誘い、森の中に行きます。

森の中に行くわりに、おとうさんは、ワイシャツにズボン、革靴というかっこうで、何かちぐはぐというか、面白いのですが、森の近くに家があるんでしょうね。

森の向こうまでいく道の途中で、おとうさんと「ぼく」は、おおきな犬やすかんく、うさぎ、くまと出会います。

とうせんぼする犬を、おとうさんは、「ちんちん!」と言って、通りぬけます。

スカンクを見て、おとうさんは、回り道をして、スカンクのおならのいたずらをやりすごします。

おとうさんの面目躍如って感じです。

大きなホットケーキを食べてと言うクマには、「これは、困ったなー」と考えるおとうさんですが、ホットケーキが大好きな「ぼく」は、大きなホットケーキをペロリと食べてしまいます。

それには、おとうさんもびっくり。

そんなこんなで、森を通り抜けて、おとうさんと「ぼく」は、海のみえるところに出てきます。

そして、2人でごろっと寝転んで、ひとやすみ・・・でお話は終わります。

おとうさんとさんぽ、ときくと、どんな感じでしょうか。

おかあさんとさんぽ、とは、また違うお話を想像しそうですよね。

おとうさんと、といったら、何となく、小さな冒険的なものを感じます。

大きな犬のとおせんぼや、スカンクのいたずらを、おとうさんが「かっこよく」クリアしていくところに、「ぼく」が尊敬のまなざしを送っているのが、目に見えるようです。

でも、クマさんのホットケーキの場面では、「ぼく」は、「おとうさん、ぼくが、ホットケーキ だいすきだってこと、しらないのかなあ」と、ちょっと不満そう。

ホットケーキが好きな「ぼく」は、おとうさんにとっては、未知の姿だったんでしょうね。

たぶん、おかあさんなら、知っているんでしょうね。

驚いているおとうさんの姿に、知らなかった「ぼく」の側面を知った、何とも言えない思いが見えるようです。

このお話を読んだら、おとうさんとさんぽしてみたいな、って子どもが思うかもしれないですね。