こんにちは 岡本しょういです

京都の南部、和束町で日本共産党の町会議員をしています。町や議会などの情報をお知らせしています。

かまきり

2012-08-30 12:09:16 | Weblog

朝、ふと、あさがおのつるがからまるネットを見ると・・・

なんだかわかります?

「ん?なに?」と思って、よく見てみると・・

ちょっとピンボケしてしまいましたが、

かまきりだったんですねえ。

つると一体化して、獲物をまってたんでしょうか。

かまきりは、場所の色によって、体色が変化していくのですが、つるの色に擬態してますねえ。

何となく面白かったんで、撮ってみました。


コントラバスがいっぱい

2012-08-29 23:58:15 | Weblog

今日は朝から1日、議会の委員会だったんですが、帰宅後、夕方6時頃から、南山城村のやまなみホールに家族で行きました。

何でかと言うと、ホールで、「コントラバス大集合」というコントラバスの演奏会があったんです。

しかも無料。

これは、とってもお得という事で、コントラバスの事はよく知らないんですが、行ってみたんです。

コントラバスという楽器は、私の背丈ほどある、バイオリンとかチェロを大きくしたような弦楽器の1つ。

演奏されている方が、コントラバスと格闘しているというか、踊っているというか、なかなか面白いです。

この日は、プロの演奏者の方のコンサートでもあったんですが、この日は、演奏者を目指し、学んでいる学生さんたちのセミナーが村で行われていて、その成果を発表する場でもありました。

コンサートの最後に、約30人ほどの学生さんたち全てがコントラバスで演奏されたんですが、なかなかのものでした。

演奏会後に、ロビーで、コントラバスにふれたり、ちょっと弾かせてもらえる時間があって、はじめてコントラバスという楽器にふれてみました。

バイオリンとかと違い、すぐに音が出せるので、とっつきやすいのかもしれませんね。

低くて重い音が、なかなか魅力的でした。

こんな楽器が自由自在に弾けたら、楽しいだろうなあなんて、思いますね。

とても楽しい経験をさせていただいてとても良かったです。

演奏会が開ける、聴ける場所があるというのは、やはり良いものですね。

和束には、残念ながら、そういう場所はありませんが、音楽に触れられる、楽しめる機会がつくれればいいなと、あらためて思いながら帰ってきました。


「ガンピーさんのふなあそび」

2012-08-24 18:05:32 | こどもの本

この絵本は、ジョン・バーニンガム作、みつよしなつや訳で、ほるぷ出版から出ています。

この絵本も、以前していた毎月配本されてくるコースで我が家にきたものなんですが、世界中でとても愛されている絵本のようですね。

この絵本の最後にある発行された日付を見ると、1976年9月20日に第1刷が発行されて以来、2003年7月31日現在で、51刷も発行されています。

この絵本のお話は、とても単純です。

「これは、ガンピーさんです」の紹介とともに、ガンピーさんというぼうしをかぶった男の人が登場します。

ふねを一艘もち、川のそばに住んでいるガンピーさんは、ある日、ふねで出かけます。

そこに、「いっしょにつれてって」といろいろな人や動物が同乗してきます。

2人のこどもたち、うさぎ、ねこ、いぬ、ぶた、ひつじ、にわとり、こうし、やぎ・・が次々と乗り込みます。

ガンピーさんは、「けんかしなければね」「ばたばたやるんじゃないよ」などと言いつつ、「いいとも」と気前よく乗せていきます。

みんなで楽しそうに川を下ったのもつかの間、みんなはガンピーさんの行った事を守らずに、好きな事をし出します。

そしてついに、ふねはひっくり返って、みんな川に落ちてしまします。

でも、ガンピーさんもみんなも、変に無表情というか、あ~あ!って感じですかね。

 からだを乾かした後、ガンピーさんは

「そろそろ、おちゃのじかんだから」と言って、みんなと野原をよこぎってあるいて帰ります。

そして、みんなで、ティ―タイムをたのしみます。

なーんか、とても、ほのぼのしてますね、いっかんして。

そういうところが、愛されているのかもしれませんね。

スケッチ風の絵も、とてもやさしいタッチで、これもほのぼのした雰囲気が楽しめます。

ゆーっくりと、ふなあそびを楽しむように、読んでみたい絵本ですね。


学生さんのまちづくり提案発表会

2012-08-23 15:05:29 | Weblog

8月も23日と、9月も目の前。

暦では「処署」と言う事で、暑さもじょじょに落ち着くはずですが、めちゃくちゃな猛暑です。

そのせいか、今日の子育てサロンは、14組の参加で、最近では多い参加でしたね。会場の部屋はクーラーで涼しいし、避暑にはもってこいです。新しい参加も2組あって、とてもにぎやかでした。8月2日のサロンはお休みさせてもらったので、1カ月ぶりのサロンでしたが、元気な子どもたちに元気をもらえますね。「今日は、おかもとさんがいる」とKくんが言ってくれてたけど、うれしかったなあ。

お盆は奥さんの実家で過ごし、一足先に行っていたじゅんの「おじいちゃん子」ぶりに感心して帰ってきました。

朝市や畑での収穫のお手伝いもこなし、立派な助手のよう。

じゅんは、まだおじいちゃん宅に居残ってますが、宿題はできてるのかなあ。まあ、あと少し楽しんでおいで!

帰ってきてから、急に体調不良になってしまい、今週はおとなしめの生活をおくっています。

 

そんなときではありましたが、21日に町のほうで、「早稲田大学院生によるまちづくり発表会」というのが福祉センターであり、ちょっとしんどかったんですが、参加してきました。

和束町は、この間、早稲田大学のマニュフェスト研究会と協定を結んで、いろいろとまちづくりについて連携されているんですが、その一環です。早大のマニュフェスト研究会の方々は、ここ数年、特に湯船地域に入って、いろいろとまちづくりの提案をされているんですが、今回も5日間ほど入られて、その成果をまとめて発表されてました。

発表のテーマは2つあって、1つは「茶源郷」をテーマにしたまちづくりで、もう1つは湯船森林公園の有効活用についてです。

いま和束町は「茶源郷」というイメージを前に出してまちづくりを進めようとしていますが、学生の方は、定義があいまいなので、統一化して定着させるべきだと言っておられました。茶源郷というイメージが住民の中で定着を見ていないのは、宣伝や徹底が弱い事が主要な問題ではなくて、住民的な議論と合意をへて出てきたものではないからだと私は思います。ほとんど町長もしくは行政から突然出てきたイメージなので、愛着がないのです。

学生さんは茶源郷の定義化という提案をされて、あらゆる場面で茶源郷を定着させていく事が大事だと言ってくれてましたが、住民的議論のない上からの徹底は、あまりうまくいかないかなと思いました。

人口減少をどう防ぐかが、大きな課題との見方は同感でしたが、学生さん自身が茶源郷というイメージにとらわれすぎて、具体的な方向性に少し欠けるかなと感じました。

湯船森林公園の有効活用は、私も関心事なので、興味深く聞きました。

活用できていないゾーンをどう再生するかはまさに課題だし、学生さんは、マウンテンバイクのコースを整備して誘客してはとの提案でした。それもいいなと思いながら、私は、せっかくの豊かな森林資源や自然環境を、もっと学びの場として使えないかと思います。

いずれにしても、湯船だけの力ではかなり困難になってきているのは確かなので、湯船を中心にしつつも、町全体の財産としてもっと多くの方にかかわってもらう時なのかもしれませんね。

外部の学生さんが、固定観念にとらわれずに、率直な提案をしてくれるのは、とても有意義なとりくみだと思います。
大事なのは、地元の私たちが、その意見をうのみにもせず、排除もせず、柔軟にどう生かしていけるかです。
本当は、地元の若い人たちこそ、こういう機会が必要なのかもしれません。

貴重な意見を発表いただいて、良かったと思います。

 

ただ、彼らの考える観点というか、基礎にあるものには、私としては、首をかしげる部分はもちろんあります。

それは、マニュフェスト研究会という団体そのものにつらぬかれている考えだと思いますが、学生さんがポイントで口にしていた「中央集権の時代でなく、今は地方分権の時代だから」というものです。

要は、昔は国の補助金に依存して、それを使っていればあまり何も考えなくても、まちづくりは出来たが、財政難の今は、それは困難で、地方が自分で考えて、自分の責任でまちづくりをしなければいけない時代だという感じ。

国に頼らず、地方自身の自力でがんばる・・・それができる時代、それが「地方分権」だーみたいな。

これは、何となくごもっとものような感じもありますが、私はちょっと違うなと思います。

国の関与というものをすべて悪いと切り捨てるのではなく、国が果たすべき責任をしっかり果たさせる事こそ大事だと思います。

地方の特色とかよく言いますが、人間が最低限の生活をする上で必要な事は、どこに住んでいても変わりません。
それは、憲法25条で保障された生存権の問題です。それは、どこに住んでいても、国が責任を負うべき責任です。

そこをあいまいにしたままの「地方分権」や「地方主権」は、最低限の生活を営む範囲でさえ、地域間の格差を生む危険性があります。

たとえば、医療や介護、子育て、環境など、人間が人間らしく生活するためのとりくみは、地方が自分だけの力で保障できるものでもないし、ちょっと「がんばれば」できるものでもありません。それは、本来、国全体の問題だからです。各地方で勝手に考えて、決めれば良いものではないものです。

自分たちの住む町をどんなまちにしていくかを、自分たちの頭で考え、決定していく事は大事な自治です。

でも、それは、国があてにならないからやる事ではなく、自分たちの暮らしや命を守るために、国だけでなく、都道府県や市町村に、その責任を果たさせる事にこそ大きな意味があるように思います。

彼らの言う、「自分のことは自分で決め、責任を持つ」=「自己責任」という考えは、本来、国や行政が負うべき責任を住民や地方自治体に転嫁する手段になります。

「宝探し」という事を、研究会の方はよく言われます。
地域の良いところをみつけて、それを伸ばそう、広げよう。
また、出来ることからはじめよう」とも。

それ自身は、別に悪い事ではありません。
そういう見方が大事だし、やってみることも大事です。

でも、それだけでもダメです。

町を衰退させているのは何が原因なのか?
そこへのアプローチに、彼らの大きな弱点があるように思います。

彼ら流に言えば、工夫が足らん、がんばっていない、上手くいかないのは頑張っていないから

つまりは、自己責任になります。

自己の責任はもちろんあります。でも、それだけでもないのです。

学生さんの発表にもありましたが、湯船は以前は、林業がさかえ、活気があったが、林業の自由化で衰退したとの話があります。

それは、湯船の人々ががんばらなかったから衰退したのではなく、国の政策によって余儀なくされたのです。
そういう事は今でもずっと続いている事です。

国がどんな愚かな政治をしていても、「地方分権」だから、自分たちでがんばっていればいいのだではいかない現実があります。

「地方分権」ということが、都合のよい言葉として使われている感が否めません。

いずれにしても、彼らなりに、考え、提案してくれたものを、私たちがどうかみしめて、本当の意味で生かしていけるか、それが一番問われているように思います。

 


「うそつきは泥棒の始まり」

2012-08-10 13:53:34 | こんにちは、日本共産党です!

子どもたちは、学校でも、家庭でも「ウソをついてはいけないよ」と口酸っぱく教えられています。

ウソをついてはいけない、と言う事は、子どもに限らず、大人にももちろん言える事です。

昔から「ウソつきは泥棒のはじまり」と言って、戒められてきたものですよね。

いま、まさに、民主党・野田政権は、「しない」と約束していた消費税増税を、国民の信を問わないまま強行しようとしています。

つい先頃、特別委員会で、採決が行われ、民自公の談合兄弟によって可決されました。そして、これから予定されている参議院本会議で、採決をしようとしてます。

これは、明らかに、うそつきです。

ウソをついて、国民の懐から税を無理やりふんだくるわけなので、まさに泥棒行為であり、強盗と同じです。

自民党と公明党は、ウソをついた野田政権を助け、信任し、約20兆円もの国民負担を押し付ける、増税と社会保障の大改悪という泥棒行為に手を貸しました。いわゆる共犯ですね。

特別委員会のしめくくり質疑での大門議員の質問に対する野田総理の答弁を聞いていると、公約違反であること、ウソをついた事を認めています。つまりは、確信犯なわけです。悪質です。

国民に言ってもいない事を、国民の声も無視して、無理やり強行することを、「決められる政治」などと平気で言う総理や自民・公明。

国民の、または未来の主権者である子どもたちの、模範であるべき、総理大臣が、平気でうそをつき、ウソをつきとおす事に命をかけると息巻く。

それを、公党である、自民党や公明党がこぞって応援し、ウソをつきとおす事をけしかける。

情けないのを通り越して、救いようのない堕落としか言えません。

国民の力で、支持を得て、政権をまかされたにもかかわらず、平気で裏切り、逆に牙をむく政治。

こういう堕落した政治にこそ、国民は愛想を尽かしているのではないのか?

国民の声をあくまで聞かないと言うなら、聞かせるしかないですね。

泥棒を捕まえ、「悪かった、もうしません。あらためます」言わせるのが、今度の総選挙です。

子どもなら、反省文を書いて、今回は・・・と言う事もありますが、

それくらいでは許されない、

ハッキリと、国会から消えてもらうしかありません。

 


ヒロシマ・ナガサキ・フクシマのある国で

2012-08-09 23:15:01 | Weblog

今日、8月9日は長崎に原爆が投下された日。

そして、6日は、広島が被ばくした日でした。

前にも書いたかもしれませんが、私が原爆というものをはじめて知ったのは、小学生のとき、たしか2年か3年生の時。

教室に置いてあった、「はだしのゲン」という、広島の被爆者でもある中沢啓二さんのマンガを読んだ事でしたね。

読まれた方も多いと思いますが、被ばくの描写がとてもリアルで、小学生だった私には、とてもショッキングでした。

夜、寝る時に、マンガの場面が頭に浮かんできて、なかなか寝付けない時もあったものですが、そんな時は、何故かドラえもんを思い出して、怖さをまぎらわしていたのを憶えていますね。

もう少し大きくなった時に、どこでだったかは忘れましたが、原爆パネル展があって、その時にはじめてマンガでない被ばく写真を見たんですが、それがまたショッキングで、それ以来、そういうものを見たり、ふれたりすることが、極端に怖くなってしまって、原爆ドームの写真を見るだけでもダメみたいになりました。

中3のときに、修学旅行で広島に行く事になったんですが、正直、とても嫌でした。というか怖かったです。

広島というと、焼け野原の写真しか知らなかったんで、広島の街はまだあんな感じだとまじめに思いこんでいましたね。

そんなはずないのですが、それくらい広島に行くのに緊張してました。

平和公園にある原爆資料館に入る時は本当にドキドキして、あの頃は、視力がとても落ちていて、少し離れるとボヤーっとしてよくわからない事を良い事に、ほとんどまともに見ませんでした。それではいけなかったんですが、あの時はどうしても直視できませんでした。

ちゃんと向き合えるようになれたのは、高校生のときで、民青同盟に入って、いろいろと学習したりするようになってからでしたね。高3の時の文化祭では、たくさんのパネルを借りて、「戦争展」をやったりもしました。

毎年、広島、長崎で開催されている、原水爆禁止世界大会にも何度か参加させてもらい、いろいろな交流や体験をしました。

1999年に長崎に行って以来、もう10年以上被爆地を訪れていませんが、その間に、子どもが生まれて、先月で11才になったわけですが、そろそろ一度子どもと一緒に被爆地を訪れてみたいなと考えています。

私が子どもの頃と比べても、今の子どもたちは、戦争や原爆の事に触れたり考えたりする機会がなくなってきているように感じます。私が小学生の頃は、夏休み中の8月6日は登校日で、平和や原爆の事を学ぶ機会がありました。その時に、「原爆許すまじ」や「青い空は」「夾竹桃」などの歌を憶えたように思います。

学校では、人権や差別の問題とかがさかんに取り上げられますが、戦争や平和の事は何か意識的に避けているようにも思います。それは、先の戦争を美化したり、日本が犯した侵略戦争を「自虐的」とか言ってまともに向き合おうとしない政治の動きと関係しているし、憲法9条を大事にしない姿勢ともつながっているように思います。

戦争は最悪の人権侵害であり、命を粗末にし、差別を助長することにつながるものです。
学校でも、地域でも、家庭でも、戦争や原爆、平和のことを、子どもたちにもっと伝えていく機会をつくりたいものです。

実は、いま役場のロビーで、原爆パネル展が行われています。

この間、毎年、この時期に開催されているんですが、今年は8月15日まで開催されています。

ぜひ多くの方に見てもらいたいと思います。

日本人は、ヒロシマ、ナガサキの原爆だけでなく、戦後のビキニ環礁での水爆実験による第5福竜丸の被爆と久保山さんの死を経験し(被爆した漁船は他にもあり、約800隻とも言われます)、そして昨年3月11日には、福島第1原発事故が発生し、放射能汚染が続いています。

ヒロシマ、ナガサキとともに、フクシマの痛みも新たに背負う事になった私たちですが、核兵器も原発も人類とは共存できないことを、いましっかりと胸に刻んで、伝えていきたいですね。

 

さて、ナガサキの日の今日9日、政治は大きく乱れています。

昨日、民主、自民、公明の談合3党が、増税強行をあらためて決める「合意」を行い、それを受けて、日本共産党をはじめ6党が共同で提出した内閣不信任案を否決。明日と言うか、もう今日ですが、消費税増税法案を採決する動きを強めています。

選挙で何にも言っていなかった消費税増税を、国民の信を問うことなく、勝手に決めてしまう・・・

こんなこと、例えば子どもたちに、どう説明できるでしょうか。

公約してた事は反故にし、公約もしていなかった事を選挙もせずに、国民の声も聞かずに決める・・・それが日本の民主主義とでも教えるのでしょうか。公約違反という大ウソを、総理大臣が平気で正当化し、自民党・公明党が大ウソをつくようせきたて、大ウソをつきとおさなければ不信任だと、採決をあおりたてる・・・本当に情けないというか、恥ずかしいです。

それを何の問題もないかのように、むしろそれが正義かのように書く新聞も本当に恥ずかしい。

そんな思いを、手作りのポスターに込め、9日の昼頃にローソン前で宣伝しました。

道理のない事、国民を蚊帳の外に置くような政治は、必ず破たんする。

それは、自公政権もそうだし、この間の民主党政権の落ちぶれた姿が証明しました。

たとえ法案が強行されても、これからが勝負です。

「近いうちに信を問う」と言うなら、思い切り信を問いましょう。

国民の声で、増税を白紙に戻させる、消費税増税に頼らない道を切り拓く政治にしていきましょう。