こんにちは 岡本しょういです

京都の南部、和束町で日本共産党の町会議員をしています。町や議会などの情報をお知らせしています。

阪神淡路大震災から20年

2015-01-17 23:07:26 | Weblog

20年前の1月17日。

あの時私は、京田辺市の実家にいて、あの揺れを体験しました。

実家は団地だったのですが、ドン!という突き上げのあと、まるで箱の中で転がされるような、経験した事のない揺れでした。

幸いにも被害はなかったのですが、これはただごとではない、と感じました。

その後、じょじょに伝えられる神戸市を中心とする被災地の状況に、それは確信に。

それから1週間後に、私はたくさんの青年たちと被災地の一つ、西宮市に支援ボランティアに入りました。

20年たっても忘れない、

阪急西宮北口駅を降りたち、足を踏み入れた時の異様な雰囲気。

空にはヘリが飛び交い、あちこちで鳴り響く、救急車両のサイレンの音。

気のせいではなく、本当に景色がセピア色に見えました。

支援の受け入れ先である地元の党事務所に向かう道々で見た、倒壊した建物、道路。

これは、大変なことになってるぞ。

そんな思いも背負いながら、事務所に到着し、早速、支援物資を届けに行きました。

青年の集まりだけに、まだ運転免許を持っていない人が多かった中、またミッション車を運転できる人が少なかった中、あの時ほど、運転免許を持っていて良かったと思った事はありませんでした。

水や食料を車に積んでは、走り、届け、話をお聞きする・・・何度も何度もこの作業を繰り返し、あっという間に陽が落ち、支援の1日を終えました。

これで帰っていいのか、との思いを抱えつつ、帰宅。

帰るまでは異様なほど元気と言うか、気持ちが張っていたのが、帰った途端にどっと疲れたのを憶えてます。

 

震災があった、あの年の4月、

私は和束町で議会議員となりました。

私が、阪神淡路大震災から学んだ一番の教訓は、

災害という非常時であっても、

政治が歪んでいたら、ちゃんとしてなかったら、

決して助けてくれない、助かる命も助からない、せっかく助かった命も奪われかねない

そういう政治の酷さ、冷たさでした。

ボランティア元年と言われ、多くの人々が困難な中でも、人間性を発揮し、助け合い、支え合いました。

それにひきかえ、政治や行政は、情けないほど、酷く、冷たいものでした。

まだ瓦礫の下に人がいる、誰もがこれからの暮らしをどうするか、どうなるか、途方にくれている震災からまだ2週間後

当時の神戸市長は、神戸空港を予定通り建設すると宣言し、事もあろうに「復興のシンボル」などと都合よく結び付け、

どんな場合でも、大企業の儲けが優先され、住民の暮らしや命が後回しにされる

そのボタンの掛け違いが、

20年が経過した今も、被災地に、被災者に大きな苦しみを与え続けています。

だから、「命を、暮らしを守れ」の声をあげなければ、政治や行政は向き合おうとしない、

声を挙げ続け、粘り強く要求し続ける事が、命と暮らしを守る事につながる

この思いこそ、私の議員活動の原点です。

東日本大震災、そして原発事故

安倍政権の下での、暮らしと平和を破壊する数々の暴走

このような様相の下でたたかわれる4月の地方選挙では、

ますます、その思いが問われる、大事になると思っています。

 

 


成人式

2015-01-13 13:14:26 | 議会報告&議員活動

昨日は成人の日でしたね。

私が成人式に行ったのは、もうはるか27年も前。

あの時はまだ田辺町の時代で(多分)、たしか大住ケ丘にあった中心山荘が会場だったと思います。

あれからもう1回、成人式を迎えるほど年齢を重ねましたが、時間は大切にしないと、と思いますね。

 

という事で、昨日は、成人式がありました。

和束町では、今朝の新聞では39人となってたけど、昨日の式場では41人と紹介されてましたが、40人前後の方が新しく成人されました。

彼らは、ちょうど私が和束町に移住した年度に生まれた世代になりますね。

彼らの生まれたからこれまでの年月を、私も和束で過ごしたことになります。

とにかく、おめでとうございます。

 

さて、成人式はこれまで、和束町として開催されてきたのですが、今年から、笠置町、南山城村と合同による成人式となりました。

なので、会場は南山城村のやまなみホール。

要は、3町村で構成されている相楽東部広域連合の枠で開催という事なんです。

連合が発足してから、というか、教育委員会が統合されてから、何かと3町村合同でという流れが作られてきました。

成人式は、数年前から笠置と南山城は合同で開催していました。

ただ、笠置と南山城は、中学校が一緒なので、関係はあったのですが、和束の場合は、高校とかでは一緒の人もいるでしょうけど、基本的にはあまり関係がないのが実際です。

それを今年から和束も合同で開催する事にしたのは、

教育委員会によると、

今年の新成人は、連合教育委員会になって初めての管内中学の卒業生だったから、らしい。

でも、そんな事、新成人には何の関係もない事で、当時の「大人」や行政が、住民やPTAとかにも何の相談も説明もなく、勝手に広域連合を設立し、教育委員会を統合しただけのこと。その結果として、これまでの町村立だった学校が、広域連合立に移行しただけでの事。

なので、ある意味、都合の良い「こじつけ」としか、私は思えませんでしたね。

それは、式での教育委員長の式辞からも感じました。

委員長は式辞の中で、彼らが広域連合立としての初めての卒業生だった事を述べた上で、これからは故郷の範囲を相楽東部まで広げてください、などと言われました。

故郷の範囲なるものをどう考えるかは、個々人の自由であって、行政の勝手な都合で設立した広域連合の範囲を故郷として考えなさいなどと押付けるものではないと思います。

そもそも今回の成人式を、3町村合同で開催する事は、当事者である彼らには何の相談もされないまま、決められました。

彼らを大人の一員として尊重するのであれば、式の主役である彼らを抜きに考えるべき事ではないのではないかと思いましたね。

それに、成人式は、より身近な単位で、身近な人たちの中で開催する事が本来ではないかなと思います。

相楽東部などという行政の都合で設定された広域連合の範囲を、無理やり押付けるのではなく、規模は小さくなっていっても、彼らの身近で自然な範疇の中で、あたたかくお祝いし励ます取組みであればいいのではないかな、と。

 

もっとも、成人式を迎えた彼らにとっては、式のあり方よりも、久しぶりに再会した同級生たちとの語らいや交流が、何よりの宝物だと思います。

仲間たちと力を合わせて、輝かしい未来を切り拓いてほしいと心から思いますし、ぜひ一緒に力を合わせていきたいですね。

本当におめでとうございます。

 


真っ白なお正月

2015-01-04 10:25:08 | Weblog

新年あけましておめでとうございます。

2015年もよろしくお願いします。

新しい年は、雪、雪、雪、の真っ白なお正月になりましたね。

年明けは、元旦から奧さんの実家に帰省したのですが、和束を出た頃は快晴だったのが、だんだん雲行きが怪しくなってきて、京都市内に入った頃には雪がちらついてきました。

亀岡あたりになると、沿道が白くなり積雪もはっきりして、園部あたりでは吹雪いていて、どうなるかと思いましたが、何とか到着できました。

その時点ですでに20~30cm以上の積雪で、まさに真っ白な銀世界になってました。

翌日の朝もほぼ同じような風景で、早速に雪かき作業。

豪雪地帯の方からすればたいしたことのない積雪だと思いますが、このあたりではなかなかのもので、慣れない雪かきに四苦八苦でしたが、大雪の「おかげ」と言うと語弊がありますが、これだけ積雪があればいろいろな遊びもできて、かまくらもどきの製作なんかもしてました。

2日の夜からも雪が降り、さらに積雪もありましたが、昨日の帰るころには何とか道も開いて無事帰り着く事ができました。

和束ではそんなに積雪はなかったのかと思ってましたが、今朝配達に出ると、けっこう雪景色で、茶畑も雪化粧。

 

さて、早くも明日は仕事始めですね。

今年の4月には、一斉地方選が控えていて、私自身も、6期目をめざすたたかいがあり、気を引き締めて頑張りたいと思います。

元旦には、帰省する途中に、宇治市にある山本宣治さんの墓碑に立ち寄り、決意をあらたにしてきました。

 

2015年は真っ白な世界でスタートしましたが、私自身もこれまでの経験も踏まえつつ、一度頭の中を良い意味で真っ白にして新しい事にもチャレンジしながら、成長できるように頑張りたいですね。

何よりも、安倍政権の下で、黒い部分が広がりつつある政治や社会を、白く塗り替えていけるようにしたいですね。

今年も何卒、よろしくお願いします。