十河城跡にたつ 称念寺副住職のブログ

高松市十川東町 浄土宗、称念寺の日常の様子や行事の紹介です。時々、十河城跡に関係することも書きたいと思います。 

称念寺の阿弥陀様(2)

2024年01月20日 | 日記

くーちゃん 服を着せられるのも慣れてきました

 今日は雨が降ったりやんだり、次第に寒くなりました。

 来週の天気予報を見ると、気温が一気に下がりそうです。

 研修会や法事、別時念仏会・写経会など行事があるので心配です。

称念寺の阿弥陀様(2)

 都に帰ってきた上皇は激怒しました。ただでさえ、古くからの仏教寺院に所属する僧たちから、法然上人の布教を止めろとか、法然上人のもとに集まっている僧たちは偽物だから捕まえてしまえとか、訴えられていたところにこの事件です。当然、住蓮・安楽は捕まえられてしまいました。それだけではなく、以前から布教内容がおもわしく無いとされていた者や、堂々と妻帯している者も捕縛されました。親鸞聖人が流されたのもこの時です。師の法然上人もお坊さんの資格を取り上げられ、藤井元彦という名前にされ、土佐(高知県)に流されることになりました。九条兼実様が一生懸命嘆願して、土佐よりは近い讃岐になりましたが、高齢のお上人様が遠路讃岐の満濃辺りまで、罪人として送られたのです。安楽房は京の六条河原(京都)で、住蓮房は近江の馬渕(滋賀県)で首を切られてしまいました。
 時をもどします。住蓮房が讃岐国山田郡を去った後も、この地の人々は阿弥陀様をおまつりし、お念仏の信仰を続けていました。当時の人たちのことを考えてみましょう。
 ありがたい教えを伝えてくださった、住蓮様の身の上に起きたことを伝え聞いた時の驚き。
 同じ国内に法然上人がお越しになり、お会いできるかもしれないと知った時の喜び。
 そのお上人様が都に帰られるときの別れのつらさ。
 法然上人一周忌の結縁交名に協力を呼びかけられた時の気持ち。
 想像してみてください。(続く)

最新の画像もっと見る