十河城跡にたつ 称念寺副住職のブログ

高松市十川東町 浄土宗、称念寺の日常の様子や行事の紹介です。時々、十河城跡に関係することも書きたいと思います。 

観てますよ 「麒麟がくる」

2020年02月22日 | 十河城のこと
 NHKの大河「麒麟がくる」が始まり、毎週観ています。明日は「三好長慶 襲撃計画」だそうです。この三好長慶は、十河城がもっとも勢いがあった時代の城主、十河一存(そごうかずまさ)の長兄なんです。戦国大名(一説には織田信長よりの先に天下統一を果たした大名とも言われています)であった、三好長慶の弟がなぜ、この十河城に養子として迎えられたのかは分かりませんが、これにより讃岐で十河氏が大きく台頭したのは間違いありません。
 三好長慶は、先週少し登場していましたが、明日は大きく描かれることでしょう。楽しみです。


裏の畑の葉の花が咲き始めました 

通称 お塚さん

2019年09月27日 | 十河城のこと
 今日は、お塚さん(ご近所での通称です)の草刈りなどをしました。戦国時代、「いくさ」で亡くなられた方を埋葬した跡が塚です。穴を掘り、遺体を埋葬した後、土を盛り上げたのでしょう。


お寺の北側の民家に隣接しています

 十河城址の称念寺の周囲には、こういう塚がいくつか見られます。多くはその上に祠などを祀っているのですが、ここにはありません。昔はもっと高く土が盛り上げられていたそうですが、時代とともに土が流れ低くなったのでしょう。

 2年前までは、うっそうとした藪になっていたのですが、倒木を片づけたり、カシの木を伐採したりして、さっぱりとしました。草刈りは年に何回かしています。今回は、2年前に伐採したカシの木が伸びていたので、再び伐採しました。

 この上には上がってはいけない、また触ってはいけないと、代々引き継がれてきたそうです。私も、お念仏をお称えしながら作業をしました。

十河城のお話

2019年01月21日 | 十河城のこと
 大寒を迎えましたが、比較的温かい日が続いています。夜明けが少しずつ早くなってきております。6時40分にクーちゃんの散歩に出ましたが、ライトがいりません。


称念寺の西側にある鷺池からの景色です


本堂で30分程お勤めをしましたが寒さを感じません

 パソコンを覗いていると、十河城の話が出てきました。以前、地域のホームページに提供したものだと思います。

十河城のおはなし

十河城はいつごろあったの?

 室町(足利)幕府の最初の頃に、十河氏が武士団を率いていたということが分かっているので、その頃すでに十河(十川)に城はあったと考えられます。それから豊臣秀吉の時代までありました。

どんなお城だったの?

 もともとの地形を利用して、堀(大きな溝)や土塁(土の壁)を築き、その内側に人が住む建物と見張り台や武器・兵糧(ひょうろう)の倉庫が建てられたものでした。
長曽我部との戦いのときには、周囲を何重にも堀や土塁で取り囲まれ大砲まで置いてある、守りの堅い城でした。

お殿様はどんな人?

 十河氏の先祖は、讃岐(香川)の国造としてきた、景行天皇の皇子 神櫛王(かんぐしおう)だそうです。勢力範囲は十河だけでなく山田から屋島の辺りまで広がっていました。
室町幕府の頃は管領家だった細川氏に仕えていました。
戦国時代末期、阿波(徳島)の三好氏から養子をもらい、その人が十河一存(かずまさ)です。勇敢な戦ぶりから「鬼十河」とあだ名される程の人でした。
一存は三好長慶・三好実休・安宅冬康4人兄弟の末弟で、長慶は幕府の権力者・実休は阿波の領地を守り・冬康は淡路島に領地を持ち、兄弟仲よく力を合わせて長慶の政治を助けていました。
一存の後に城主になったのも実休の子 存保(まさやす)です。
その頃、土佐(高知)の長曽我部元親が四国平定を目指し幾年にも及ぶ合戦を始めました。最後に十河城だけが残る状態になっても、1年以上の籠城し戦いました。しかし秀吉からの援軍が来ず、十河城はついに開城したのです。
 天下統一を目指す秀吉は土佐以外の四国を自分の家臣に分配し、十河氏も十河城一帯の2万石を改めて与えられました。
 ようやく戦のない日々が訪れたのですが、秀吉の九州平定に出兵し、そこで存保は戦死しました。息子の千松丸がまだ13歳のときのことです。
 存保死後、讃岐はすべて秀吉の家来 生駒氏のものになり、千松丸は生駒氏からは3千石の領地をもらうだけになっていました。しかし子どものうちに亡くなってしまい、千松丸の死によって十河氏は滅びました。


 続きはまた今度・・・

十河城主の墓

2019年01月18日 | 十河城のこと
 称念寺の北約100mのところに城主の墓があります。


後世になって建てられたものです

 江戸時代末期、安政の頃に墓地を修理したとあります。


両側は、十河氏が最も栄えた2代の城主の墓

 真ん中は、最後の城主 十河存保(そごうまさやす)公の嫡男、千松丸のお墓です。


看板にお墓の説明があります


お墓の右にある碑文(大正4年作)の説明板です

 十河氏の由来、十河城の戦い、などの歴史が書かれています。

落葉シーズン

2018年12月03日 | 十河城のこと
 夜中から雨です。朝には少しやむ予報が夕方まで降り続けました。夕方少しの雨が上がった時間を使って、ブロアーで落ち葉を集めました。



イロハカエデだけでこんなにたくさん!

 今日の雨で、たくさん落ちたようです。ここ1週間の落葉で、こんなに集まりました。



山もりの落ち葉(堆肥になります)

 このほかイチョウもたくさん葉を落し続けています。落ち葉掃除をしていると、見たことのある方がご夫婦で訪ねてこられました。すぐに思い出せなくて失礼しました(お寺にいると時々あります)。
 9月にお父様が亡くなられた、県外に住むご夫婦でした。百か日で、墓参りに来られたとのことです。49日の時にお話しに出ていた本をわざわざ持ってきてくださいました。


「一世紀を生きる」娘さんのご主人著です

 101歳でお亡くなりになられたお父様(義父)の生き方に感銘し、一緒に霊場巡りをされたことやお父様の先祖巡りをされたこと等の思い出が記されているようです。早速読ませていただきます。ありがとうございます。


クーちゃん、我が家にやってきて1年が過ぎました

 1年で大きく成長しましたね。可愛かったけれど、最初は手間がかかって大変でした。わが子と同じですね。