syuの日記・気まま旅

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中山道最初の板橋宿

2011-08-27 | syu散歩
中山道は、約30の大名が参勤交代に利用したと言われている。その中で最大の領地を持つ加賀藩は、
江戸藩邸の上屋敷を中山道沿いの本郷に、下屋敷を板橋宿に置いた。
そのうち、江戸上屋敷の敷地は明治以後は、東京帝国大学となった。現在の東京大学本郷キャンパスは、国道17号に面している。
また、かつての中山道に面して建つ加賀藩上屋敷の御守殿門(赤門)は、重要文化財に指定され保存されている。

中山道は、様々な文学作品の舞台ともなった。馬籠出身の島崎藤村は、自らの故郷を舞台に歴史小説『夜明け前』を執筆した。現在の馬籠宿には、
「藤村記念館」などが建設されている。

   
                                  商店街の中央にある古い銭湯「花の湯」


板橋七福神恵比寿「観明寺」真言宗豊山派如意山と号し、本尊は正観世音菩薩。
明治6年、当時の住職がさびれゆく板橋宿に活気を取り戻そうと成田山新勝寺から不動尊の分身を勧請し縁日を開き、
その名残でこの寺の前の通りの旧中山道を不動通りという。今も出世不動として親しまれている。

観明寺と境内に満開の百日紅
    



「遍照寺」江戸時代には天台宗の寺であっ たが,明治4年(1871年)に廃寺となり,昭和22年(1947年)に真言宗の寺として再建された。
現在は成田山新勝寺の末寺となっている。 寺域は旧宿場時代には馬つなぎ場。
   



「平尾宿脇本陣跡」. 板橋平尾宿の脇本陣豊田家の屋敷跡、豊田家は代々市右衛門を世襲し、名主も兼ねた。
近藤勇が処刑までの間監禁され、また、江戸時代に見世物となった ペルシャ産のラクダが逗留したとある。
                   



「丹船山 薬王樹院 東光寺」・浄土宗
創建は室町時代末で、もとの境内は現、東板橋体育館辺りの「舟山」にあった。延宝七年(1679)旧加賀前田家の下屋敷開設にともなって移転。
  

   


「板橋宿本陣」
江戸から数え、中山道最初の宿場。南北に延びる宿駅部分を含め、村としての地域名称を示す場合は下板橋村が多く使用された。
中宿に本陣1軒があり、脇本陣は上宿・中宿・平尾宿に各1軒。旅籠屋は寛政12年(1800)に大21軒、中21軒、小26軒。
                    


「板橋七福神毘沙門天(文殊院)」江戸時代初期、延命地蔵を祀るお堂を寺院としたと伝えられている。 
  

仲町の文殊院は、孤独のうちに果てていった遊女薄幸の遊女墓碑がある。

板橋宿は「板橋区役所前」駅前から国道17号を横断、商店街に入る。昔の面影もない現在の町。
石塔、看板などで場所が解るだけ、期待したが残念。

次回は一里塚方面へ。