syuの日記・気まま旅

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富士講御師 旧外川家住宅

2011-08-23 | 富士山麓日記
富士吉田市に開設された「御師の家 旧外川家住宅」をみにいった。


旧外川家住宅(富士吉田市上吉田3丁目)を重要文化財(建造物)に近く指定される見通しで、県内の建造物の重要文化財は51件(国宝2件含む)となる。

旧外川家住宅は街路から奥まった細長い特徴的な敷地に、主屋、はなれ、座敷、中門の3棟と、江戸時代からの土地(約1087平方m)がある。
100名からの登山者を宿泊させ、食事も供した。このような家が80軒ほどもあった。この家から北口浅間神社に参拝し、
富士吉田口登山道から登った。現在でも旅館を経営している家もある。

主屋は明和5(1768)年に建てられ、富士山を参詣する信者が宿泊した御師住宅の最古の遺構。離座敷は中央部に神殿を備え、
背面に床を一段高くした座敷が造られている。
中門の保存状態も良好で、「江戸時代に隆盛を極めた富士山信仰を伝える御師住宅の屋敷構えを残しており、価値が高い」(県教委学術文化財課)という。

「御師の家」信仰の対象であった富士山を訪れ、草鞋(ワラジ)を脱いで休み、祈祷を捧げた場所が宿坊・御師の家。
現在も金鳥居から富士山方向道路を挟んで左右に、その町並みを見る事が出来る。


                  奥行きの長い住宅               神殿
    
御神前


藍染の衣類は綿入れ、山ではこれを着て寝る。
この家では蚊帳を吊り、全ての障子ふすまをはずし、大勢を泊めた。布団は屋根の上に干し、浴衣は手洗いで、人手が必要だった。


行衣
    

釘隠し              風呂場の天井、湯気を逃がすための手の込んだ細工の天井
  

現在の「北口浅間神社」鳥居付近

明治時代の金鳥居付近

大正初期の金鳥居付近、馬車が見える

大正後期の金鳥居付近 電車が見える、現在の富士急行、かすかに富士山も見える。

明治時代、説明をする案内人、武士のよう。


明治・大正時代の写真は外川家所蔵の写真から転写。

旧外川家の見学は火曜日定休、大人100円、詳しい説明があり有意義です。御師の通りを金鳥居近くまで降りた右側。