syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

日本海新潟の繁華街「古町」

2012-06-09 | 気まま旅



新潟市内の大火「明治新潟大火」の影響もあって遊郭は移転し、芸事が中心の花柳界(花街)へと変化。
昭和初期には新橋・祇園と並び三大花街と呼ばれるまでとなり、現在においても高級料亭が12軒営業している。
行形亭、有明、やひこ、寿々村、大丸、小三、かき正、鍋茶屋、金辰、等の新潟を代表する老舗料理屋がある。

昭和時代、天然ガス採掘による地盤沈下の発生や、下水道網の不備から堀に生活廃水が大量に流出したことなどから堀の水質が悪化。
更に昭和新潟大火(1955年)による古町地域の焼失、新潟国体(1964年)を控え、交通路の確保と街の衛生状態を改善する必要に迫られたことから、
昭和30年代末頃までに堀は全て埋め立てられたのである。
かつての堀の周辺には西堀通や東堀通といった堀の付く地名が多い。またかつての堀の縁には柳の木が植えられていたことから、新潟市を柳都と呼んだり、
新潟市の木が柳となるなど、歴史が色濃く残されていた。

古町春の恒例「ドンドン祭」は、豊かな自然に恵まれた新潟の「食」の宝庫、
日本一のコシヒカリをはじめ、山の幸、海の幸など、いろいろな「美味しい新潟」を楽しめる。

古町モール
    


柾谷小路を挟んで小林百貨店、大和の2大百貨店を中心に新潟市一の繁華街として栄えてきた古町、
1955年の昭和新潟大火により、5番町から7番町にかけてがほぼ焼失、木造の建造物が圧倒的に多く、残ったのは大和などごく一部であった。
これを機に焼失地域の再建が始まり、1964年の新潟国体を控え、商店街をあげて大会を盛り上げようと意気が上がり、成功に終わった。
しかしその直後に起きた「新潟地震」によって、古町界隈も大きな被害を受けた。

西堀通り(飲食店が集中している)割烹「鍋茶屋」

創業は江戸末期の1846年、初代高橋谷三郎が、すっぽん料理を始めたことによるもので、以来160年にわたり伝統の味と技そして風格を受けついで、
古町花街と共に多くの文人墨客に愛されて着た。木造三階建の料亭は、文化庁の「保存文化財」登録、

    

ふるまちモール5には新潟市出身の漫画家、水島新司の代表作のキャラクターブロンズ像が並べられた「水島新司マンガストリート」があり、完成当初は、
『ドカベン』のキャラクター岩鬼正美の口から出ているトレードマークの“葉っぱ”が盗難される事件が相次いだため、現在は日中のみ葉っぱを取り付け、
夜には外すようになっている。 ふるまちモール6には街頭大型ビジョンが設置。

                     ホテルイタリア軒          昔は柳通りで賑わっていた
     

春と秋のイベントとして「古町どんどん」「にいがた食の陣」で、特に賑わう。

女剣劇、落語などもやる「演芸場」       昔は魚市場で賑わった本町市場
  

街は碁盤の目のようで解りやすい。


「海嶽山・宗現禅寺」曹洞宗の寺、インドから中国そして日本に伝えられ、曹洞宗の源はお釈迦さま、お釈迦さまの教えを日本に伝えられ、
永平寺を開かれた道元禅師を「高祖」とあがめ、總持寺を開き、教えを全国に広められた瑩山禅師を「太祖」と仰ぎ、二人の祖師を「両祖」呼び、
三方を「一仏両祖」として祀り、信仰のまこととする。拝む時は「南無釈迦牟尼仏」お唱えして礼拝。現在では、全国に約15,000の寺院と、1,200万人の檀信徒、

    

街路は古町通りと平行する「通り」と呼ばれる道と、これに直交する「小路」と呼ばれる道からなる。古町通りの北側には西堀通が、また南側には東堀通、本町通が通り、
柾谷小路等の小路が縦貫している。

真宗大谷派「光暁山・勝念寺」1499年円広坊敬智開祖。新潟明和騒動の後、この寺で涌井藤四郎など民衆が会議を開いた。涌井氏らの墓がある。

    

「対岳山 正福寺」壁の本堂が印象的なお寺。真宗大谷派、御本尊 阿弥陀如来。
吉崎御山之図 火難の御文 阿弥陀如来木像 祖師上人灰身像 十時名号 紺紙金泥十字名号善導 法然両高祖御影 六字名号 三尊来迎御
など保存。
明治2年このお寺に設置された「施蘭薬院」では、新潟で初めての西洋医療、種痘が行われた。
境内には昭和37年に建立された「施蘭薬院跡」の石碑や改修時取り外された旧鬼瓦(大正元年作)がある。

      

市内のお寺は「ホテルイタリア軒」の周りに集中している。この伝統あるホテルは、明治7年、イタリア人ピエトロ・ミリオーレ氏が当時の県令楠本正隆氏の力添えで
1番町に新潟初の西洋食品店。明治14年、西堀通7番町、現在の基礎となる西洋料理店を始め、明治39年、倶楽部組織とするために出資組合として発足し、
ホテルとしてスタート、現在にいたる。

    

祐櫛山・ 浄泉寺」真宗大谷派、開祖  道林(1486) 阿弥陀如来
1486年、加賀国江沼郡櫛村において道林が開基。 五世祐善の時、1619年本地へ移る。1597年ともいわれている。(新潟市史による)

美しい本堂のお寺。留蓋の上には、鳩の飾りが。爆弾市長と言われた「桜井一作」の墓がある。

  

「白龍大権現」本町市場の5番町側に立つ神社。商売繁盛・縁結びの。昭和28年に信濃川を下ってこの地に流れ着いた一体二頭の古い龍神像を祀っている。
お参りの際は、最初に自分の氏名を名乗ってから祈願すると聞く。


  


「本町6商店街」は  昔から新潟市民の台所として親しまれてきた「本町市場」。
地ものの新鮮な魚や野菜のほか、生活雑貨やファッション関連など、専門店ならではの品揃えの店が軒を連ねていた。
店の数は約60軒で、新鮮と価格競争で安く県外の客も多かった。が今は大手スーパーが出来て一変していた。
昭和5年、からの市場で、地域に根付き、せり場より直送のとれたて新鮮な魚介類はもちろん、魚卵・干物など取り揃っていた。

新潟名物笹団子、大おはぎを路上で販売していた。
    


次回は水原方面へ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿