syuの日記・気まま旅

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新発田 寺町散策

2012-06-19 | 気まま旅
市内巡回バス停に、寺町たまり駅(寺町通り)と、あんみつ姫の看板と休憩所があった。
そこのおばさんに話を聞くと、市民と他県の観光客が交流できる場で、「たまり」場と名がついたという。
店内には、地場の特産品とお菓子が並べてあった。通りの向かいに清水園がある。右左歴史あるお寺が並んでいる。



まず、「三光寺」に参拝する。
瑠璃山・浄土宗の寺、本尊 阿弥陀仏  浄土宗は、法然上人をお祀りしている。

                 鐘楼                      本堂         
    


「宝光寺」は、「溝口秀勝」が加賀国大聖寺城にいた際に雪堂を開山に加賀国で創建された大麟寺で、1598年の溝口秀勝の新発田藩移封に随行して、越後国に移転。
はじめ五十公野村に所在していたが、後に現在地に移転した。
秀勝が死亡すると埋葬され、浄見寺と改名。1648年に藩主溝口宣直より200石の寄進を受ける。
1709年に将軍徳川綱吉が死去すると綱吉の院号である常憲院と音が通じるのをはばかって、宝光寺と改名された。

山門は、1845年、に建立。(有形文化財)

                                   楼門                     境内
    

宝光寺は、曹洞宗の寺、山号は広沢山。新発田藩藩主溝口氏の菩提寺で、江戸時代は新発田藩領内の曹洞宗録所であった。
他にも市の、絵画、仏像等が指定を有し、境内の「しだれ桜」は、推定樹齢350年、徳川家光から寄進されたと云われている。

新発田藩主溝口氏菩提寺、歴史を感じさせる
    

「福勝寺」は、 1394年創建、新発田重家が開基となり雲洞庵(南魚沼市)の住職悦叟和尚が開山したと伝えられている。
新発田氏の祖先である佐々木氏は鎌倉時代から地頭として周辺を支配し土着し、新発田氏は揚北衆の1人として上杉謙信に仕え、跡継ぎ争いである
"御館の乱"では景勝に組する。しかし、恩賞が領土安堵だけだった事などから景勝と対峙するようになり、越中侵攻を目論む織田信長や芦名氏の支援を得て
1581年に"新発田重家の乱"が勃発。乱は1587年に新発田城が落城し重家が自決。

禅宗寺                                                  新発田重家像  
    

南魚沼市の「雲洞庵」は、「天地人」ゆかりの地、与六(のちの直江兼続)と喜平次(のちの上杉景勝)が少年期に学問を学んだ寺。

寺町通り
  

「託明寺」は、宗派 真宗大谷派 本尊 阿弥陀如来の寺、
親鸞 1173-1262  浄土真宗の開祖、弾圧で法然は、土佐へ、親鸞は越後へ流された。法話の「歎異抄」がある。


                           楼門
    

中央にある「法華寺」は、日蓮宗
日蓮 1222-82 開祖   他宗から攻撃され、伊豆、佐渡へ流された。

    

「堀部安兵衛」関係の「長徳寺」と碑などは、市内の旧新発田城二の丸跡に、義士「堀部安兵衛誕生之処碑」が1918年建立。
長徳寺に、堀部安兵衛父祖の菩提寺で、浪曲師桃中軒雲右衛門が、1913年に寄贈した義士堂がある。
そこに、四十七士の木像が安置されている。「義士堀部安兵衛碑」と安兵衛が植えたとされる「石台松」もある。
城表門公園内 安兵衛銅像が市民の浄財によって、1984年建立された。


「酒の話」新発田の酒
市島酒造・王紋、夢、北国の春。
菊水酒造・菊水、五六八、無冠帝、ふなぐち一番しぼり。
金升酒造・金升、初花、くら酒等がある。

次回は、城、菊水酒造方面へ。


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2 コメント

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新発田市 (oko)
2012-06-20 12:40:20
200年にフィリッピンへ墓参に参りましたお仲間に新発田市の
方が2名おりますので興味深く拝見させて頂いております。
お酒が美味しい所と伺っております。
okoさま (hiroko)
2012-06-20 21:56:41
いつもありがとうございます。
拝見はしておりますがコメントかけずごめんなさい。
先日母の33回忌で田舎に行ってきました。
私たち姉妹も今の所皆元気で頑張っています。
私も週に3回もコーラスに通っています。出来るうちにと・・・。

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