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syuの日記・気まま旅

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古河から熊谷

2012-02-06 | 気まま旅

旧古河市内の7000歩で巡拝できる「古河七福神」コース( 推定所要時間 2時間)
蛭子神社 恵比寿、神明宮 大黒天 、瀬下様宅 大黒天、秋葉神社 毘沙門天、大聖院 弁財天、正定寺弁財天、徳星寺弁財天
福寿稲荷神社 寿老人、三神町稲荷神社 福禄寿、諏訪八幡宮 布袋尊。市内に集中している。

渡良瀬川近くの古河市牧野地にある川戸台遺跡が、9世紀初め~10世紀の平安時代に東日本最大級の“製鉄所”跡で、ここで生産された鍋が
多賀城(仙台市)や秋田城(秋田市)に送られていたことが、古河市教育委員会の発掘調査により判明した。
同じく古河市教育委員会の発掘調査により、三和窯跡群の一角で、かつて飯沼だった東仁連川近くの古河市江口にある江口長沖窯跡で、
9世紀後半の「半地下式平窯」が茨城県内で初めて発見され、ここで作られた須恵器が水運により関東地方の広範囲に流通していたと
考えられるなど、平安時代にも交通の要所であり、また製鉄や窯業の生産拠点であったことがうかがえる。

「浄国寺」市内の真宗大谷派の寺。合掌。

  

「諏訪八幡神社」は、古河七福神の布袋尊、市内中央。
はじめは古河城諏訪曲輪「現歴史博物館」にあったが、土井利勝が諏訪曲輪を出城とした際に現在地へ移築させたとある。

土井 利勝は、安土桃山時代の武将。江戸時代前期の譜代大名、 江戸幕府の老中・大老である。
下総国小見川藩主、同佐倉藩主、同古河藩初代藩主。 土井家宗家初代。徳川秀忠政権における老中として、絶大な権勢を誇った人物。

  

「秋葉神社」は、毘沙門天
古河城主土井利位が、駿州秋葉神社より分霊したもの。火伏せの神としてまつられ、現社殿は、昭和2年に再建された。

土井利位は、1789年、三河国刈谷藩主土井利徳の四男として生まれ、古河藩の第3代藩主土井利厚の実子が早世したため、1813年に利厚の養子に、
1822年に利厚が死去したため、家督を継いだ。利位は奏者番・寺社奉行を歴任して大坂城代となるが、利位が大坂城代のときに「大塩平八郎の乱」が
起こってその鎮圧を担当した。
その功績により、京都所司代に抜擢、1839年に老中に任命された。藩政においても1831年から鷹見泉石を家老に登用し、藩政改革を行なっている。

「浄国寺」市内中央にある真宗大谷派の寺にて合掌。

    

「古河大聖院」は、曹洞宗・宝龍山。
至徳二年、足利氏の草創。開山は、大潮宗賀で、もと永昌寺。能登国総持寺の直末寺。享禄年間、熊谷市龍渕寺の客末寺となる。 
大 本 山 永平寺、総持寺、本  尊 釈迦牟尼佛、

    

「道元」は、鎌倉時代初期の禅僧、日本曹洞宗の開祖。
晩年に希玄という異称 も用いた。同宗旨では高祖と尊称される。諡号は、仏性伝東国師、承陽大師。一般には 道元禅師と呼ばれる。

  

寺には、古河藩家老の小杉監物、南画の枚田水石の墓、及び大日如来種子板碑等がある。

道元の像
      

「慈眼寺」は、修験道発祥の地奈良県大峯山において一日48kmを歩く「大峯千日回峰行」と九日間飲まず・食べず・寝ず・横にならずの『四無行』を満行し、
開山されたお寺。「護摩祈祷」する。

護摩堂 修験道の本尊である蔵王大権現は、今からおよそ1300年前、役行者によって感得され、蔵王大権現の「権現」とは・仮のお姿で現れる・という意味で
過去世をお救い下さる釈迦如来、現世をお救い下さる千手観音菩薩、未来世をお救い下さる弥勒菩薩がひとつになり民衆を救うために現れたお姿。合掌。

慈眼寺
   

            

熊谷から東松山方面に。
  

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