syuの日記・気まま旅

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浅草 懐かしい三社祭

2014-05-18 | syu散歩
今日は、久し振りに、「浅草三社祭」に出掛ける。
山手線鶯谷駅北口を出た。ここからは、正岡子規庵・樋口一葉も良くお詣りした元三嶋神社・言問い通りの寛永寺と坂に近い。
    

「元三嶋神社」は、
元寇の弘安の役の際に河野通有が伊予国大三島神社に必勝祈願した後、当地に分霊を勧請して創建したと伝えられ、1710年、浅草小揚町へ遷座(寿三島神社)することになったものの、地元氏子の協議により当地にあった熊野社と合祀して元三島社と称したという。
旧金杉村(台東区根岸、東日暮里)の鎮守で、下谷七福神のひとつ寿老神が祀らる。

言問通りは,文京区本郷・弥生の本郷弥生交差点から、浅草の隅田川に かかる言問橋に至る道路の通称である。
東側は 水戸街道三ツ目通りと接続する。その入谷交差点上野にも近い。
    

入谷朝顔まつりも今年で66年目を迎え,毎年7月の6・7・8日の3日間開催。
入谷鬼子母神を中心として言問通りに120軒の朝顔業者と100軒の露店(縁日)が並び、毎年40万人の人出で賑う。
    

小野照崎神社は,下町「入谷」に鎮座。小野篁公・菅原 道真公をお祀りする神社。
芸能・学問が御神徳の神様として、仕事や学業、 習い事の向上を上達を願われる方々に広くご参拝さている。
    

合羽橋とは、西浅草 - 松が谷地区、食器具・包材・調理器具・ 食品サンプル・食材・調理衣装などを一括に扱う道具専門の問屋街の事である。
    

江戸時代に 開園し、158年の歴史をもつ,「浅草花やしき」から浅草寺境内に。
    

「浅草・三社祭」
推古天皇・628年、漁師の桧前浜成・竹成兄弟が、隅田川で漁に精を出していた。
しかし、その日に限って、たった一匹の魚も釣れません。
網にかかるのは、ただ人の形をした像だけ。兄弟は、何度もその像を水中に投げ捨てては、別の場所に変えて網を打ちつづけました。
でも、網にかかるのは、なぜか同じ像なのです。ついには兄弟も不思議に思い、その像を拾いあげて、今の駒形から陸にあがり、エンジュの木の切り株に置きました。そして、当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り、像を見てもらったのです。
すると、像を見た土師氏は大変驚きました。「これは、尊い聖観世音菩薩像で、自分も帰依する所の深い仏像である」と兄弟に告げ、その功徳について、くわしく説明しました。
兄弟は、拾った観音が現世利益仏(信仰することによって、現世で得られる利福)であることを初めて知り、信心が揺り起こされました。
そこで2人は、深く観音を念じて名号を唱え、「私たちは漁師です。魚がとれなくては、その日の生活にも困ります。なので、どうぞ明日は大漁であるようにお願い申しあげます。」と祈りました。
そして、翌日19日の朝。兄弟は、また網を隅田川に打ちました。すると、観音像に願ったように、大漁を得ることができたのです。
それから間もなくして、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅に堂舎を構えて寺とし、あの観音像を安置し奉りました。
そして供養護持のかたわら、郷民の教化に生涯を捧げたのです。

土師真中知の亡くなった後、不思議な出来事がありました。跡継ぎの子が、観世音の夢のお告げを受けたのです。そのお告げに従って、桧前兄弟と土師真中知の3人を神として祀り、三社権現と称しました。
今、「三社さま」として親しまれている浅草神社は、この三社権現社が始まりとされ、「三社祭」の「三社」の由来は、桧前兄弟と土師真中知の3人を祀って「三社祭」。

    

  

  







    

    

    

    

自分が生まれ育った町、台東区。浅草と聞いただけで懐かしい。祭りともなればなおのこと、ひと時を楽しんだ。