syuの日記・気まま旅

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岡山後楽園

2014-05-11 | 気まま旅
旭川をあさんで岡山城の対岸にある「特別名勝・岡山後楽園」
水戸の偕楽園・金沢の兼六園と共に日本三大名園。岡山藩主「池田綱政」が「津田永忠」につくらせたもので、1687年から14年間かけて完成した。
菜園場・茶室屋敷・後園などと呼ばれ1871年命名されたと云う。
遠州流池泉回遊式庭園。面積約13万m2。城を背景に築山・池・芝・茶室などが配されている。庭内には、曲水(640m)と散策路・桜・梅・蓮池・菖蒲などが、独特の景色を生み出している。

                 岡山城を出ると旭川月見橋を渡ると岡山後楽園南門
    

「池田綱政」1638-1714 備前岡山第二代藩主 父光政の長男、弟に(政言・輝録)新田4万石分与、2支藩をたてる。

昔は、旭川の上流5kmから用水を引き、対岸からサイホンの原理を応用して園内に水を引きいれていたと云う、池と滝に利用し曲水の景色を。

                茶室・亭舎・池など園内各所池田藩主の思いが込められている
  

我が国に広く自生している野芝を使い、明るく広々とした庭園に。

                紅葉100本以上・梅紅白・一重・八重など100本以上が
  

300年の歴史い築く能舞台・茶室・四季折々の花や茶畑(古種)・樹木と歩きながら景色を眺めるこたが出来ると云う。

              2000年の時を経てよみがえった「大賀ハス」見頃は6月
    

園は、かって藩主の静養の場と賓客接待の場として使われ、日を定め藩内の人々にも観覧が許されたと云う。
明治17年県に譲渡、一般公開された。文化保護法に指定され文化遺産として維持管理にあたっている。

                   旭川と池、豊かな水量、舟遊びが
  

正面入り口から能舞台・大立石・四天王堂・御舟入跡・花葉の池・庵など。公園中央に沢の池と中島・松並木・茶畑・井田・神殿・稲荷宮・弁財天堂
桜・梅林・花交の池・花菖蒲畑・南門、、、、。

御舟入跡は、城主が船で渡ってくる時の舟着き場であった。今は竹林に。

                      園内の神殿
    

慈眼堂は、池田綱政が藩内の平定と池田家の安泰を願って建立したお堂で茶畑近くにある。「鶴舎」には、中国からのタンチョウが。

                      沢池・奇岩・芝と樹木バランスに良さ
    

花葉の池に架かる「栄唱橋」            入口近くの鶴鳴館玄関          園内の見取り図旭川が
    

「犬養 毅」氏は、号を木堂と称し、1855年、この地に生まれ、明治23年(1890)36歳で衆議院議員に初当選、
以後、憲政擁護運動の先頭にたった。

昭和6年(1931年)76歳のとき第29代の内閣総理大臣となり、満州事変の解決にあたったが、翌年の5月15日首相官邸において凶徒に襲われ、「話せばわかる」の言葉を最後に志なかばにして没した。(5・15事件)

犬養家は、代々庄屋や藩の要職を勤めた農家で、この生家は江戸時代中期に建てられ、近世民家の代表的なものとして価値が高く、国の重要文化財に指定

1979年、解体復元したと云う。

           吉備津神社前の像                  犬養前首相の実家(案内板)
    

五・一五事件を伝える大阪朝日新聞

1932年(昭和7年)5月15日はよく晴れた日曜日だった。犬養は総理公邸でくつろいだ休日を過ごしていた。夫人、秘書官、護衛らも外出していた。犬養は往診に来た医者に鼻の治療を受けていた、、、、、。
                             近くの神社と民家
  

syu散歩4月下旬に紹介した。東京武蔵野「滄浪泉園」を。
                            生家の見取り図
   

「犬養 毅」 1855-1932 政治家、岡山県、慶応義塾で学び、豊川良平と東海経済新報を発刊、保護貿易論を主張、統計院に入る。
大隈重信と立憲改進党に加わる、才一回総選挙以来当選18回、雄弁家、満州事変阻止、五・一五事件で殺害、政党政治終息する。
                            
                            国道より細い道に入る
    
                           残念ながら本日休館日
  

                              生家と記念館
  

次回は、倉敷市方面に。