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夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

日々の生活、男の料理、庭仕事、気になった事など気ままに綴っています。

青紫蘇の佃煮を作る

2018年09月25日 | 季節の食べ物
私が60年ぶりの友達と会いに行っている間
父ちゃんは紫蘇の佃煮作りをしました。
青紫蘇の種(穂)は洗って、エゴマ油で炒めます。
醤油、砂糖を入れ、かつお節パックを振りいれ
なおも炒めます。出来上がり↓100gほど瓶に詰め
 
全部で10瓶できました。
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60年ぶりに会った中学時代の友

2018年09月25日 | いろいろな事
雨降りの中、中学卒業して一度も会っていない
友達に会いに行きました。最寄りの駅からバスに乗って
「◯ヶ丘北、で降りたら電話ちょうだい」ということで
◯ヶ丘北行きのバスを探すが、バスの運ちゃんに聞くと
「◯ヶ丘北というバスストップはないですね。
「◯ヶ丘入口というバス停ならありますよ」と運ちゃん。
それに乗りました。◯ヶ丘入口で下車するも目印の
Y新聞販売店などどこにもない。再度友達に電話
バス会社が違うバスに乗ってしまい。そこから10分ほど
歩いてやっと友達と再会。やれやれでした。
60年ぶりに会った友達。声は変わらないけど、お互い
「婆さんになったね〜」でした。

彼女の家でお茶を飲み、近くの寿司屋で昼食。
話すことと言ったら小中学校の昔話ばかり。
それもそうです。60年も会っていないから
その後のことは、抜けてしまっている。
結局あの頃(小中学校)の悪戯っ子の話や
先生方の話。亡くなった友達の話などで終始。

「あの頃は今みたいに受験戦争はなかった。
 のんびりしてたね」

英語の先生が、英語が分からず、仕方なしに
生徒を連れて弁当持って原っぱに遊びに行った。
先生は英語を教えることなく、生徒は原っぱで
遊び呆けた。
「そんなこともあったね〜」

「それと朝礼前に必ず全校生徒が校庭の
 石拾い(危険物)もやった」

私たちが通っていた中学校は騎馬連隊の兵舎跡
あの頃は運動靴を履かないで運動していた子も多くいた。
なので破傷風を恐れた先生が校庭の危険物を拾わせた。

小学校の昔話の中で前田君の話が出た。
「前田君って、身体の大きい色黒な子だったね」

「学校でガキ大将気分で、子分(弱い子)つれて
 威張ってた、腕力強い子だったね」

「私はその子(前田君)と目があうと
 いつも『ば〜か、バカ 馬鹿』と言われてた」

まあ、確かに私は勉強嫌いでいつも外見て
「ぼ〜っ」として考え事(空想)してたから
勉強なんて出来っこない。先生に指されても
分からないものだから、しょっちゅう立たされてた。

そんないじめっ子の前田君はお天気が悪くなり
途中で雨が降ると、私に近づいてきて

「お前んちの姉ちゃん、雨降ると傘持って
 くるのか?」と聞いてくる。

そんな時は馬鹿呼ばわりしない前田君でした。

下校時になると傘を持って迎えに来てくれる姉
は私と15歳も歳が離れている。私から見ても
綺麗な姉でした。
そんな姉を下駄箱の陰から見ていた前田君。

「あの頃の前田君、ませてたのかね」

「きっときれいなお姉さんが迎えに
 来てくれることが羨ましかったのよ」

とひとしきり前田君の話題になり、
「今どうしているかね」

「きっと、いい爺さんになってるよ」

この絵本(となりのせきののますだくん)を見ると
あのガキ大将の「前田君」を思いだしてしまいます。






 
この絵本は拾い物です。なかなか面白い絵本です。

ともあれ60年ぶりに会った、二人の浦島婆さんは
昔の思い出話に花を咲かせて
「また会おうね」と別れました。
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