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夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

日々の生活、男の料理、庭仕事、気になった事など気ままに綴っています。

日本のすごいところは?

2014年11月18日 | いろいろな事
先日の新聞で「日本のすごいところは?」という表題で
世界に誇れる日本のすごいところを書いたコラムが載っていた。

曰く、日本の電車の時刻は正確、飲食店で出される水がタダ(無料)
等と書いてある。

確かに日本の列車到着は時間通りに来るし、数分到着が遅れると
「申し訳ありません」とアナウンスがある。
以前パリの地下鉄のホームで何やらアナウンスがあり乗客が
いなくなった。
「パリの地下鉄は前ぶれなくいきなりストライキで列車が
 動かなくなる事があるから注意するように」と友達に聞いた。
まさしくその通りでした。乗客の事なんかお呼びじゃないのです。
ブダペストではトラム(市電)に乗って三つ目の駅の近くにある
ホテルに帰ろうとしたら、やはり現地語でアナウンスあり、乗客が
何人か下りていった。言葉の分からない私たちはそのまま乗って
行ったところ三つ目の駅と様子が違う。雨の中急ぎ飛び降りた
どうも先ほどのアナウンスは行き先変更のアナウンスだったらしい。
外国ではそんな事は当たり前にあるという事をしりました。

飲食店の水も安心して飲めるというのも嬉しい事で、初めて
パリに行った時、カフェに入って「お水が欲しいね」と
パリ在住の知人に云ったら
「パリのカフェでは水はタダじゃないよ。買わなきゃならない」と
云われてビックリした。それに生水(水道水)は飲まない方がいい
とも云われました。日本のように水道水が安心して飲めるのは
豊かな国という事なのでしょう。
テキサス親父がみた日本のすごいところ

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高倉健さんが亡くなった

2014年11月18日 | いろいろな事
俳優の高倉健さんが11月10日に亡くなっていた。83才
文化勲章ももらい、たくさんの映画に出ていました。

若い頃は任侠映画で名を馳せ、晩年は寡黙な役を演じていました。
若い頃はいい男でした。私の母が生きていたら
「いい男だねぇ~」と云ったに違いない。
歌手の江利チエミと離婚後はずっと独身を通した。

 1959年2月16日、1956年の映画『恐怖の空中殺人』での
 共演が縁で江利チエミと結婚。3年後の1962年、江利は
 妊娠し子供を授かるが重度の妊娠高血圧症候群(この当時は
 「妊娠中毒症」と呼ばれていた)を発症し、中絶を余儀なく
 され子宝には恵まれなかった。また1970年1月21日には当時
 世田谷区瀬田(旧・玉川瀬田町)にあった邸宅を火災で焼失
 するなど、波乱含みの夫婦生活だった。1971年9月3日に
 離婚を発表。高倉はその後独身を通している。江利は離婚後
 1982年2月13日、脳出血と吐瀉物誤嚥による窒息のため
 45歳で不慮の死を遂げている。葬儀には姿を現さなかった
 高倉だが、江利の命日には毎年欠かさず早朝に一人で
 ひっそりと墓参、花を手向け、本名を記した線香を贈って
 いる。離婚に至った原因も実際は不仲によるものではなく
 江利の異父姉が芸能人である江利を妬み、妹を貶めるため
 意図的に仕組んだ事が原因とされている。家政婦・江利の
 付き人として小田家に入り込み、江利からの信用を得て
 実印を預かるなど、家族同然の立場になると、やがてふたり
 への誹謗中傷や夫妻の財産横領を行うようになり、発覚後も
 容疑を否定、週刊誌で反論や夫婦の私生活についてリークや
 誹謗中傷を展開するなど悪質・執拗なもので、挙句に失踪・
 自殺未遂騒動を起こしている。結局「これ以上迷惑をかけ
 られない」と江利側から申し出たものである。この異父姉は
 その後、江利自身により刑事告訴され、実刑判決を受けている。

 (Wikipediaより)

晩年の寡黙な役風と再婚をしなかったという事は
きっと最後迄江利チエミを愛していたのでしょう。
83才。江利チエミの元に旅立ちました。
コメント (2)
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