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萩野城 遠江 城内を通る尾根道を扼する天野氏一族の城郭か

2022-10-23 | 歴史

萩野城は静岡県浜松市天竜区春野町筏戸(いかんど)大上にあります。築城は犬居城を主城とする天野氏の支城と伝わり、今川 武田 と所属を変え、ついには徳川の勢力によって落城したとされます。今回の参考資料は (1)『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会 1978  (2)「静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)」静岡古城研究会2022 などです。


萩野城 犬居城を主城とし天野氏の支城が多数築かれている
 徳川勢が犬居城を攻めた際に築かれた付城も犬居城周辺にいくつも存在しています。図1中央部は人の住めない山間部で城郭や屋敷は無かったようです。


萩野城 尾根道が萩野城の城域内を通っている
 筏戸から牧野へ抜ける尾根道が城域内を通過していました。途中には、まるで堀切の様に見える切通もありました。現在は県道389号線がトンネルで抜けていますが、それまでは尾根道が主要な街道だった可能性がありそうでした。


萩野城 (旧)筏戸橋 今は新筏戸橋が使われている
 今は車両通行止めになった(旧)筏戸橋から尾根道は始まっていました。駐車は付近の空きスペースを利用しました。


萩野城 尾根道の切通 まるで堀切遺構
 筏戸から尾根に登り切ると切通がありました。今は使われていない道ですが、堀切遺構のように見える深い切通でした。


萩野城 城域はA~B間とされる 尾根道は一部想定した
 城域を通る尾根道は明確ではない部分がありましたので一部を想定してあります。往時は筏戸と牧野を結ぶ重要な道だったと思われます。


萩野城 城趾西側の尾根道(薬研道) 北西から
 尾根上の道はいわゆる薬研道でした。長く使われ多くの人の通行があったことによって薬研状の地形になるそうです。 


萩野城 堀切Aと土橋① 奥が城域 見どころです
 西側の城域を区切る堀切には長くて細い土橋がありました。ここは防御力の高い施設だったのではないかと思いましたがどうでしょう。


萩野城 平場③ 右手に土塁② 
 尾根道は写真の土塁②の右側(南側)を通っていたと想定しました。平場③には兵が常駐する番所的な建物が建っていたのかもしれませんね。


萩野城 Ⅰ郭の最高所 土壇④
 Ⅰ郭がいわゆる主郭にあたると思われます。最高所は面積の狭い土壇状の地形で、南下を通る尾根道を見下ろすことが出来る位置でした。


萩野城 城域東端部を区切る堀切B 
 東端部の堀切Bは西端部の堀切Aのような土橋は無く、堀底に一度降りて通過する形でした。


萩野城 堀切B東側 いわゆる一揆掛けの尾根道 自然地形?
 堀切Bで区切られた東側は城域外になるとされますが、一騎駆けの細尾根になっていました。自然地形のようですが、人手が加えられて両側が削られたようにも見える細い道になっていました。

萩野城は山深い尾根に位置する城郭でしたが、古い尾根道や遺構の残りが良く、楽しく見学ができて良かったです。
※資料(2)の 「静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)」静岡古城研究会2022 は発刊が待たれていた静岡県の西部と遠江国の城跡を概ね網羅した縄張図集で、静岡古城研究会のメンバーの方々の尽力で完成した力作の資料です。
 ※資料の案内や入手方法は同会会長さんのブログ https://blog.goo.ne.jp/kojoukenに掲載されています。


 


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