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城と歴史歩きを楽しむ

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中津城 豊前 絵図を参照して門跡を見学する 東海古城研究会の見学会で訪れました

2025-06-23 | 歴史


中津城 中津奥平家 十七代 奥平昌信氏 直筆の扇
 奥平氏は愛知県の三河地区で勢力を伸ばし、長篠・設楽原の戦いでは徳川家康の配下で長篠城籠城で手柄を立て大きく飛躍しました。三河地区には奥平氏にまつわる多くの史蹟が残りますが、この扇も縁あって我が家に伝わります。

中津城 門跡を中心に見学する
 およそ十年前に、東海古城研究会の見学会で、中津城を訪れていますが、その時は本丸の天主を中心に見学しました。今回は絵図を参照しながら門の跡を中心に見学しました。今回の参考資料は(1)見学会資料 (2)「中津城を知る」パンフレット 中津市教育委員会2013 (3)中津城の発掘調査報告書 (4)国立国会図書館デジタルコレクションの絵図 などです。

中津城 模擬天主と薬研堀
 模擬天主は昭和39年に観光目的で建設されましたが、絵図によると、この位置に天主が在ったかどうか疑問とされています。今回の見学では絵図に描かれている城内最大の三階櫓の所在も確認したいと思います。なお薬研堀は埋められていたのを近年に掘り起こし、現在の姿になったとされます。

中津城 A地点  本丸 南西土塁と石垣 道路敷設で開削された 南から 奥に本丸
 図1のA地点は道路の敷設のため土塁を開削し堀を埋めて大きく姿を変えています。道は本丸に祀られている神社の参道になっているようですね。

中津城 本丸南側の堀と石垣 A地点東から
 道路の敷設で本丸南側の石垣は東西に分断されましたが、それまで埋められていた堀を掘り起こして現況の姿に復したようです。絵図によると、石垣奥の出っ張り部分には櫓が建っていました。

中津城 本丸南側石垣の断面を見る 東から
 道の開削により、本丸南側の石垣土塁の断面を見ることが出来るようになり、発掘調査が行われ、土塁は時代を経るごとに土塁幅を広げる工事が何度も行われ現況の幅になったことがわかりました。

中津城 本丸南西隅の水門 東から
 水門は城域西側の中津川の近くで、船着き場でもあれば、便利な場所だったように思いましたがどうでしょう。

中津城 水門 南西から
 水門から本丸に入るには、一度直角に右に折れる必要があり、門が守りの施設として設けられていたのが見て取れました。写真正面の石垣の大きな石は、いわゆる鏡石でしょうか。水門の石垣は、概ね残存していて見ごたえアリ!でした。

中津城 西門 北東から 道の西側の石垣の残存状態が良好
 絵図によると、城域南西隅の西門は南からの道が外桝形から右に折れて、簡易な門から三之丸に入る構造だったようで、道の両側には石垣が築かれていたようですが、現況は道の東側は住宅に代わり石垣は失われていました。

中津城 西門 南西から 石垣の上には櫓が在った
 車の道になって、クランクは緩やかになりましたが、往時は直角の道で、外桝形になっていた可能性があり、写真左側の石垣上には櫓が建ち通行人を見下ろしていたようです。L字形に残る石垣は残存状態が良く幅広の櫓跡に登って
見ることが出来ました。

中津城 大手御門 外桝形の石垣が残る
 大手御門は絵図によると、面積の広い外桝形から右に直角に折れて、櫓門をくぐって黒御門へ向かう構造だったようです。写真の石垣は南部小学校沿いに残る外桝形南側の石垣で、写真の奥にあった外桝形西側石垣は道路によって失われたようです。写真の右側には南部幼稚園があり、大手御門がありましたが、今は残存していませんでした。

中津城 黒御門 南から 左に折れて椎木御門へ向かう
 大手御門からは、本丸南面から続く堀を土橋で渡り、南から黒御門をくぐって、二之丸に入ります。絵図によって黒御門付近の二之丸の様子は異なっていて、L字型の石垣で二之丸側を塞いでいる場合、長福寺が描かれている場合、なにも描かれていない場合などがありました。写真正面の二之丸方面には諸官庁が立ち並んでいました。


中津城 椎木御門 ここも桝形が在ったか 東から
 椎木御門の絵図では、写真の石垣の向こう側(本丸側)には桝形があり、突き当りになっていて、右に折れて椎木御門をくぐり本丸に入る構造だったようです。今は本丸内の神社の参道の鳥居が立っていて、道は直進するようになっていました。、両側には石垣がしっかり残っていました。

中津城 中津川沿いの石垣 中央部分に鉄御門があった 北東から
 本丸の中津川沿いには、鉄御門や三階櫓が絵図によっては描かれていました。写真の中央部の凹んだ石垣付近に鉄御門が想定できそうですが、現況は石垣でした。

中津城 三階櫓の櫓台か 西から 奥の凹んだ石垣部分に鉄御門か
 写真の櫓台上には後世の建物が建っていますが、往時の中津城の絵図では、中津川沿いのこの辺りに最大の三階櫓が描かれています。鉄御門と並んで三階櫓が描かれている絵図もありますので、この櫓台の上に天主に相当する三階櫓が建っていたのではないか想像しました。

中津城は、立派な模擬天主に眼を奪われますが、今回は絵図を見ながら周辺の門跡を中心に歩き回りました。絵図によって描かれ方が違う部分もありましたが、想像を膨らませながらの見学で、期待以上に楽しめてよかったです。
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