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武衛原館と藤丸館 遠江 改変を受けながらも土塁と堀切が残された貴重な城館遺構

2025-06-29 | 歴史


武衛原館 西辺の土塁 北東から
 武衛原館は西辺の土塁、東辺の堀と土塁等が茶畑などによる開墾の改変を免れて残存していました。
武衛原館と藤丸館 茶畑等の開墾で改変を受けた部分が多い
 武衛原(ぶえばら)館は静岡県菊川市東横地にあります。藤丸館は横地城落城の際に城主の横地氏の遺児が移り住んだと伝承されます。武衛原館は1400年代半ばに斯波氏が今川氏を抑えるために斯波武衛が構えた館跡の伝承がありますが、いずれも不詳の部分が多いようです。今回の参考資料は (1)「静岡県の中世城館跡」静岡県教育委員会 1978   (2)「静岡県の城跡 西部・遠江国版」 静岡古城研究会2022 などです。

武衛原館と藤丸館 車の道が敷設され見学は容易になったが遺構の改変にもつながっている
 藤丸館は開墾によって遺構は消滅したようです。武衛原館は西側の土塁Dと東側の土塁Aと堀Bが残っていました。資料(1)によると「武衛原館の土塁A・堀Bの外には庭園跡といわれる地があったが、戦後の食糧難の時代に芋畑なって消滅した、土塁D中央には木戸口の開口部があり、外側には堀が残っていたが開墾により消滅した」とありました。

藤丸館 横地氏一族の墓 車の道沿いに祀られている
 横地氏は当地の雄族で、東の横地城から西の横地氏居館までの広い範囲が城域だったとされ、今川義忠が文明八年に横地城を攻めて落城した際に、横地氏の遺児が藤丸館に移ったとされ、城域内のここに一族の墓地があると思われます。

藤丸館 地点1に立つ案内板
 藤丸館は、開墾されて茶畑となり遺構は消滅しましたが、この案内板によって、往時に思いを巡らすことが出来ました。

藤丸館 今は茶畑 南東から
 藤丸館跡は、開墾されて広い茶畑になっていました。往時の館の建っていた平場と現状の平場が同じ面積だったかどうかは不明でした。地下には館の遺構が残っているかもしれませんね。

藤丸館 図2 地点2に「かくし井戸」の看板が立つ
 図2の2の位置に「かくし井戸」の看板が立ち「城主居館の水の手」とありました。付近の溝地形に水の見える場所がありましたが、これが隠し井戸かどうかは?でした。

武衛原館 西辺土塁D 北西から
 資料(1)によると、土塁Dの中央部には木戸口の開口部があり、土塁手前(西側)部分には堀切が在ったが、堀は開墾時に埋められたとありました。土塁は、写真のように、猛烈なブッシュで、踏み込んでみましたが開口部を確認することはできませんでした。左側の土塁は車の道で削られたようでした。

武衛原館 土塁D 北東から 右に車の道
 武衛原館の大半は茶畑になり、西辺に土塁Dが残っていました。土塁は車の道で削られた様ですね。

武衛原館 「斯波武衛邸宅跡」の標柱と看板
 図2の車の道沿いの3、4地点に斯波武衛邸宅跡の標柱と武衛原庭園跡の看板が建っていました。

武衛原館 内部は植林がされている 北西から
 武衛原館跡の多くは茶畑ですが、部分的に植林がされていました。発掘調査は行われていないので、館の建物遺構は未確認のようです。

武衛原館 南東隅の虎口C 南東から
 虎口Cもブッシュで、写真では分り辛い状態ですが、虎口遺構を確認できました。この虎口の位置から考えると、往時は南下の慈眼寺方面からの城道があったのかもしれないと想像しましたがどうでしょう。
武衛原館 堀B 南東から 残存状態が良く見どころです
 堀Bは武衛原館の遺構としては残存状態が良好で、深さ約2m 上幅6~7m 長さ約40mの規模の大きな堀を見ることが出来ました。現況の堀の深さは2mほどですが、年月を経て埋まった部分を考えると往時はもっと深かったと思われます。

武衛原館 土塁A シダとブッシュで確認しずらい 南東から 右下に堀B
 土塁Aは高さが約2mほどほどですが、写真のように確認しずらい状態で写真ではサッパリわかりませんね。往時は土塁Aの天端から堀Bの堀底までは5m近くある堂々たる構えだったのではないかと思いました。
 
武衛原館 堀B 北端部は道で埋められた 道のガードレールが白く見える
 後世の開墾や耕地化で車の道が造られ、遺構の一部が埋められたり、削られたりの改変を受けましたが、堀Bは北端部が道の為に埋められたようでした。

武衛原館 道で削られた土塁Aと埋められた堀B 北東から
 写真左上に車の道で削られた土塁Aの端部が見え,斜線部分は堀Bが道で埋められた部分です。
【 参 考 】

【 参 考 】 図3静岡県 点群データ 図4ひなたGIS 赤色立体図
 静岡県は点群データによる立体図データが公開され、ひなたGISには赤色立体図が掲載されていますので、参考までに見学地点の立体図を比較してみました。図4の赤色立体図では、横地氏一族の墓付近が変形しているようですが、二つの館跡の平場は図3の点群データよりも図4の方がハッキリ表現されています。高低差がある地形では点群データの方がわかりやすそうですね。


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