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丸子城 駿河 その4 興味深い四段の腰曲輪を見学しハイキング道も確認する

2025-07-23 | 歴史

丸子城は静岡県静岡市丸子にあります。その1~その3で丸子城を順次見学してきましたが、今回は最終回 その4です。参考資料は (1)「静岡県の中世城館跡」静岡県教育委員会1978  (2)「静岡県の城跡 中部・駿河国版」静岡県の城跡編集委員会2012 (3)現地案内板 などです。 


丸子城 本曲輪から南東と南に延びる尾根筋の遺構を確認します。
 特に南東に延びる尾根の4段の腰曲輪に注目です。モノレール跡も興味深いです。大鈩方面のハイク道も確認します。

丸子城 腰曲輪⑧ 手前に 道あ 左上に 平場⑧ 
 宇津ノ谷峠を越して侵攻し来た敵が、丸子城の本曲輪に攻め登るとすれば、南東の尾根筋と思われます。それに備えるように、この尾根筋には4段もの腰曲輪が設けられ、造り出された切岸が守りをか固めていたようです。その3で触れたように、腰曲輪から 平場への道は見当たりませんでした。

丸子城 腰曲輪⑨ 南から 奥上に腰曲輪⑧
 道 から腰曲輪へ降る道がありました腰曲輪⑨と腰曲輪の高低差は6m以上ありそうでした。腰曲輪からは帯曲輪へ降る道がありました。 
丸子城 腰曲輪⑩ 南辺(写真右側)には土塁の痕跡が
 腰曲輪の南辺には風化の進んだ土塁の痕跡がわずかに残されていました。

丸子城 手前に腰曲輪の平場⑩ 南から 奥に桝形虎口 N 
 腰曲輪は平場南側の平場⑩と北側の外桝形虎口Nで構成されていたようで、虎口と土塁が明確に残っていました。

丸子城 外桝形虎口Nの開口部 北から 手前に外桝形地形
 帯曲輪への侵入を防ぐための備えは厳重で外桝形の平場と土塁、虎口が設けられていたようです。

丸子城 外桝形虎口N 左に帯曲輪⑫へ降る道 北から
 腰曲輪は北側に外桝形地形のある虎口を備えていました。規模の大きな竪堀⑮⑯などとセットで曲輪と道を守っていたように見えました。

丸子城 右に腰曲輪⑫ 中央に土塁⑬、左に竪堀⑭ 北西から
 腰曲輪は興味深い曲輪でした。特に北側の谷筋への備えが厳重で竪堀⑮⑭が設けられ土塁で虎口を形作っていました。

丸子城 腰曲輪⑫ 一部に後世の改変が見られる モノレールの終点が残る 南から
 静岡県の山城は、ミカン畑や茶畑への耕作地化で遺構が改変された例が多くあります。ここでもこの場所よりも下部の尾根筋の斜面が耕作地化されていたようで運搬用のモノレール跡が残っていました。このため曲輪はモノレールの運用の為と思われる改変が一部に見られました。※手前の石積は新しそうですね。

丸子城 帯曲輪⑬とモノレール跡 東から 右に土塁⑬
 モノレールは耕作地の放棄と共に放置されたようですが、土塁は往時の姿をほぼ留めている可能性がありそうでした。

丸子城 モノレールは南東尾根に残された 上から
 モノレールは尾根上に残されて放置されていました。城郭に関連した山下への道はなさそうでした。 

丸子城 土塁⑬ 南東から 石塁のように見える
 土塁は帯曲輪を築く時に削平した石混じりの土砂を積み上げた地形で、往時の姿をとどめていると想像しましたがどうでしょう。

丸子城 大鈩(おおだたら)への道 途中にハイク用の表示板が立つ
 本曲輪の 地点 から道 を経由して大鈩へのハイク道を下ると、途中の小平場にハイク道の表示板が立っていました。

丸子城 堀切③ 東から 城域はここまでか
 大鈩への道を少し下ると堀切③がありました。往時は南尾根を断ち切る堀切だったと思われますが、現況はハイク道によって一部が埋められたようでした。ここまでが丸子城の城域だったと考えられているようです。

 丸子城は状態が良い多数の興味深い城郭遺構が残っていましたので、4時間ほどをかけて、じっくり楽しむことが出来てよかったです。以下に丸子城の二つの立体図を掲載しました。見学の際の参考にどうぞ。
【  参 考 図  】

丸子城 静岡県 点群データより

丸子城 静岡県 赤色立体図より

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