加賀市山代温泉で一泊しての城巡りに車で出掛けました。
近江木之本から北国街道を走り、椿坂峠を通り栃ノ木峠です。北国街道は古代は山中峠を越える道、戦国時代までは木の芽峠を越える道がありました。
戦国時代になって柴田勝家が織田信長の配下で越前北之庄を領することになり、安土とを結ぶ最短の道路として栃ノ木峠を越えるルートを拡幅・整備し三本目の道路となりました。

わかりやすい北国街道などの解説地図
峠を越した板取宿の小公園に立つ案内看板から抜粋・加筆しました。

栃ノ木峠の説明板
付近には余呉高原スキー場があるが、まだ雪はありませんでした。車は冬用タイヤに交換して出掛けましたが、今年はその必要が無かったようです。

峠から見る北方の越前方面
道は曲がりくねって今庄へ下ります。賤ヶ岳へ向かう柴田勝家もこの街道を登り、負け戦になって北之庄へ戻るのもこの道だったのではないでしょうか。
交通量が多くないのに大型トラックの割合が高いのは、今も輸送ルートとして栃ノ木峠越えのメリットがあるのでしょう。
※北国街道は3本とも今庄を通ります。

木ノ芽峠越えの北国街道は言奈地蔵前を通る
栃の木峠を越えて北に少し下がったところから登り返して木ノ芽峠に向かいます。
道は今庄365スキー場への道でもありました。スキー場のゲレンデを通り、リフト下をくぐって木ノ芽峠に向かいます。
途中の言奈地蔵の駐車場に駐車し、言奈地蔵まで登りました。言奈地蔵の堂前に北国街道が通っていて、ここから木ノ芽峠までの北国街道は歩く道が整備されていました。
※言奈地蔵の伝承は「諸説アリ!」のようですが、今も大切に供養されているようでした。

木ノ芽峠への北国街道(今庄側からの道)
言奈地蔵から木ノ芽峠に至る北国街道は、いかにも峠越えの道という風情がありました。
※左手奥に木ノ芽峠の茶屋が見えています。

木ノ芽峠の碑と峠の茶屋
峠の直前には立派な石碑があり、峠の茶屋も見えます。

木ノ芽峠 峠の茶屋
峠には、三十数代前から峠を守ってこられた前川家の方が住んでおられ、茅葺きでしょうか、その住宅にも歴史の重みを感じました。
※「茶屋」と言っても茶店ではなくて、殿様がお休みになる格式の高い場所です。
訪れた日も、囲炉裏の煙でしょうか、薄くたなびいて煙の匂いがしていました。

峠を南に越えると敦賀方面に下ります。峠付近は石畳の道になっていました。
南側から峠道を登ってきた旅人も、茶屋の屋根が見えると、ホッとしたことでしょう。
木ノ芽峠の尾根筋には、織田信長の攻撃から越前国境を守るために4箇所の城塞がありました。一部が前川家の私有地で一部の城塞への立入りを禁止されているようでした。
※木ノ芽峠城塞群の訪問記は改めてお伝えします。
木ノ芽峠と城塞群を訪れた後、今庄経由で越前市の府中城などを訪れましたが、後日お伝えします。
近江木之本から北国街道を走り、椿坂峠を通り栃ノ木峠です。北国街道は古代は山中峠を越える道、戦国時代までは木の芽峠を越える道がありました。
戦国時代になって柴田勝家が織田信長の配下で越前北之庄を領することになり、安土とを結ぶ最短の道路として栃ノ木峠を越えるルートを拡幅・整備し三本目の道路となりました。

わかりやすい北国街道などの解説地図
峠を越した板取宿の小公園に立つ案内看板から抜粋・加筆しました。

栃ノ木峠の説明板
付近には余呉高原スキー場があるが、まだ雪はありませんでした。車は冬用タイヤに交換して出掛けましたが、今年はその必要が無かったようです。

峠から見る北方の越前方面
道は曲がりくねって今庄へ下ります。賤ヶ岳へ向かう柴田勝家もこの街道を登り、負け戦になって北之庄へ戻るのもこの道だったのではないでしょうか。
交通量が多くないのに大型トラックの割合が高いのは、今も輸送ルートとして栃ノ木峠越えのメリットがあるのでしょう。
※北国街道は3本とも今庄を通ります。

木ノ芽峠越えの北国街道は言奈地蔵前を通る
栃の木峠を越えて北に少し下がったところから登り返して木ノ芽峠に向かいます。
道は今庄365スキー場への道でもありました。スキー場のゲレンデを通り、リフト下をくぐって木ノ芽峠に向かいます。
途中の言奈地蔵の駐車場に駐車し、言奈地蔵まで登りました。言奈地蔵の堂前に北国街道が通っていて、ここから木ノ芽峠までの北国街道は歩く道が整備されていました。
※言奈地蔵の伝承は「諸説アリ!」のようですが、今も大切に供養されているようでした。

木ノ芽峠への北国街道(今庄側からの道)
言奈地蔵から木ノ芽峠に至る北国街道は、いかにも峠越えの道という風情がありました。
※左手奥に木ノ芽峠の茶屋が見えています。

木ノ芽峠の碑と峠の茶屋
峠の直前には立派な石碑があり、峠の茶屋も見えます。

木ノ芽峠 峠の茶屋
峠には、三十数代前から峠を守ってこられた前川家の方が住んでおられ、茅葺きでしょうか、その住宅にも歴史の重みを感じました。
※「茶屋」と言っても茶店ではなくて、殿様がお休みになる格式の高い場所です。
訪れた日も、囲炉裏の煙でしょうか、薄くたなびいて煙の匂いがしていました。

峠を南に越えると敦賀方面に下ります。峠付近は石畳の道になっていました。
南側から峠道を登ってきた旅人も、茶屋の屋根が見えると、ホッとしたことでしょう。
木ノ芽峠の尾根筋には、織田信長の攻撃から越前国境を守るために4箇所の城塞がありました。一部が前川家の私有地で一部の城塞への立入りを禁止されているようでした。
※木ノ芽峠城塞群の訪問記は改めてお伝えします。
木ノ芽峠と城塞群を訪れた後、今庄経由で越前市の府中城などを訪れましたが、後日お伝えします。