小野氏城 虎口A 南から
小野氏城は小野氏館、小野氏宅とも呼ばれ、(旧)大山田村地内の三重県伊賀市富永にあります。高さが4mを超えるような掻き揚げ土塁が完存し、堅固な石垣の虎口も残り、見どころとなっていました。
小野氏館 (旧)伊賀街道の平松宿の周囲に小土豪の館と城がビッシリ
(旧)平松宿周辺には、集落単位よりもさらに狭い範囲を領する小土豪がひしめき合っていたようで、縦横2.5Kmの中に、図1のようにビッシリと 館と城が存在していました。今回の資料は (1)「伊賀の中世城館」伊賀中世城館調査会1997 (2)「三重の中世城城館」三重県教育委員会1976 (3)「大山田村史」上大山田村1982 などです。
小野氏城 東と北側に幅広の堀が描かれている
資料によると、およそ45m×35mの土塁で囲まれた北側と東側に幅広の堀が在ったようですが、東側の新道敷設、北側の宅地化などによる一部の改変があるようでした。
小野氏城 周囲は耕作地化されたが、その後放棄されたか
現在の立体図でも、西側の沢水を引いて利用していたと思われる周囲の水田跡が明瞭ですが、現況は耕作地が放棄された平場になって植林がされていました。
小野氏城 東側の道路敷設で堀Dはかなり埋められた 左に道路 右に東辺土塁 北から
道路敷設で東側の堀Dはかなり埋められましたが、土塁は残されていました。
小野氏城 現況も土塁が完存し、南北辺には虎口Aと虎口Bが残る
小野氏城 堅固な石垣の虎口A 西面の石垣 中央部は崩落か
Ⅰ郭南辺の虎口Aは両側に石垣が積まれて、今もかなりの石垣が残っていました。
小野氏城 東辺土塁と腰巻石垣 北東から 土塁の高さは5mに近い
土塁は、資料によって掻き揚げ土塁、小山を掘り下げたなどの推論がありましたが、腰巻石垣を見ると、掻き揚げ土塁だった可能性もありそうだと想像しましたがどうでしょう。
小野氏城 北辺土塁 東から 土塁の途中に虎口Bが見える 右下に残存する堀C
Ⅰ郭北辺の土塁には虎口Bが開口しており、部分的に石積が残っていました。
小野氏城 土塁北辺の虎口B 北から 手前に堀C
虎口Bは虎口Aのように規模が大きくなく、通用口のような役割だったかもしれません。樹木が伐採整備されているので、遺構の確認がしやすくなっていました。
小野氏城 堀C 西から 左に北辺土塁
資料によると、堀幅は7~10m有ったとされますが、現況は宅地化などで狭くなって残されていました。
小野氏城 平場2からⅠ郭西辺土塁を見る 土塁は完存
平場2は平場1よりも一段高い平場です。平場2は耕作地として利用されたようですが、堀は無かったように見えました。
小野氏城 平場1 のa 沢沿いの石垣と水路
平場1の南西辺の崖地形には、一部に石垣が見られました。沢筋には水田に水を引いたと思われる水路が残っていましたが、今は使われなくなって時がたったように見える状態でした。この石垣は耕作地化に伴うものではないかと思いました。
小野氏城 平場1 東から 右にⅠ郭の南辺土塁と虎口A
平場1も耕作地化の後に植林が行われたように見えました。大手にあたる場所ですので、土塁に沿った堀など、何らかの設備が在ったのではないかと思いますが、今は確認できませんでした。
小野氏城 南西隅の土塁上からⅠ郭を見下ろす
Ⅰ郭内部の現況は植林がされ、特に整備は行われていないようでした。
小野氏城 Ⅰ郭北東隅の井戸E 今も水が見える 奥上に虎口Bが開口
Ⅰ郭内の井戸Eは資料によっては描かれていない場合もありますが、現況では掘り込んだ井戸というよりも水場というような場所でタップリの水がありました。
伊賀は集落ごとに土豪の城や館があると思っていましたが、ここではさらに細分化された小土豪の残存状態の良い城や館を見学することが出来てよかったです。
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