城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

上飯田砦 遠江 平成8年発見の幻の山城 飯田古城の北を監視する支城だったか

2023-03-17 | 歴史

上飯田砦は静岡県周智郡森町上飯田にあります。附近の宅地造成に伴って行われた発掘調査によって確認されました。南方300mには地元の雄族山内氏の飯田古城があり、飯田古城にある崇信寺とも深い関りが想定されるところから、飯田古城又は飯田城の支城だった可能性が考えられるようですが、その存在が文献・資料・地誌などに見られない幻の城と言われます。今回の資料は 「静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)静岡古城研究会2022 などです。


上飯田砦 崇信寺の前身は上飯田砦の城山の一角にあった  中心部は後世の改変がある
 上飯田砦は城址から延びる尾根などに山畑が多数開発され、遺構と紛らわしい平場が尾根上に多数ありました。また城郭遺構のある中心部は後世の護摩壇や神社などの宗教施設によっての改変があるようでした。


上飯田砦 見学路はa又はb 往時の城道かどうかは不明
 道aは南尾根にある墓地の参道、または尾根上の山畑の農道の様でもありました。道bは宗教施設への参道又は山畑への道のようでした。城址南側の斜面が削られ住宅地が造成されていますので、この方面に城道があったかもしれませんね。


上飯田砦 恕仲(如仲)井戸 付近に案内板が立つ
 案内板によると、後に崇信寺開山となる僧 恕仲が≒100m西に草庵(崇信寺の前身)を結んでいたときに、自らこの井戸を掘って利用していたとありました。案内板から想像した草庵は図2のBあたりでしょうか。


上飯田砦 見学路a  墓参の道として今も残る
 忠恕井戸の脇を通る見学路aは今も墓参の道としての残っていました。往時の城道の可能性もありますが、断定は難しかったです。


上飯田砦 見学路aは墓地3の細尾根を通り平場2経由でⅠ郭へ向かう
 見学路を尾根まで登ると墓地3がありました。ここからⅠ郭までは細尾根を通り平場2経由で進みました。墓地3付近が城郭遺構だったかどうかは疑問が残りました。
 

上飯田砦 平場2 奥に土塁1 
 細尾根経由で平場2まで来ると土塁Ⅰの南端部が見えてきました。ここからは城郭遺構と見て間違いなさそうでした。


上飯田砦 Ⅰ郭 Ⅱ郭からは石段で登る 熊野神社が祀られている   南から   右手に土塁1
 最高所のⅠ郭にはⅡ郭東端部から石段で登りました。Ⅰ郭には熊野神社が祀られていましたが、社は倒壊寸前の荒れた状態でした。最近のパーツなどが見えるが、個人的に設置したもののようでした。


上飯田砦 Ⅰ郭の土塁4 東から
 Ⅰ郭の改変が有るようなので、土塁の配置などの位置関係がわかり難かったです。Ⅰ郭北辺の斜面には犬走状の地形がありましたので、地山の急傾斜を利用して備えとしていたのかもしれないと思いました。


上飯田砦 Ⅱ郭からⅠ郭と石垣を見る   西から
 Ⅰ郭の西辺と南辺には石垣がありました。石垣や石段は砦の稼働時のものではなく熊野神社が造営された時のものと想像しましたがどうでしょう。熊野神社の社は傷んでいて、最近は参拝者もないのかなと思いました。


上飯田砦 Ⅱ郭 南東から ニホンカモシカ君がじっと見ている
 Ⅱ郭は広い平場の曲輪ですが、ここには江戸期以降の宗教施設が在ったようです。日本カモシカは天然記念物で保護されているため、増殖しましたが中部地方では鹿などに生息域を追われ、山里近くに出没して「害獣」になっているようで、山城巡りで一番よく見かける動物になっています。


上飯田砦 Ⅱ郭の柴燈(さいとう)護摩壇跡の案内板  ※案内板は劣化で倒れていました
 Ⅱ郭には江戸期から明治の初めまで柴燈護摩壇が設けられ修験道の宗教施設として利用されていたという案内板がありました。遺跡は発掘後に20mほど移動し残されたようですが現況ではハッキリとは確認できませんでした。


上飯田砦 Ⅱ郭 北東から 左に土塁4 奥にⅠ郭と熊野神社の社
 カモシカ君が登場したⅡ郭には後世の護摩壇などが有ったようですので、往時の地形が改変されている可能性がありますが、広い平場になっていました。


上飯田砦 土塁5 手前にⅡ郭北西端    南から
 土塁4に続いていた北西側の尾根を削り残したように見え、土塁を一部掘り切って独立させた ように見える土塁でした。


上飯田砦 Ⅲ郭 上段7 北から
 Ⅲ郭は上下2段になっていました。下段は輪郭が曖昧な平場でしたが上段7は明確輪郭の曲輪が残っていました。この平場も山畑の一部だったかも知れないと思いながらの見学でした。


上飯田砦 見学路b    右上に土壇A  東から
 見学路bは後世の宗教施設への参道、または山畑への道のようですが、往時の城道かどうかは判断が難しかったです。西側の山下からの道が残っていましたが、ブッシュなどで一部通行しにくい場所もありました。


上飯田砦 土壇Aと土坑 古墳の盗掘跡?
 見学路b沿いのピークに土壇Aがありました。飯田古城から見えない西、北方面の物見には絶好のポイントですが、土壇上の土坑は古墳の盗掘跡のようにも見えました。城郭遺構とは関係ないかもしれませんね。

上飯田砦は発掘調査によって城郭遺構以外の遺構も見つかって城郭遺構の改変が考えられ、後世の山畑や神社の造営などもあり、原形を想像しにくい城址でしたが飯田古城や崇信寺などとの関連を知ることが出来て良かったです。