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磯山城 近江 その1 歴史に度々登場する全長1㎞ の山城 数多い犬走が見どころ 

2023-03-07 | 歴史

磯山城は滋賀県米原市磯にあります。今回はウッディパル余呉の城郭フォーラムに参加し見学しました。講師は歴史城郭研究家の長谷川博美先生でした。磯山城は彦根市松原を本拠とする松原氏が城主と伝わり、その後北近江の浅井氏によって落城。織田信長の佐和山城攻略では織田軍が陣したとされます。関ケ原の戦い後に井伊直政が彦根城を築く際には磯山、彦根山、荒神山が検討されたといわれます。今回の資料は (1)長谷川博美先生作成の当日資料「城郭フォーラム 磯山城レジュメ」  (2)「図解 近畿の城郭Ⅴ」城郭談話会編2018 などです。


 磯山城は琵琶湖に突き出した磯山のある半島状の尾根上に築かれ、琵琶湖の海上交通と東側の街道を抑える要衝だったようです。明治のころには砂の堆積で内湖が琵琶湖と分断されていたようです。


磯山城 内湖は埋め立てられ往時の様子は想像するしかない
 磯山城の周辺は、古くから陸上・海上交通の要衝だったために多くの城が築かれていました。城郭フォーラムは米原駅に集合してウッディパルのマイクロバスで磯山城に向いました。現在は内湖は埋め立てられ往時の姿は想像するしかないようです。


磯山城 トラカシロ(虎ヶ城)の地名が残る北城と岩ケ鼻の南城が主たる城郭だった  
 見学は矢倉川橋東詰から男山に登り、尾根筋を北に向けて見学しました。途中の尾根には段々の平場や尾根の両側には犬走地形が多数見られました。南城、北城と見学して北端の礒崎神社まで行き、戻って北城の北東尾根から石ケ鼻を見学しました。
 

磯山城 男山から堀切・土橋①を通って南城に向かう
 岩ケ鼻の先端部にある男山の東側には堀切地形があり、細い土橋を渡って進みました。資料(2)ではこの部分は描かれていませんでした。


磯山城 南城 南から
 尾根先端部を削平した南城は周囲に犬走が設けられていました。ブッシュや草で覆われていましたが長谷川先生の案内で犬走遺構を確認できました。


磯山城 南城北側の段々地形のある尾根②を下る   北下から 奥上に南城
 磯山城は1㎞にも及ぶ長い尾根上にありますが、尾根を段々に削平した平場が何カ所もありました。北城、南城だけでなく、間の尾根上にも城郭遺構が見られました。


磯山城 尾根③の犬走 南東から  数多くの犬走が見どころです!
 長い尾根の両サイドや平場には多くの犬走地形が確認できました。犬走は城郭遺構の重要な地形だという長谷川先生の解説がありました。


磯山城 円墳郭④  南から
 磯山城の尾根上にはいくつもの古墳があり、郭として利用されていたようです。近江の山城では古墳を利用した郭の例は時々ありますが、解説がないと見落としてしまいそうです。


磯山城 尾根上⑤のマンガン鉱試掘跡 南から
 尾根上⑤にある穴は、マンガン鉱の試掘跡との案内がありました。案内がないと「不思議な地形」だと思うだけですね。


磯山城 尾根上⑤の弁慶岩 南から
 尾根上⑤のマンガン鉱試掘跡に隣接して「弁慶岩」と呼ばれる大岩の露頭がありましたが、城郭遺構ではないため、いわれ等についての解説はありませんでした。


磯山城 堀切⑥    南東から
 南城から北城にかけての尾根上の堀切遺構はここだけの様でした。幅広の堀切で見学者が立っているのは土橋です。


磯山城 竪堀⑦ 南西下から  見どころです!
 北城南側の平場⑧から南に落ちる規模の大きな竪堀⑦は、写真の竪堀左側の高い切岸と相まって南城方面からの侵入を防ぐ役割だったようです。
 ※磯山城は長大ですので今回の見学はここまでとし北城、礒崎神社、石ケ鼻 の見学は その2に続きます。