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牧ヶ久保城 伊勢 珍しい構造の遺構が残る、これまで情報が見られなかった城址

2023-03-22 | 歴史

牧ヶ久保城は三重県鈴鹿市小社町牧ヶ久保にあります。これまで、その存在や城主・城歴などの情報に接することはありませんでしたが、「再発見 北伊勢国の城」伊藤徳也著 2008 によって紹介されていましたので見学しました。城は牧ケ久保城の脇を流れる御幣川の左岸に突き出した舌状台地上に築かれていました。


牧ヶ久保城 御幣川上流 約1.5kmの同じく左岸には小岐須城がある
 周辺には伊勢国の一宮、猿田彦神社の本宮椿大社があり、コンパクトながら遺構が良く残る山本城や小岐須城なども有ります。 ※山本城は→こちら


牧ヶ久保城 Ⅰ郭(主郭)、Ⅱ郭は土地の造成で遺構の改変がある。
 近年の工場用地造成によってⅠ郭、Ⅱ郭周辺の遺構は改変を受けましたが、資料の縄張図作成時点では、まだ遺構全体が確認できたようです。図2の④も造成部分は今は埋め立てられていましたが堀切のように見える用水路跡があったようです。


牧ヶ久保城 用水路跡④ 東から

牧ヶ久保城   用水路跡④ 西から
 資料によると改変前でも台地の北側には城郭遺構は認められないようでした。一般的には突き出した舌状台地を掘り切って防御施設としているいる場合が多いと思いますが、ここでは用水路跡とされるものしか見当たりませんでした。ヒョットすると、用水路は堀切を後世に利用したのではないかと勝手な想像をしてみましたがどうでしょう。※現在の用水路は暗渠で通水しているようでした。


牧ヶ久保城 昭和49年の空中写真で改変前の姿を想定する
 資料によるとⅠ郭、Ⅱ郭には土塁が無く、郭を取り巻く堀が巡っていたようで、現況でも堀はかなりの部分が残っていました。資料では掘り上げた土が郭の土塁として用いられていないのは異例としていました。台地上を畑地として利用した可能性もありそうですが、確認は出来ませんでした。


牧ヶ久保城 Ⅱ郭   西から 
 Ⅱ郭はⅠ郭の面を駐車場として造成した際に、相当量埋め立てられたようで、上からの土砂がかなりの部分を埋めていました。写真左の切岸に見える斜面は最近の土砂です。


牧ヶ久保城 Ⅱ郭西辺の石積 北西から
 郭の西辺切岸は土留めの為の石積があったようで、現在も一部が残っていて確認することが出来ました。


牧ヶ久保城 堀⑤ 西から 左上にⅡ郭    右に掘残しの土塁 
 郭を取り巻くように掘られた堀の外側には掘残しと思われる土塁状の地形が残っていました。こうしてみると、堀は急な切岸を造り出すのが主な目的だったのかもしれないと思いました。


牧ヶ久保城 西側の堀と土塁は削られて耕作地になったようだ  南から 
 資料によると、写真の破線のような堀と土塁の地形が描かれていましたが、今は削り取られたのか、そのような地形間見当たりませんでした。往時は⑤から続く地形が西側も取巻いていたようです。


牧ヶ久保城 堀⑥と土塁地形    南西から  左手にⅡ郭
 郭を取り巻く堀は西側を除いてほぼ残っているようでした。⑥の部分は地形に沿って直角に近い急角度で曲がった堀になっていました。


牧ヶ久保城 虎口①と土橋    南から 
 資料によると、①は土橋から入り、折れを伴った虎口となっていましたが、改変とブッシュで曲輪をとり巻く堀に設けられた土橋しか確認することが出来ませんでした。虎口①からⅡ郭へ入りⅠ郭へ登る道があったようです。


牧ヶ久保城 城址東側の農道 左手に城址 南から
 城趾東側は、農道によって削られていました。写真の石積は農道の土留めの石垣のようですね。


牧ヶ久保城 工業用地として造成され工場や駐車場に変わった部分がある 北から
 Ⅰ郭とⅡ郭の在った舌状台地上の平場は造成によって、資料に描かれた遺構のかなりの部分が失われ、郭の北側の構造や水路の謎は解けませんでしたが、郭を取り巻く堀や土塁地形、石積などの遺構が確認できて良かったです。