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三河・岡崎城籠田総門発掘調査 現地説明会 日本一有名な「築山」が判明!

2019-09-05 | 歴史

岡崎城は愛知県岡崎市にあります。  岡崎城は徳川家康の誕生した城として有名ですが、今見ることの出来る近世岡崎城や城下町は、家康の関東移封後に豊臣秀吉の命により入城した田中吉政がその基礎を築いたと伝わります。 田中吉政は、石垣の城を築き、東海道の位置を変え城下町の形成を行い、総構で城下町を囲んだとされ、後に一部修築は有ったとしても、その原型はその頃のものとされます。 今回の発掘調査は城下町を囲む総構の、東の入口の籠田総門の発掘調査です。

 東海道は籠田総門の東から枡形の門を通り、西の松葉総門に抜けるまで、城下町を二十七曲りと称される多くの角を曲がリながら進みます。 今回の発掘調査現地説明会は8月31日に行われました。当日の説明会資料は、すでに岡崎市の公式ホームページにアップされていますのでそちらをご覧ください。
 岡崎市教育委員会事務局のページに岡崎城跡係の欄があり、岡崎城跡の発掘調査 から
平成31年度発掘調査  ◼籠田総門発掘調査現地説明会 →終了しました。チラシはこちらです。当日配布資料はこちらです。に進み 当日配布資料はこちらです、から見ることができます。資料はA3版の裏表ですので、画面では拡大してみると見やすいです。

さて、前置きが長くなりましたが 日本一有名な「築山」についてです。


絵図① 築山の描かれた絵図
 絵図①を見ると、籠田総門枡形、総構の堀、堀を渡る橋などが描かれています。また総持尼寺(禅宗)の文字も見えますね。
その中で、何やら三角形のが描かれているようです(丸で囲みました)。当日の説明でこれは総持尼寺の境内に有った築山だと判明しました。
 この築山が、日本一有名な築山と僕が勝手に認定した築山です。

 徳川家康の歴史の中で必ず登場する築山殿(築山御前)は、駿府から岡崎に移されて総持尼寺の僧房の一つに住まったと思われますがその境内または境内に隣接した小山を築山とよび築山にあやかって築山殿と称されたと考えられます。

 総持尼寺は、古くからの由緒ある寺院ですから、往時には立派な僧房の建物が有ったのではないでしょうか。その僧房の一つに瀬名姫が住まったので築山殿と呼ばれたと想像しました。
 粗末な僧房ではなかったと思われますが、岡崎城から800mも離れているので、岡崎城の家康から疎外されたと言われても仕方がない距離ですね。
 往時は東海道はここを通っていなかったでしょうから、岡崎城から離れた田舎の景観の中に総持尼寺は有ったのでしょう。
築山も、もともと有った小山かも知れませんね。

※総持尼寺の築山を日本一有名な築山と僕が勝手に認定しましたが、どうでしょう?

当日、係の方にお聞きしたところ次は岡崎城の最古の堀と言われる青海堀の発掘調査を行うそうです。堀底の確認と石垣の下端の確認を目指すそうです。  岡崎城、ますます楽しみです!

余談ですが、総持尼寺は大正時代に他所に移されました。今は寺の住職さんが男性になったので尼を取って総持寺と言うそうです。