眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

クレヨン社

2021-08-23 | 音楽
街のはずれにちっぽけなショットバーがあった。
夜中の三時。僕はバーに残った友達に乾杯して店を出る。
三日月がとても綺麗な夜だった。あやしげな店のいまにも消えそうなネオンが目についた。
店には、よくあるポルノ雑誌やアダルトビデオに混じって中古のCDが置かれている。
たいがいが訳の分からない代物だ。
その中に「クレヨン社」と書かれたCDがまぎれこんでいた。
はじめて知った名前の響きとアルバムジャケットの絵の優しさに惹かれて、ポケットに残った千円札を握り締めた。それが出会いだ。
どんなミュージシャンかもわからない、酔っ払ったいきおいで買ったアルバムを聴きながら部屋の電気を落として安酒の余韻にひたった。
青い三日月の夜。
僕は故郷を忘れ、街を愛していたのだろうか?
なにも怖くなかった、と思い込んでいた。
なにも失くすことはないと信じ込んでいた。
馬鹿な話だ。夢の時間。おとぎ話、うすっぺらな自信だけが世界をまわしていた。
早弾きをするギターリストに憧れていた僕に、クレヨン社の詩は衝撃だった。
単なるノスタルジックではない優しさや強さや弱さ、絶望、挫折の痛みそして明確な希望。
そうだ、キボウ。
その何年かあとになって僕はようやく本当の絶望を知る。
そして希望。たくさんの夢が粉々に砕け散ったあと、かけらの中にクレヨン社の詩があった。
たった一年弱の時間でうらびれたバーは閉店した。
最後の夜、店中の酒を仲間と飲み干し、マスターの掛け声と共にグラスをアスファルトに叩きつけた。夢の終わりだ。みんな散りじりになった、すべての人々と同じように。

クレヨン社のその後は分からない。
詩だけが残った。街は何度かクリスマス気分に浮かれ、僕は疲れ果てどん底で島に戻る。
パソコンを触るようになり、ある日彼らの近況を知ることが出来た。
メジャーから姿を消して十年。クレヨン社は今年十年振りのアルバムを発表した。
嬉しかった。僕もなんとか落ち着いた生活を送っている、そんな中で新しいアルバムとクレヨン社の活動再開の知らせは心を揺らした。
あの詩の衝撃は健在だった。それは本当の痛みを知る者の優しさと強さだった。

   「心には銀色のナイフを持て」

本物の詩。これだけ言葉に重さのない唄の時代によくもここまで、と涙が出てきた。
僕はこの島からあなた達を誇りに思う。
あなた達の詩はたしかに届いた。
もし、今どこかで誰かがこの文章を眺めてくれているのなら、
ぜひ「クレヨン社」のホームページに足をのばしてください。そして聴いてほしい、と願う。

   「心には銀色のナイフを持て」






コメント (3)
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