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影の実力者「軍師」出自と経歴『軍師の死に様』

2024-06-05 12:22:50 | 歴史から学ぶ
戦国時代の軍師は謀略などを指示する影の実力者が多い。歴史は勝利者の歴史とある様に真実はどうなのか、言えることは軍師となるべき人物の存在は大きかった事だ。軍師の出自や経歴が戦略の的確さを左右したかどうかは一概に言えない。例として、後藤又兵衛vs真田幸村の如く、戦場での経験者か机上で学んだ戦略家、どちらが上策を持ち合わせるか、それを主が如何に決断し行動したか、だろうか。現代、戦後時代の軍師の立ち振舞い、戦略戦術予測の立て方など参考になるが、それは小説家(ドラマ)の思いの策も多いのかと疑問を持つ
『軍師の死に様』司馬遼太郎・松本清張
「概要」「首を打て。敵に取らすな! 」。極限状態で生まれた濃密なドラマ。山中鹿之介、大原雪斎、千坂対馬、山本勘助、竹中半兵衛、松永久秀、黒田如水、直江兼続、真田幸村、後藤又兵衛、鍋島直茂、本多正純など、荒れ狂う戦国時代を生きた名参謀たちの「死に際」とは。最後まで主君への忠誠を貫いた山中鹿之介の人生を描いた「雲州英雄記」、決して派手ではないが今川義元に尽くした大原雪斎の生きざまを綴った「鴛鴦ならび行く」、攻めるだけではない守ることの大切さを語る「城を守る者」、土民から軍師にまで這いあがった松永久秀の最期をドラマチックに表現した「天守閣の久秀」、エンターテインメント歴史小説の名作「くノ一紅騎兵」、ラストまで一気読み必至の「戦国権謀」など、豪華作家陣11名<池波正太郎、安西篤子、山本周五郎、新田次郎、柴田錬三郎、南條範夫、坂口安吾、山田風太郎、司馬遼太郎、滝口康彦、松本清張>の名作が集結した傑作歴史アンソロジー。群雄割拠の時代を生きた、男たちは最期に何を思う? 英雄たちの最期を見よ!
ー山中鹿之介:尼子家復活に夢を描き、最後まで諦めず。素直で正直は騙されやすい。戦略無くして気力だけでは勝てない。「人を信じる、何度裏切られても最後に残るものはわしを裏切らない、それはわしの絵だからじゃ」
ー大原雪斎:今川義元の師匠であり軍師。敵味方を吟味、無用な戦いを止めて和睦を基本とした戦略家、時には即座に攻略すると言う鋭い感覚と自由奔放に情報を収集した能力有る人材
ー千坂対馬:上杉輝虎の家臣、春日山城の留守役も立派な武士としての役割であり、噂に惑わされず家臣の裏切りを見極め守り固め役を引き受けた信頼と才能ある人材
ー山本勘助:武田信玄の影の軍師と言われた勘助の長子が父の跡を追い見つけたのは、17年間信玄に使えたった一度だけ表の軍師としての活躍があり、最後に自分の戦略を自分を犠牲にして川中島の戦いをした。
ー竹中半兵衛:豊臣秀吉の軍師として百戦百勝した。知略(微に入って、能く理事を弁じ、人々の意表を衝いた)に対する毅然とした態度は秀吉重臣たちに対して態度を変えずすぎを通した。また報奨は求めようともしなかった。信長死後、半兵衛は姿を消した。
ー松永久秀:自慢の天守閣(須弥32天の主を象った7層の天守閣:指令の塔、守備の本拠、新平方の粋を尽くした独創的な)を誇ったのは束の間、信長の巨大な白鷺の安土城には度肝を抜かれ、信長に敗れる。久秀は信長からの紹介は「公家を殺し、主家を滅ぼし、大仏殿を焼き払った大豪の士だ」
ー黒田如水:秀吉が睨んだ家康以上に恐れた知略家、軍師。義理堅く、忠臣で主のためには強いて死地に赴く人物・狡智無類、行動は迅速(信長の天下を見抜き秀吉に奉公する)。秀吉からの引退を許され、九州へ(キリシタンの洗礼を受けた武将)茶の湯で朱印貿易を盛んにする
ー直江兼続:一のく紅騎兵(美貌を持った少年)大島山十郎は山白城(直江)に入るや「衆道の法」を得るべく景勝の小性となる(同性愛)
真田幸村・後藤又兵衛:2人の軍師(幸村は書斎で、又兵衛は戦場で兵策を学んだ)に秀頼(大野治長・譜代筆頭)で意見が分かれ、さらに譜代、浪人等の集合体はバラバラで統率力を失くしていた。また家康の間諜小幡景憲は籠城させるべく対立させ、又兵衛率いる先鋒隊6千4百と幸村1万2千は別行動となる。徳川軍30万に対して秀成軍は18万、又兵衛は天王台で、幸村は真田丸にて没
ー鍋島直茂:関ヶ原の戦いに二股をかけ最後には徳川に任せた。「鍋島の汚さよ」と言われた左近将監は見抜いていた。直茂は国政を息子に譲らず息子高房は命を絶ち、父正家は病死となる。佐賀35万7千石はそのまま勝茂に引き継がれた。
ー本田正純:徳川家康は駿府に上野介正純(正信の息子)をおき、江戸(秀忠)にはその父本田正信を配置、時制を極めた。本能寺事件後に伊勢越えで家康と再会した正信はその後忠臣として支える。正純の成果は大阪の夏の陣での堀埋め、その後福島正則を隠滅など、その功績は15万5千石で宇都宮に封じられてから悲劇となる。秀忠の宇都宮での謀反疑惑など疑問視され、蟄居、虜囚となる。