@「残心帳」とは江戸火付盗賊改方長官長谷川平蔵の未解決を残した帳面。それを暇な里見悟郎(お祐筆役見習い)に探索させる。 これは、智慧者の盗人が商売のお得意先のお奥から将軍の父親、「世子」を名乗り将軍をも揺さぶる脅しに発展させる。江戸時代は殆どが親の役職がそのまま子孫に引き継ぐ家徳存続関係を維持していた。「世子」「長子」次第では殺戮にも繋がる事件が多い。特に長子がいない家族にとってこの時代はお家断絶など、家臣にとっても重大で家系を守る為も養子縁組も多かったと言う。(日本では法的長子相続が第二次世界大戦まで続いたとある)因みに、徳川幕府11代将軍家斉は何と17歳から55歳までに55人の子供に恵まれたとある。正室、側室で24人、お手付き20人もいたと言う。だが、半分以上の子が夭折している。さて言いたい事は、人の「コネ」だけこれだけトップ層にまで手を伸ばす術を持った人材は尊敬に値する。やはり日本社会含め「コネ」は大事であり、大切にしなければならない「人生のコツ」の一つだろう。親のコネはもちろんの事、恩師、先輩、同僚、それに支援者など型のコネも使い方次第だが、一歩間違うと恨み、絶交、断絶に繋がりかねない。 現代は色々な繋がり方を伝授する方法もあり、ネットからの情報とSNS(LinkedINは最適)で自己啓発から繋がるのが最も理想と言えるだろう。LinkedInでは理想とする人(諸外国も含め)からの「教授」になってもらえる方法もある。但し英語が基本になるが・・・
「『長谷川平蔵・残心帳』瀬川貴一郎
- お祐筆役習いの里見梧郎は、元上役で火付盗賊改方の長官長谷川平蔵宣以が病に伏せっていると聞き、見舞いに訪れた。平蔵は医者にもかからず、強がりを見せている。そして梧郎に、ケリをつけたはずの事件に残る気がかりを記した残心帳ともいうべきものを見せた。日々の仕事に飽いていた梧郎はその中の7年前の押し込み事件で捕縛し損ねた犯人に注目し、探索することを請け負う。
- 「残心帳」とは平蔵の未解決事件の書き留めた帳面である。その中の一つで千両箱2つの盗賊を一網打尽にするべく動いたが2舟に乗って逃亡された。だが、大嵐で舟は大破、総勢十人のうち九人の死体を発見したがもう一人が見つからず金も一部しか見つからなかった事件であった。そこで悟郎が捜査を開始するが昔の話とあって手がかりが掴めない。
- ある夜、五人の浪人が一人の侍を囲み刺殺しようとしていたがそこを通りかかった平蔵の息子辰蔵が目撃者となるが、一瞬で終わる。殺されかかった侍が「お・や・す・け」と言って果てたことで新たな事件に巻き込まれる。翌日悟郎はその現場に行くと刺客の浪人が現れ悟郎を狙った。狙った刺客を辿ると長崎の輸入問屋で歴史のある西海屋で雇われた浪人と判る。その後、別の隠密忍者が悟郎を狙って襲いかかる。狙われた悟郎はその理由が分からず探索を続けるが、分かった事は前の盗賊の一人が西海屋の主人勝三郎である事、勝三郎は元主人の妻お秀との密接から奉行所に密告し、お秀の新たな主人になることを企んだ。密輸等で主人が捕縛、死罪に、西海屋は倒産寸前まで追い込まれる。そこで主人に代わって盗んだ金でお秀と立て直しを図った。
- 西海屋はお奥との商売の繋がりを利用して御中﨟とこれまた密接な関係を持ちお秀の娘お槙をお奥入りさせる。ところが妊娠している事で極秘に出され、勝三郎の次なる巧みに利用すべく西海屋の別宅に確保された。その企みはお槙の子は将軍家斉(生涯の子供数は側室四十人に子供五十五人も産ませていた)の子供・世子として認めさせ、または50万両で話を無かったことにするかだった。
- 実はその子供は勝三郎の仲間の助八郎との間にできた子供で将軍の世子ではないことが判明、また勝三郎も元は盗賊の一人で千両箱を独り占めした張本人であった。
- 悟郎は裕介という長男をもうけお純と暮らしていたが、昔から由佳という旗本の娘(剣術師)をいたが京都に嫁に行った。だが、度あるごとに悟郎を助けていた。で京都から一時帰国し生活を振り返っていた。「毎日同じ繰り返しの暮らしをしていると、ふとこれでいいのだろうかと考えてしまうことがある。一体自分は何の為に生まれてきたのだろうかと・・」お潤の生活を見て同じだと悟り京都に帰る。