1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (着)
※このシリーズは旅行当時の時代背景を尊重し、当時のまま記載します。
1997/7/9 Santa Clala→大阪
5、関西空港で入国
到着ゲートからまたシャトルに乗っていく。入国審査場があったが、パスポートについている半券を取るだけなので、すぐに終わった。
それから手荷物受取場でしばらく待つ。だいぶ待つとやっと出てきた。拾い上げて、税関に行く。免税のところに並んだら、前に5、6人いたが、申請しない人の列なのですぐに進んだ。パスポートを見せて、申請するものはないと言うだけで通った。
税関を出て正面に紀陽銀行の窓口があった。両替しようと近づくと、両替は表の窓口でやってくれといわれた。ここは税金を払うための窓口だったのだ。出口から到着ロビーに出ると、すぐ右手に紀陽銀行の窓口があった。そこで申し込み用紙に名前と電話番号を記入し、係の人に渡した。紙幣を出して、何ドル紙幣が何枚あるかを数えて、記入してもらった。窓口の中の機械でもう一度枚数を確認し、円を出そうとしたら、ピーと言って機械が止まった。中の人がしばらく機械をいじっていると、直った。円をもらった。1000ドル両替していったが、696ドル余った。現金はあまり使わなかった。レートは109円。出る時は 117円だったので、円高になって少し損をした。
関西空港駅に行った。みどりの窓口はいっぱい並んでいたので自動販売機で切符を買った。関空特急はるかで新大阪まで、2980円だ。非常に高い。
大阪は蒸し暑い。小雨が降っていたが、汗をかいた。ジュースを買いたかったが、電車の発車時間が迫っていたので、とりあえず乗って、はるかの中の自動販売機で買った。車内の自販機は品数が少ない。アメリカではどこでもあったダイエットコークがここにはなかった。
※このシリーズは旅行当時の時代背景を尊重し、当時のまま記載します。
1997/7/9 Santa Clala→大阪
5、関西空港で入国
到着ゲートからまたシャトルに乗っていく。入国審査場があったが、パスポートについている半券を取るだけなので、すぐに終わった。
それから手荷物受取場でしばらく待つ。だいぶ待つとやっと出てきた。拾い上げて、税関に行く。免税のところに並んだら、前に5、6人いたが、申請しない人の列なのですぐに進んだ。パスポートを見せて、申請するものはないと言うだけで通った。
税関を出て正面に紀陽銀行の窓口があった。両替しようと近づくと、両替は表の窓口でやってくれといわれた。ここは税金を払うための窓口だったのだ。出口から到着ロビーに出ると、すぐ右手に紀陽銀行の窓口があった。そこで申し込み用紙に名前と電話番号を記入し、係の人に渡した。紙幣を出して、何ドル紙幣が何枚あるかを数えて、記入してもらった。窓口の中の機械でもう一度枚数を確認し、円を出そうとしたら、ピーと言って機械が止まった。中の人がしばらく機械をいじっていると、直った。円をもらった。1000ドル両替していったが、696ドル余った。現金はあまり使わなかった。レートは109円。出る時は 117円だったので、円高になって少し損をした。
関西空港駅に行った。みどりの窓口はいっぱい並んでいたので自動販売機で切符を買った。関空特急はるかで新大阪まで、2980円だ。非常に高い。
大阪は蒸し暑い。小雨が降っていたが、汗をかいた。ジュースを買いたかったが、電車の発車時間が迫っていたので、とりあえず乗って、はるかの中の自動販売機で買った。車内の自販機は品数が少ない。アメリカではどこでもあったダイエットコークがここにはなかった。