毎日が時差ぼけ

大阪発、いろいろな交通機関の搭乗記録

1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (着)

2018-10-28 15:17:00 | 旅行記
1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (着)

※このシリーズは旅行当時の時代背景を尊重し、当時のまま記載します。

1997/7/9 Santa Clala→大阪


5、関西空港で入国

到着ゲートからまたシャトルに乗っていく。入国審査場があったが、パスポートについている半券を取るだけなので、すぐに終わった。

それから手荷物受取場でしばらく待つ。だいぶ待つとやっと出てきた。拾い上げて、税関に行く。免税のところに並んだら、前に5、6人いたが、申請しない人の列なのですぐに進んだ。パスポートを見せて、申請するものはないと言うだけで通った。

税関を出て正面に紀陽銀行の窓口があった。両替しようと近づくと、両替は表の窓口でやってくれといわれた。ここは税金を払うための窓口だったのだ。出口から到着ロビーに出ると、すぐ右手に紀陽銀行の窓口があった。そこで申し込み用紙に名前と電話番号を記入し、係の人に渡した。紙幣を出して、何ドル紙幣が何枚あるかを数えて、記入してもらった。窓口の中の機械でもう一度枚数を確認し、円を出そうとしたら、ピーと言って機械が止まった。中の人がしばらく機械をいじっていると、直った。円をもらった。1000ドル両替していったが、696ドル余った。現金はあまり使わなかった。レートは109円。出る時は 117円だったので、円高になって少し損をした。

関西空港駅に行った。みどりの窓口はいっぱい並んでいたので自動販売機で切符を買った。関空特急はるかで新大阪まで、2980円だ。非常に高い。

大阪は蒸し暑い。小雨が降っていたが、汗をかいた。ジュースを買いたかったが、電車の発車時間が迫っていたので、とりあえず乗って、はるかの中の自動販売機で買った。車内の自販機は品数が少ない。アメリカではどこでもあったダイエットコークがここにはなかった。


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1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (4)

2018-10-27 23:04:00 | 旅行記
1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (4)

※このシリーズは旅行当時の時代背景を尊重し、当時のまま記載します。

1997/7/9 Santa Clala→大阪


4、関西空港行きユナイテッド809便

離陸時間まで20分ぐらい滑走路で待たされた。離陸のときにかなり振動した。この飛行機は大丈夫だろうか。

今回の機内食はチキンかビーフだった。メニューを見て、斜め前の日本人のおじさんが、キャビンアテンダントに「これはお金を払うのか?」と日本語で聞いていた。キャビンアテンダントさんは「ムリョウデス」と答えていた。日本発の便ならまだわかるが、日本に戻る便でそのようなことを聞くとは、この人は行きの飛行機で何をしていたのだろうか。

機内食のトレイは不安定だった。もう少しなんとかならないだろうか。肉を切るときにトレイが動いてやりにくい。ファーストクラスやビジネスクラスはもっと良いトレイを使っているのだろうが。

さて、ごはんの後しばらく雑誌を読んでいたが、少し昼寝をすることにした。なにせ大阪に着くのはカリフォルニア時間で真夜中なので、空港で眠いとつらい。MDを聞きながら少し寝る。起きてまた雑誌を読んだりする。ソニーの最新のMDプレーヤーにしておいて良かった。型落ちのMDプレーヤーは値引きしていて安かったが、1回の充電で連続再生できる時間は4~5時間だ。今持っているものは高かったが、再生時間が10時間である。機内の水平飛行時間にちょうど良い。しかし、持ってきたディスクのほうが足りなくなる。今さら英会話のレッスンのディスクを聞く気にはなれないし。

カリフォルニア時間で22:30ごろ再びおしぼりが配られた。着陸前の食事の時間だ。小さいパンとハムのような鶏肉のスライスを中心とした簡単なものだった。この鶏肉はなかなかおいしい。あと1時間ぐらいでやっと着陸だ。

やっと着陸態勢のアナウンスがあった。外はまだ海しか見えない。しばらくして滑走路が見えた。着陸した。今回は拍手はなかった。日本時間16:15。ほぼ定刻だ。




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1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (3)

2018-10-27 14:43:00 | 旅行記
1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (3)

※このシリーズは旅行当時の時代背景を尊重し、当時のまま記載します。

1997/7/9 Santa Clala→大阪


3、ユナイテッド航空 サンフランシスコ発大阪関西着の飛行機を待つ

待合室にも売店があった。

関空行きは58番ゲートだった。ここの一角からメキシコシティー行き、北京行き、ソウル行き、成田行きが続けて出るので、構内放送は英語、スペイン語、中国語、韓国語、日本語で行われていた。

関空行きまで時間があるのでぶらぶらしたり新聞を読んだりして時間をつぶした。

成田行きに乗るらしい日本人の団体旅行客がたくさんいた。成田に帰る日本人の団体らしいおじさんが、お土産を買おうとして現金が無いのに気づいて腹巻の中から現金を取りだそうとしていたようで、店の中でズボンの前を開けて中の腹巻から財布を取り出していた。絵に描いたような日本人旅行者の失態をこんなところで見られるとは。

成田行きが出て団体客がいなくなると、あたりが静かになった。

カードで国際電話ができる公衆電話があったのでかけようとしたが、アメリカンエクスプレスかAT&Tのカードでないと使えなかった。VISAが使えないとは、この電話は使えない人の方が多いのではないか?

関空行き809便の搭乗が始まった。日系人らしい日本語ができる中年女性と白人男が二人でチェックをしていた。そこで搭乗券にホチキスでとめてある米国入国カードを搭乗券の半分と一緒に渡せば、出国手続きは終わり。入るときに比べて出るときは非常に簡単である。

かなりの人数が乗っていたが、後ろの方はすいているらしく、前の席にいた日本人の三人組が後ろの方に移っていった。



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1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (2)

2018-10-25 19:16:00 | 旅行記
1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (2)

※このシリーズは旅行当時の時代背景を尊重し、当時のまま記載します。

1997/7/9 Santa Clala→大阪


2、ユナイテッド航空 サンフランシスコ発大阪関西着のチェックイン

サンフランシスコ空港のAVISレンタカー会社の送迎バスに乗ると、運転手がどの航空機に乗るか聞いた。隣にいた人がアメリカンと言った。私はユナイテッドと言った。しばらくしてバスが出た。空港の出発ロビーのある建物まで行った。2階だった。下の1階は来た時に迎えの車を待っていた場所だ。

バスが止まって運転手が航空会社の名前をずらずらと言った。ユナイテッドとは言わなかったような気がしたが、なんとなく降りてしまった。入り口に航空会社の名前が掲示されていたが、ユナイテッドはなかった。どうやら一番端で降りてしまったようだ。しかたがないのでスーツケースをひいて歩いた。しばらくしてようやくUnited(International)の表示が見えた。

ユナイテッドのカウンターは2つだけ開いていて、5、6人が列を作っていた。とりあえず並んだ。非常に早く着きすぎた。8時30分だ。関空行きは13時発だ。開いているカウンターの上の表示がLondonと出た。隣がNaritaでその向こうがOsakaだ。Osakaのところに行ったが、係員は誰もいない。確かに早すぎる。しばらく待っていると、東洋人の女性が「Can I help you?」と言ってきたので、大阪行きのチェックインをしたいと英語で言った。すると、成田行きのところに来るように言われた。成田行きのカウンターでチケットとパスポートを出すと、「おひとりですか?」と日本語で聞かれた。なんだ、日本語ができるのか、と思っていたら、横にいた東洋系のおばさんと日本語で世間話を始めた。日系人だったのだ。

荷物を預けるときに、荷物はずっと自分で管理していたか、誰かから預かっているものはないか、と聞かれた。最初は何のことかわからなかったが、麻薬などの密輸に利用されていないかどうかの確認の意味なのだろう。

チェックインを済ませて荷物も預けたので、搭乗時刻まで暇になった。免税店に行ってお土産を見た。免税店は4つあった。1番大きくて品揃えが豊富な店は、店内に入っただけで、ここは免税店だから搭乗券を見せろと言ってきた。感じ悪いのでそのまま出て、他の店に行った。他の店は搭乗券を見せるのは金を払うときだけだ。それが当然だ。さっきの店は東洋人だと思ってバカにしていたのだろうか。

サンフランシスコなのでケーブルカーのおもちゃを買おうかと思ったが、ここでもおもちゃはMade in Chinaだった。サンノゼのショッピングモールの中のおもちゃ屋でもほとんど中国製だった。中国製品は世界を支配している。

朝日新聞が売っていたので買った。新聞は日本の駅で買うと120円だが、サンフランシスコ空港で買うと3ドルだった。非常に高い。

セキュリティーチェックを通った。4つのチェックゲートがV字型にならんでいたので、荷物を通したところと別のところに入りそうになった。


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1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (1)

2018-10-24 19:27:00 | 旅行記
1997年6月-7月のアメリカ行き-帰り (1)

※このシリーズは旅行当時の時代背景を尊重し、当時のまま記載します。

1997/7/9 Santa Clala→大阪

1、サンタクララ→サンフランシスコ空港

朝6時に目がさめた。サンタクララのQuality Suitesの最後の朝だ。ドアの隙間から料金の明細書が入れられていた。

今日の朝食は薄くてまずい味噌汁はやめてトーストにした。

荷物をまとめた。それからテレビ画面でチェックアウトの手続きをした。荷物を持って部屋を出て、フロントに鍵を渡した。本当は部屋に残して置けばよかったのだが。

荷物を車に入れて、サンフランシスコ空港のAVISの場所を確認した。ハイウェイを、空港に入る出口のひとつ前で出れば良いのだった。

ルート101に入るところで、信号が青になったり赤になったりしていた。つまり、一度に連なって入らないように、一台ごとに間隔を空けてルート101に入れということだ。

朝の出勤時間らしく車が多かった。途中で1、2箇所渋滞があったりしながら、目的の出口を出た。AVISの看板を探しながら速度を落として走ったが、この道はレンタカー返却用らしく、各レンタカー会社の名前と行き先が道路標識のように掲示されていて、わかりやすい。さすがに車社会のアメリカは進んでいる。

AVISを見つけて入った。すでに返却されているレンタカーが15台ぐらい並んでいた。場内整理員のおじさんの指示にしたがって列の最後尾に停めた。駐車場内の看板には走行距離を書いたか?キーはつけたままにしてあるか?などの注意事項が書いてあった。

借りるときに渡された紙にメーターの読み、日時、燃料計の針の位置などを書いて、降りた。すると、場内にいたヒスパニック系の女の子がレシートをくれて何か言った。スペイン語なまりの英語なので何を言っているかわからなかったが、前方に行けと言ったようだ。トランクから荷物を出して事務所に行った。レシートには名前やカードの種類、使用日数などが書いてあり、レンタル料が出ていた。場内にいる係員は端末を持っていて、車のナンバーを入力すると、誰が何日借りたかデータが出力されるようになっているらしい。メーターなどの数字を書いたさっきの紙をカウンターに渡した。屋外にいるのは非白人ばかりであり、事務所内にいるのは白人ばかりだった。他の車を返却した客は事務所に寄らずそのまま空港への送迎バスに乗っている。例の紙はわざわざ持っていかなくても車の中においておけばよかったらしい。



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